065『カッコつけのタンブリングス/青ちゃんの命日』/ 急がばまわれ

青ちゃんのことを書こうと思う。
12月18日が命日だからだ。

初めて青ちゃんと会ったのは
法政(大学)のイベントだった。
楽屋代わりの教室で
ギターのチューニングをしている
サングラス姿の男を、

「彼が村八分にいた青ちゃん」

と、冨士夫が紹介してくれたのだ。

「よろしく」

座ったままコチラを見上げ、
ぶっきらぼうに挨拶されたのを憶えている。
だけど、その時の僕はまだ、
村八分がよくわかっていなかった。

次のシーンを思い出そうとすると、
もう、FOOLSのステージになるのだ。
ハジけるコウのヴォーカルと、
ファンキーなカズのベースに挟まれて、
ちょっと窮屈そうにパンクする青ちゃんがいた。

“ なんだか、サイズの合わない
ジャケットを着ているみたいだ ”

なんて思っていたら、
次の瞬間には、
久し振りに音を出す冨士夫の横で、
すっかりスタジオに溶け込んでいるのだった。

「FOOLSを辞めてきた!」

いとも簡単に、そう言い放っていたが、
このときの青ちゃんにとって、
穏やかな雰囲気に戻っていた冨士夫が、
よほど懐かしかったのだろう。

「冨士夫が、俺たちの知っている
冨士夫に戻ってたんだ」

と、再び一緒にバンドをやる理由を
ケンゴさん(スピード)に語ったという。
ケンゴさんも、かつての穏やかな冨士夫を
知っている一人だったから。

冨士夫にとっても、´83年の春、
『RIDE ON』のレコーディングに入るときに、
青ちゃんがいることが心強かったようだ。

まだ十代のころ、
楽器も何もできない青ちゃんを、

「Gパンをピンク色に染めて、
黒いエナメルのジャケットを着てた青ちゃんが、
めちゃくちゃオシャレだったんだ」

っていう理由だけで『村八分』に誘ったように、
この時も、自らの音楽活動の再出発に
心を許せる青ちゃんが必要だったのである。

それにつけても、
青ちゃんは、とにかくカッコつけだった。
それでいて、なんだかトっぽくもある。
下町生まれだからだろうか、
つまりは、恰好のつけ方がべらんめえなのだ。

それでいて、
人にも気っぷの良さを求めるところがある。

冨士夫の体調が悪くて
大阪の某大学祭への出演を
ドタキャンしなければならない時があった。

「大阪まで行って謝ってきな!」

青ちゃんが威勢良く言う。

「そうだね、一緒に行くか」

「俺は嫌だね!」

「何で?」

「だって、そんなのカッコ悪いじゃん!」

だって。
ざっと、こんな感じだ。
もう一度言おう。
青ちゃんは、とにかくカッコつけである。

それでいて、一度言い出したら聞かない。
冨士夫がある曲のギターフレーズで
珍しくつまづいていた時だ。

「このフレーズを青ちゃんが演ってくれたらなぁ…」

ヴォーカルとギターの両立が大変だった冨士夫が、
少しばかり弱音を吐いた。
でも、相手の身になって考える性分の冨士夫は、
それを青ちゃんに言えないでいたのだ。

「僕が言っておくよ」

「そうか!頼むよ」

って、ことになって、
軽い気持ちで青ちゃんに伝えた。
すると青ちゃんは、こう答えたのである。

「嫌だね」

「何で?」

「とにかく嫌なんだよ。
そんなに弾きたきゃ、トシが演りゃあいいジャン」

と、のたまう!?
……ワケがわかんなかった。

あれこれと、随分と長い事考えたあげくに、
なんとなくわかってきた。
青ちゃんは、そのフレーズが
上手く弾けないんじゃないかしら?…って。
上手くとは、“ 冨士夫みたいに ”という意味である。

かといって、「弾けない」とは言えない。
弾くことはできるからだ。
ただ、冨士夫と比べられるのが嫌なのだ。
それは、ずっと、青ちゃんが抱えたコブみたいなもの。
カッコつけながら乗り越えなきゃならない、
小さな山だったのかも知れない。

タンブリングスのときは、
ついにその山を越えることはできなかったと思う。
だから、冨士夫もステージングに戸惑っていた。
青ちゃん次第でメリハリがつくステージも、
あうんの呼吸が通じなかったからである。

