007『ジョニーが呼んでいる』

007 『ジョニーが呼んでいる』

ジョニー・サンダースの映画が公開されている。
いろいろな人が証言していて面白いとか。
それでは、ここでひとつ、
冨士夫にまつわるジョニー・サンダースの小話を。

ときは1985年の1月のこと。
鳥井賀句から
「ジョニーが呼んでる」って電話がきた。
「ジョニーって?」
「ジョニー・サンダースに決まってんだろ」
だって。
そうか、決まってるんだ。

冨士夫に電話した。
「ジョニーが呼んでるってよ」って。
「どのジョニー?」
「ジョニー・サンダースだよ、来日してんじゃん」
「そうか、もちろん知ってるよ!」
って調子がいい。

その頃は、東京のアンテナって言ったら
新宿の『ツバキハウス』だった。
資生堂のアンテナショップで、
様々なイベントが行われていた。
そんな『ツバキハウス』の
エントランスに着くと
すでにオープンしていて
活気あるエネルギーに溢れていた。
しかし、そこをガードしている
イベンターのスタッフが
猛烈な勢いで僕らの行く手を阻んだ。
「おいおい、ジョニーが呼んでるんだぜ!」
「ざけんじゃねぇぞ!コノヤロ!」
のノリになった。
イベンターの方も必死である。
チンピラむき出しで迫って来た。
間もなく賀句が現れ、事無きを得たが
このときのス●●シュの対応を
冨士夫は後になっても、ずっと怒っていた。

『ツバキハウス』の中は客でいっぱいだった。
それをかき分けるように楽屋まで行く。
入るとすぐにジョニー・サンダースが迫って来た。
「冨士夫と同じ目をしてる」
と思いビックリした。
目を見開いて近づいて来る感じがそっくりだったからだ。
ジョニーは冨士夫を見るなり、
まだ賀句が紹介しているのも
おかまいなしに部屋の奥の方に連れて行った。

「ハロー、オレ ジョニー。
トコロデ ナニカ モッテル?
ナイカ、OK、ワカッタ イイヨ!」

なんて会話があったかどうかは
定かではないが、
うがった見方をすれば
そんなタイミングですぐに戻って来た。

とにかくジョニー・サンダースは
スピードがついていた。
「どっちが早く巻けるか競争しよう」
と言うと、
テーブルの上に草をぶちまけ
ペーパーを1枚、冨士夫にも渡す。
「スタート!」のかけ声で競争をし、
結局ジョニーが勝ち
子供のようにはしゃいでいた。
すでに開演時間を過ぎていたのだろう。
周りはヤキモキしていた。

ス●●シュが僕らの行く手を
阻んだのもわかる気がした。

それから3年後の1988年2月、
今度は原宿クロコダイルに
「ジョニーを呼び出した」

その日の午後、
準備のためにクロコダイルに行ったら、
誰もいないステージに
一人の男が腰掛けていた。
「ジョニーのマネージャーなんだ」
と言う。
普段はグラフィック・デザイナーをやってるんだけど、
このツアーは特別に頼まれて来ているとのことだった。
パリッとスーツを着こなした
ナイスガイって感じの英国人だった。

その夜のクロコダイルは
溢れんばかりの客で満杯になった。
賀句から連絡があり、
「ジョニーが着くから裏口を開けておいてくれ」
と言うので、
店の裏口のシャッターを開けて待っていたら
あろうことか、やって来たのは
清志郎(忌野清志郎)だった。
今まで、ジョニーと一緒にイベントに出ていて
この後『Covers』のレコーディングに
ジョニーを連れて行くのだと。
そう言いながら楽屋に入って行き、
ジョニーが来ると思っていたTeardropsのメンバーを、
びっくりさせていた。

「フツー、ゲストっていうのは最後にやるもんだぜ!」
っとか言いながら清志郎がステージのしょっぱなから登場。
予期してなかった客は驚き、おおいに盛り上がる。
清志郎が『Stand by Me』を演り始めたタイミングでジョニーが到着。
ピンクのスーツでいきなりステージに上がると
サプライズ続きに、
客はとんでもないテンションになった!

青ちゃんは、大のジョニー・サンダース好き。
このとき、手ぶらでステージに上がったジョニーに
自分のギターを渡して、自分は客と化す。
なんという変わり身の早さか!?
ある意味、達人である。

反対に、単に見に来ていたチコ・ヒゲが
「オレも!」って言うもんで
「もう一人ゲストが来てるぜー」
と言う冨士夫のMCでステージに上がった。

グチャグチャだったが、
サプライズが上手く重なって
仕込んだのではできない
絶妙のライヴとなった。

そして、動き始めたばかりの
Teardropsにとっては
何よりの贈り物だったように思う。

冨士夫、青ちゃん、佐瀬、
たまにはそっちで、
セッションでもしてるのかい?

この夜を演出してくれた
今は亡きジョニーと清志郎には、
心の底から感謝しています。

ピッカピカダイヤモンドのように
ご機嫌な夜だったから…。

(1985年1月/1988年2月)

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