001『草臥れて』

001 『草臥れて』日だまりの庭

その日は朝から「いい感じ」だった。
エミリからのメールには『ふじお、サケ やめたよ!』と、あった。
『ホントに?』と、返したら、『くれば わかるよ』だった。
にわかには信じられない。それほどまでにこの頃の冨士夫は酒浸りだったから。
冨士夫ん家に着くと、いつの間に伸びたのか草のみどりが生い茂り、あたり一面に初夏の草の匂いがした。
日差しの中でキラキラ光っている雑草の、その向こうに冨士夫が立っている。
笑いながら手を上げて、
「トシ、いらっしゃい。遠路はるばるよう来ましたな」っと、
ちょっと茶化すような時代錯誤の言い回し。
こんな時の冨士夫は機嫌が良いんだと思う。
ホントに今日は「いい感じなんだな」と思った。
「おじゃまさまー」っと冨士夫に続いて縁側から部屋に入ると
テーブルの上に置いてある丼が目についた。
そこに食べかけのうどんが半分くらい残っている。
「食事中だったの?」
「うん、食べるかい?」
「大丈夫、食べて来たから」
そう言ってるのに台所に向かう冨士夫。
その後ろ姿に
「いいから、先に食べちゃいなよ」と言うと、
「コーヒーは飲むだろ?」っと返してくる。
いつもそう、神経質なほどに他人を気遣うんだ。
先に自分のやりたい事をやっちゃえばいいのにね。
結局、コーヒーを入れて戻って来る頃には、
「おっと、のびちまったな。麺が汁を吸っちまったよ……まっ、いっか!」
なんてことになる。
そんなことだから、気疲れして酒やら何やらやっちゃうんじゃないの!?
なんて、こんな些細なことでも思ってしまうんだよね。

今日は八王子の整骨院までドライブ。
『酒を止めた保険に、痛み止めも準備しておこう』というところだろう。
助手席で景色を眺めている冨士夫に改めて言ってみた。
「ホントに止めたんだね、酒…」
冨士夫は、少し髪を掻くようないつもの仕草をしながら
「もう、ごめんだよ。ホント、きつかった」と答えた。
そう、つい先日も低血糖で倒れたのだ。
それが原因で数週間の入院。
ゆえに『酒を断った』というわけである。
『こんなに自然な冨士夫は久し振りだな』なんて思っていると
景色を眺めていた冨士夫が、突然にチャー坊の思い出話を始めた。
「チャー坊ってさ、けっこう大人だったんだよ」
「京都のころの話し?」と、間の手を入れる。
「そう、チャー坊ん家の前でさ、原チャリに乗ってた奴が事故った事があってさ。そいつ、女もんのサンダル履いてつっぱってた奴なんだ」と始める。
ああ、(女もんのサンダル)流行ってたな。70年代の最初だ、なんて思って聞いてると…。
「そいつ、事故ッて、サンダルだったから、かかとが割れてパニックになってるわけ。そこにチャー坊が家から飛び出して来てさ、仕切るんだよ、現場をさ。
「冨士夫、お前は救急車を呼べ!」とか、
自分の彼女には「濡れたタオルを持って来い!」とか言っちゃって。
テキパキとさ、判断しちゃうわけ。
転んで青ざめてるそいつには「大丈夫やからな、病院行けばなんてことないから」
みたいなこと言っちゃうんだ。
驚いたよ、意外だった。俺なんか動転もいいとこだし、
現場にいたどいつもこいつも役立たずなのにさ」
なんて一気に喋ると、ひと呼吸置き…
「チャー坊って、けっこうそんなところもあったんだよな…」
とか言って向こうを見ている。
別にコチラに向かって話してる風ではない。
今日はチャー坊が頭の中に降りて来てるのかな?
…なんて思った。

整骨院はいつだって患者でいっぱいだ。
特に高齢者の人たちにとっては、欠かす事の出来ない日課なのだろう。
整骨院に着いた冨士夫は、その中の待合室でちょこんと座っている。
ここの先生はごっつい熊みたいな人だ。
冨士夫とは年齢も同じことから、なんだかちょっとフレンドリー。
加えて、偶然『クロコダイル』の関係者とも知り合いであるとか。
「山口さんは実力者らしいね。ライヴはいつでもいっぱいだと聞いてるよ…」
とか言われちゃったからたいへん。
「よかったら…」と、CD渡したり、ライヴに御招待したりした。
一時間ほど待っただろうか、そのフレンドリー熊先生に診療してもらい
目的だった『痛み止め』も手に入れ、帰路についた。

家に戻ると初夏のキラキラ光る庭には、
少しばかり梅の木の影が伸びていた。
帰りのクルマでも冨士夫はずっと『京都のころ』を話していた。
今日は、めずらしくチャー坊を誉める。
もう何十万回も聞いた『草臥れて』を最初に作った時の話。
「啄木みたいな詩を見せられて、歌にするために一緒に考えたのが最初なんだ。
まだ二十歳そこそこのガキが考えるような詩じゃないよね」
という一説は定期的に聞かされ、上書きされるので、忘れないフレーズのひとつになっている。
この日は楽しかったのでもっと一緒にいたかったけど、用事があったので「帰る」と告げると
「わかった」と、やけに素直だ。
だいだいは、「何だよ!もう帰るのかよ!まだ何も話してねえだろ!」
ってのが普通なのだが…。

「送らないよ」っていう冨士夫にサヨナラをしながら、
ホントに今日は「いい日だった」と思った。

家に帰り、寝る前に『草臥れて』をかけながら、
もう一度今日の冨士夫を想い浮かべてみた。
『酒』を止めた冨士夫にはいろんな可能性があるように思えた。
念願のレコーディングもできるだろう。
ライヴは、今回はその後だな…。
なあーんて思ってる時、CDから流れるチャー坊の声の裏で、チャー坊と一緒に京都でお茶を飲んだときの事を思い出した。
あの時、チャー坊は別れ際にこう言った…

「冨士夫に伝えてや、ほんまに大切に想ってるんやって。かわいい人やって…」

(2013年5月15日水曜 羽村/八王子)

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