071『チコヒゲとちょい呑み』FRICTION – Cycle Dance (1980)

チコヒゲと季節ごとに
ちょい呑みしている。
特別な用があるわけでもないのだが、
顔を合わせているのだ。

ただ、ことあるごとに訊いてはいる。

「まだ、音楽はやる気がしない?」
「冨士夫のバースデイ・イベントには来る?」

そんなとき、チコヒゲは
言葉を選んだりはしない。
根っからのストイックさはさらに威力を増し、
ほんのひと言で質問を片付けることが多い。

「まだだね」

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071

『よもヤバ話071』は本編から少し脱線して、
チコヒゲとちょい呑みしようと想う。
場所は中野の安い居酒屋。
夕方4時の開店と同時に呑み始め、
世間が騒ぎ始める夜の8時には
ほろ酔い気分で月を眺めながら帰途につく……。
……そんなパターンなのだ。

「音楽はいつから始めたの?」

ついぞ、訊いたことのない質問をしてみた。

「エッ!? そんなこと訊くの?」

とか言いながらも、
嬉々としてサワーを口に運ぶ。

チコヒゲの故郷は北海道だ。
名寄(なよろ)っていうところ。
地図でいうと旭川の上方向に位置する
なんだか寒そうなところである。

「中学のときはビートルズが大好きだった。
だから、ステレオで目一杯のヴォリュームで
レコードをかけてはドラムを叩き始めたんだ」

貯めたお年玉でドラムセットを購入したという、
子供のころからストイックだったチコ少年。
ドラム以外にはまったく興味がなかったのだとか。

「ドラムは当時流行ってたんだよ。
だから、ドラム叩くのがカッコイイって想ったんだ」

1960年代当時の日本は、
とにかくアメリカ一色だった。
アメリカの情報、ホームドラマや音楽やニュース、
なんでもかんでも入ってきて、
子供たちはすっかり
アメリカナイズされていたのである。

「テレビでもジャズの番組が流れていたんだ。
そんな中にドラムバトルってのがあって、
すっかり憧れてドラムを買ったんだよ」

そのアメリカナイズされたテレビ番組の中に
『勝ち抜きエレキ合戦(1965〜66年)』があった。
チコヒゲも「初めて観た外タレ」
というベンチャーズの成功により、
日本には空前のエレキバンドブームが起きたのである。

「俺は、エレキ合戦に出たダイナマイツを
テレビで観た貴重なる証人だからね(笑)」

それが自慢になるのかどうかは別にして、
高校の修学旅行で東京に来たチコヒゲは、
あろうことかダイナマイツを覗きに行っている。

「初めて冨士夫を観たのは高校の修学旅行のとき。
俺と冨士夫ちゃんは同じ年だからさ、
高校三年の修学旅行で東京に来て、
18歳の冨士夫のステージを観たってわけ」

新宿のコマ劇場の対面にある
ラ・セーヌというジャズ喫茶。
その日はダイナマイツが出演していた。
劇場のように広い店内に
客がパラッパラだったという。
冨士夫はステージ中、
ずっとアンプの調子を気にしていたとか。
人生とは不思議である。
まさか、この2人の縁が
ずっと先までつながっているとは、
このときは、お釈迦様でも知らなかったのだ。

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高校を卒業したチコヒゲは、
某大学に入学するために上京する。

「上京するのが目的だったからさ、
大学には行かなかった。
っていうより、
キャンパス自体がロックアウトで
封鎖されていたんだ」

チコヒゲが上京した1968年は、
新宿騒乱罪が起きた年でもある。

国際反戦デーの10月21日、
東京では反日共系全学連の学生6000人が
防衛庁や国会、新宿駅などに突入しようとして、
警官隊と激しく衝突した。

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「俺も現場にいてさ、大変だったんだよ。
電車は燃えちまうし、
西口は機動隊と学生が押し合いへし合いで、
普通の女の子が頭から血を流したりしてた。
それでも闘ってるんだ。
俺は帰れないからさ、
伊勢丹の前にあった
三越の横の路地に避難したんだよ」