僕が知っている限り、
カッコつけの青ちゃんが、
本当に恰好良くなっていくのは
タンブリングスが終わるころ。

冨士夫がステージに立てなくなって、
切羽詰まった青ちゃんがフロントに立ったときだ。

こうなりゃリズム感だとか、
音程だとか言ってらんない。
とにかく恰好をつけるしかない。

スポットを浴びて、
♪あっちにフラフラ。
こっちにフラフラ。
どうせ、オイラはイカレタろくでなし♪

そう居直った青ちゃんは本当に恰好良かった。
シャイなカッコ付けが、
本物の青ちゃんになったのである。

そこからは、皆さんがよくご存知の青ちゃんだ。
女にモテて、良いトコ取りで、
冨士夫本人もわからなくなるほどに、
冨士夫のフレーズを弾きこなし、
自信満々でIWハーパーの
シングルを飲み干したとたんに、

……突然ギターを置いた。

TEARDROPSの活動が止まったこともあるが、
すべての音楽活動から身を引いたのだ。
でも、時間が経てば、また始めるだろうと思っていた。
冨士夫は相変わらずソロで活動していたし、
青ちゃんがウィスキーズを作ったときのように、
突然のお呼び出しがあるんじゃないかと
どこかで期待していたのかも知れない。

……だけど、青ちゃんの噂は
どこからも流れて来なかった。

いつだったか、一度、電話をしたことがある。
TEARDROPSが終わって数年経っていたが、
誰からか忘れたが、番号を聞いてかけたのだ。

少しばかりのいたずら心もあった。
懐かしむお互いの会話が脳裏に浮かんで、
少し笑いながらかけたような気がする。

すると、

「この番号、誰から聞いたんだよ」

とか言われ、

「もう、かけてこないでくれ」

と言われた。

そんなこと、言われる筋合いもないのだが、
“ や っ ぱ り ”
と思うところもあったのだ。

青ちゃんはカッコつけだが、
それ以上に頑固である。
一度決めたら、テコでも冨士夫でも動かない。

青ちゃんはTEARDROPSが終わるときに、
音楽を辞めると本気で決めていたのだ。
きっと、自分の中で恰好をつけて
啖呵を切ったのだと思う。

僕なんかは、それを知ってても、
「出ておいでよ〜」
なんて言っちゃうタイプである。

だから、それがコワかったンじゃないの?
なんて思って、裏読みしちゃったので、
それからは、もう電話をしてなかった。

こうやって、振り返ると、人生の流れは早い。
濁流に飲み込まれそうになった時間が、
遥か遠くに消え行っちまっている。

あっという間に、そんなこだわりなんか
どうでもいい年になり、
気がつくと、ゆるやかな流れの中で
冨士夫や青ちゃんとも再会をしていた。

冨士夫は、再会するとすぐに闘いの準備を始めた。
今度の敵は病いである。
青ちゃんも疲れているみたいだったので、
少しでも癒そうと、
錦糸町にある足つぼマッサージに
連れて行くことにした。
ソコは、体調を崩していた冨士夫の紹介だった。
冨士夫を担当していた先生が、
青ちゃんの地域の先生を教えてくれたのだ。

足つぼといっても、このうえもなく痛いやつ。
小さな棒で、指や神経をグリグリやる。
試しにやったことがあるが、
悲鳴をあげてカーテンを引きちぎるほど痛い。

青ちゃんの住む下町から
地下鉄に乗って毎週通った。
僕にとっては、周に一回の“青ちゃん の日” 。
他の日は冨士夫の所の通っていた。

まあ、青ちゃんとの
本当に小さな旅みたいなもん。
錦糸町の帰りにはバスに乗ったり、
吉原のそばで降りて下町散歩をしたりして、
今憶うと、ゆっくりとした流れの
宝物のような時間だった気がする。

冨士夫の所に行くと、
「青ちゃん、どうだった?」と聞かれ、
青ちゃんは、いつも
「冨士夫は大丈夫か?」と聞く。

そんな二人が面白かった。

ずっと、お互いを気にしながら
生きている人生が愛おしい…。

地下鉄から錦糸町に向かう時、
秋葉原でJ Rに乗り換えるのだが、
その時に駅から駅への構内を、
少しばかり複雑に進むことになる。

そんな時、さっさと歩くクセのある僕が
時おり青ちゃんを見失うことがあった。

あせって辺りを見回していると、
青ちゃんは、少し離れたところから、
コチラを伺って笑っている。

「何だよ、青ちゃん」

それからは、ちょうど同じ地点まで行くと、
気になって振り返るようになった。

すると、青ちゃんは少しスカシながら、

「大丈夫だよ、トシ。俺はここにいるから」

って、笑いながら言うのだ。

さぁ、今年もいつの間にかに暮れていく……。

忙しなく行き交う師走の雑踏を歩くと、
何かを忘れたように
ドキっとすることがないだろうか?

僕にはある。
だから、そんなときは、
大切な想いを呼び起こすように、
わけもなく振り返るんだ。

まさか、そこにカッコつけた
青ちゃんがいるわけでもあるまいに……。

(2016/12月18日に黙祷なのです)

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