010『Ride on!』 No song

010 『Ride on!』 No song

『New wave』 って言葉は聞こえが良かった。
今思うと、何でもかんでも
新しくしたがってる時代の
フレーズだったって気がする。
80年代に入り、今までの価値観が
ドッと変わっていった。
長髪がテクノカットになり、
テクニックよりも
味のあるバンドがウケる。
やたらと職業が横文字になり、
団塊の世代が社会を
ディレクションし始めた。

でも、冨士夫は『New wave』じゃなかった。
同世代のミュージシャンが
髪を刈り上げ、
シンセをピコピコ鳴らし
『音楽もファッションなのです』
とでも言うように世間に賛美されている時に、
冨士夫はまるで逆のほうを向いて
佇んでいるかのようだった。

結果、『Ride on!』という
1枚のレコードができた。

きっかけは、
『連続射殺魔』の和田哲郎。
インディーズ『テレグラフ・レコード』から
冨士夫のソロを出そうと言ってきた。
冨士夫に話してみたら、
ちょうどバイト先に
「一緒に録音できるメンバーがいるから」
と言って、マース・スタジオに連れて来た。
ベースは『外道』にいたマサ(青木正行)。
ドラムは『Too Much』にいたヒデ(小林秀也)。
そこに青ちゃん(青木真一)が、
「フールズやめてきたわ」って現れた。
(どういうバイト先?)
随分と豪華なメンバーだ。

和田哲郎の目的は、
『冨士夫が動くきっかけを作ること』
だったらしい。
その意味では『Ride on!』は大成功だった。
これをきっかけに冨士夫は
音楽活動を再開したのだから。

そして、もうひとつ、和田哲郎は
『NO  SONG』という曲を冨士夫に残した。
しかし、こういうアプローチは
冨士夫にとって初めてのことだった。
冨士夫はどうしたものか
悩んだのだろう。
それが『NO  SONG』の歌詞に表れている。

初めてといえば、
作詞作曲という意味で、
『ROCK  ME』が冨士夫が作った最初の作品。
単純な性格なのに心配性で、
あまのじゃくなのに、
意外と楽天家な冨士夫が作った詞は
「どっちやねん」って感じで面白い。

「『酔いどれ天使』は冨士夫のこと?」
って聞いたら、
「ちがうよ!」
って強い口調で言われた。
〜じゃあ、いったい誰の事なんだろう?〜
よくステージで
「これを演るとヘビーな気分になる」
って言ってたから、
てっきりご本人かな?っと思っていたのに…。

3日間という短期間のわりには、
リラックスして和やかな録音風景だったと思う。
最後に、この世のブギの定番、
冨士夫バージョンの『ブンブン』を入れて締めくくった。

発売する『テレグラフ・レコード』は、
西荻窪のアパートの一室にあった。
主催する地引さんは
飾らない芸術肌の人物で、
一緒に居ると妙に落ち着く感じ。
冨士夫と初めてそこに行ったとき、
「近くに住んでるから、チコ・ヒゲを呼ぼう」
と地引さんが言い出し、
すぐにやって来たチコ・ヒゲが冨士夫と対面した。
「新旧両巨頭の記念すべき瞬間だ」
みたいなことを地引さんは言っていたが、
インディーズに無知だった僕は、
このとき、その意味がよくわかっていなかった。
でも、チコ・ヒゲはずっと前から
冨士夫が大好きだったようだ。
北海道出身のチコ・ヒゲは、
修学旅行で東京に来たとき
新宿のジャズ喫茶でダイナマイツを見たらしい。
だから「ファンなんだ」
みたいなニュアンスを言っていた。
そのあと、冨士夫にとっても
かけがえのない存在になるチコ・ヒゲとの
確かに記念すべき瞬間だったのかも知れない。

『Ride on!』を、
この『テレグラフ・レコード』
から出すにあたって、
三ヵ月のプロモーション・ライヴを行うことにした。
まず、LOFTのオーナーに事務所まで呼ばれ、
「最後の大物・登場だな!」
との歓迎の言葉と共に、
三ヵ月間マンスリーで
【1day】【2days】【3days】と
盛り上がって成功したら
一気に行っちゃうんじゃないか !?
というようなブッキングをもらった。

しかし、無知は恐ろしい。
何も知らない僕は、その他にも
クロコダイル、屋根裏を筆頭に
横浜、福生まで三ヵ月間、
ほとんど毎週末にライヴを入れてしまった。
当然、客はバラけた。
回を追うごとに少なくなっていく。
ついにはLOFTの三ヵ月目は【1day】に
変更せざるをえなくなってしまった。

知らなかったとはいえ、
得意満面でマネージャー気取りだったことを恥じた。
しかし、冨士夫たちは
客入りなど意に介さず、
「おかげでいい練習になったよ。
バンドが固まったぜ!」
と言って笑ってくれていた。

ここまでは【山口冨士夫バンド】だった。
それを【TUMBLINGS】にするために
「合宿に行くよ」
と冨士夫が言い出した。
「トシ、合宿代だして!」
と言って大真面目な顔をする。

そうゆうことになっていくのか!?
うっとうしい雨期が
通り過ぎようとしていた。
季節は、夏である。
子供のようにはしゃぐ
先輩たちをイメージしながら、
通勤電車のつり革に掴まっていた。
「どうやって金を作ろうか?」

僕はまだ、人生あきらめて
Rockを始めたところなのだ!?

(1983年春〜夏)

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