そう、世の中がどう変革しようとも、
チコヒゲはドラマーである。
同時期に音楽雑誌『ミュージックライフ』の
バンドメンバー募集コーナーに
“ビートルズ好きなメンバー募集”
という告知を出している。

「そこに応募してきたのがレックだったんだよ(笑)。
それがさ、彼は変わってるんだよね、
普通、ハガキで応募してくるもんなんだけど、
レックときたら、わら半紙で送ってきたんだ(笑)」

レックは当時、アートスクールの学生だった。

「珍しい奴だなぁ、会ってみようってね」

二人は出会うべくして会うことになる。
そのときのレックが描く星はジョージ・ハリスン。
彼はビートルズ好きのギタリストだったのだ。

しかし、東京の夏の高温と湿気に、
北海道育ちのストイック青年は音を上げる。

「ついに倒れたことがあってさ、
医者にいったら「栄養失調です」だって(笑)。
なんだよ、気候とは無関係じゃんって(笑)」

それが理由かどうかは定かではないが、
チコヒゲとレックが夢見る“ビートルズ”は、
練習場所を北海道に移して合宿に入る。
知り合いの農家に頼んで馬小屋を借りた。

「CCRにも、馬小屋で演奏する
映像があるけど、あんな感じ。
だけど、いくらワラまみれで頑張っても、
結局はカタチになんなかった」

“ビートルズ”の夢は、ついに終わる。

「だけど、そのうちビートルズ
どころじゃなくなっちまった。
あの頃はすぐにドンドン
色んなグループが出て来るじゃない。
わかりやすく言うと、
ストーンズからジミヘンにいくわけだ、みんなね。
するとジミヘンのところで、
パープルへイズなんかのギター音を聴いて
あれ?これってなんかおかしくねぇか?って、
チューニングの問題がでてくる。
だけど、ベースとの音を聴いてみると
合ってるみたいだってんで、
これがサイケデリックってヤツ?」

なんてことになる。
ものすごい勢いで音楽が進歩していたのだ。
何とかそれを吸収しようと、
80円の珈琲一杯で
ロック喫茶やジャズ喫茶でねばる。
6時間なんて当たり前、
音の感覚を耳から脳へとつなげる毎日だったという。

「珈琲一杯でじゃんじゃんリクエストしてさ、
音を確かめるわけさ。
新譜が出ても買えないからね。
店を出てリズムやらなんやらを
思い出しながら帰るんだけど、
「アレ?」って、わかんなくなっちゃう。
冨士夫なんかも同じこと言ってたと思うけど、
あの頃はみんなそうだったんだ。
そうやって音に夢中になっていったんだよ」

……そんなある日、
´74年か´75年くらいの頃。

「そう、俺がまだニューヨークに行く前の話だね。
冨士夫と、しのぶと、コッペと、俺で
福生のウズでライブやったことがあったんだよ。
それが最初に冨士夫ちゃんと一緒に演ったヤツかなぁ?
冨士夫からいきなり電話がかかってきてさ

『いま、近くにいるんだけどさ、
コレから福生のウズでライブなんだ。
ドラムはクルマに積んでるんだけど、
叩く奴がいねぇんだよな。
ワルいけどスティック持って
出て来てくんねぇか?』

って言われたらどーするよ?!
めっちゃくちゃな話だなぁって思ったけど、
断るも迷うもへったくれもないわけ。
気がついたらクルマに乗って福生に向かってる。

4曲演ったんだけど、

「じゃ、今日はこの辺で!」
とか冨士夫が言って、

ラストにギミーシェルターをやるんだけど、
ジャーンってギター鳴らして

「じゃあ、バイバーイ!俺たちこれから忙しいんだ」

って言ってるんだけど、ホントだったんだよね。
冨士夫ちゃん、ホントに追われてたんだ(笑)。
冨士夫ちゃんの運転で帰るんだけど、
あの人、対抗車線を走るんだよね。
俺なんか煙草を吸いながら後ろに乗ってるんだけど、
前から対向車が来て、もうダメだってとこで、
ひょいって避けちまう。
ここで死ぬのか、もうダメだって思ったよ。
乗っちゃった俺がバカだったって。

なんてね、冨士夫ちゃんと関ると
そんなことの繰り返しなのよ。
結局、ウチまで送ってくれてさ、

「じゃあな、ヒゲ、バイバーイ」

なんて叫んでたかと思うと、
ほんとに急いでたんだな。
その後、しばらく本人が
世間からバイバイしちゃったってわけ(笑)」

さて、宴もさらに進み、
次第に酩酊の館が見え隠れしてくる。

この後、ニューヨークの話やら、
東京ロッカーズの話になるのだが、
途方もなく長い物語になるので、
それは、またの機会にでもご紹介しようと思う…。

いつ聞いても、
先輩たちのよもヤバ話はとことん面白い。

「よく羽村の冨士夫ちゃん家に行ったよ。
帰るタイミングがまた難しくてさ、
なかなか帰してくれないんだ。

『じゃ、俺、帰るよ』
って言うと

『明日、また来るんだっけ?』
なんて言うんだ。

かんべんしてくれよ、冨士夫ちゃん。
なんで今日の明日に
また来なきゃなんないのさ。
そう想いながら羽村の坂を
駅に向かって急ぐんだ。
終電逃したら大変だからさ、
戻って冨士夫ん家に泊まんなきゃなんない。
それこそ、寂しがりやの
冨士夫ちゃんの思うつぼだからね(笑)」

近年、しばらく音と離れていたチコヒゲが、
“やっぱり、もう一度やるか!”
と想い、冨士夫に連絡しようとした
矢先の訃報だったという。

それ以来、本格的にチコヒゲは音を伏せている。

どのくらい呑んだだろうか?
僕たちしかいなかった店内が、
すっかりと客で一杯になり、
もはや喋り声も通りにくくなってきた。

「もう一杯だけで終いにしようか」

最後のオーダーをしながら、
チコヒゲがこちらに向き直った。

「ホントはさ、最初に音に興味を持ったのは、
小学生のときなんだ。
それも、近所の土手を走る機関車の音。
あの“ガタンゴトン”ってやつさ。
蒸気機関車の“ガタンゴトンガタンゴトン ”
ってサウンドが線路から伝わってくる
あの感じが好きだった。
それでドラマーになったなんてことは
言わないけどね(笑)」

…………………………………………

帰り際に、いつもの別れの言葉のように
チコヒゲの後ろ姿に訊いてみた。

「ドラムはまだ叩かない?」

「そろそろいいね」

「エッ!?……叩く?」

「一応、2月越えたらやろうかと」

思いがけない答えに、
一瞬、酔いが醒める想いがした………。

(1965年〜いま)

■チコヒゲ/プロフィール

1949 /北海道生まれ。
1977 /渡米。ジェームス・ホワイト&ザ・コントーションズの初代ドラマーとして活動。
1978 /帰国後、レック、ツネマツマサトシと共に、“フリクション”結成
1984 /フリクション、イタリアにて《JAPAN FESTIVAL》に出演。
1986 /ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、ジーナ・パーキンス、トム・コラと共演。
1987 /フリクション、ニューヨークにてアート・リンゼイ、ジェームス・チャンス、
ジョン・ゾーンと共演。
1988 /フリクションを脱退。山口冨士夫、TEARDROPSのアルバムをプロデュース。
チコヒゲ・オリジナル・ユニットを結成。
メンバーは、斉藤剛(g.)、米田美賀子(key.)、松本正(ds.)。
(´92年から、ドラムは結城悟)
1993/ 山口冨士夫、山内テツと共に、《京都大学西部講堂支援野外コンサート》に出演。
1995 /突然段ボールに、サポートドラムとして参加。ユニット名を“CHICO-HIGE & THE UNIT”に改める。新たに、関俊裕(b.)が参加。
2002 /ユニットに、イマイアキノブ(b.)が参加。
2004~2006/山口冨士夫(g.)と共にバンドで、都内ライヴ、全国ツアー。
2008~2010/灰野敬二と共に、都内にてライヴ。
2011/活動休止中

 

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