009『焼き芋』 おさらば

009 『焼き芋』 おさらば

やっと梅雨っぽくなってきたけど、
ここらでひとつ
季節はずれのホットな話を。
まだ冨士夫が免許を持ってた頃の事。
鎌倉の海岸通りを
よくドライヴした。

そんな、暮れも押し迫ってきた
82年の12月。
何かと慌ただしい季節に
冨士夫とエミリは引っ越した。
横浜に新居を構えたのである。

「クルマに絵を描いておくれよ」
と冨士夫が言うので、
休日の昼過ぎに
日なたぼっこをしながら待っていた。
間もなく、
自宅前の私道に冨士夫のクルマが入って来るのが見える。
「久し振り!」
なんて挨拶をしながら改めて聞く。
「ほんとに絵を描いちゃっていいの?」
「いいんだよ!特徴があったほうがいいんだから」
と、冨士夫はいたって大真面目だ。
そこで、僕はクルマのサイドに
大きなサツマイモを2個描いた。

そう、冨士夫は“焼き芋屋”になったのだ。
クルマとは“芋を焼く”荷車。
冨士夫専用らしい。

「一緒に売りに行かねぇか?」
と聞くので、
「もちろんだよ!一度やってみたかったんだ」
なんて言ってみる。

“〜石焼き芋〜♪ おいも〜♪”

エンドレスのテープを流しながら
ゆっくりと左端を走る。
これが、なかなか難しい。
一般車の邪魔にならないように気を使う、
と同時に客も探さなきゃならない。
鎌倉の若宮大路に差し掛かったとき、
「おっ!」とか言って
冨士夫がクルマを止めた。
バックミラーに客が映ったらしい。
僕もクルマを降りてみる。
後方30メートルあたりから
オバさんがこちらに歩いて来るのが見えた。
どうやらお客さんのようだ、
手を上げながら歩いて来る。
そこに、小走りに走りよって行く
冨士夫の後ろ姿が重なったとき、
オバさんの姿が消えた。
「あれっ?」
どうやら小路地に入ってしまったようだ。
冨士夫が首をかしげながら
こちらに向き直った。
戻って来て
「どうしたんだろう?」と言う。
しかし僕は見ていた、
オバさんが冨士夫を見て
一瞬たじろいでいるのを…。

「おどろいたんじゃねぇ?」
「何を?」
「冨士夫が走って行くからさ」
「ンなはずねーだろ!」
冨士夫は怒って否定したが、
あれは、たぶん、そーだ。

何度も言うが、
冨士夫はいたって真剣だった。
「焼き芋屋って意外と事業に失敗した人とかが多いんだ」
と教えてくれた。
頑張れば月に100万くらい稼げるらしく
“ガバッ!”っと、稼いで
“バシッ!”っと、やめちゃうらしい。
「冨士夫もそのテだね!」
っと言ったら、
黙って前を向いたまま運転をしていた。

銀座までも、行くと言う。
焼き芋屋にも
テルトリーがあって難しいんだとか。
「まぁ、今に見てなよ!」
鼻息は荒かった。

美味しい焼き芋を作るコツは
芋を湿気らせないことだ。
燃料の薪についても同様である。
「なんだか薪が湿気ってんな」
冨士夫が職人口調で呟いた。
「トシ!薪を探してくないか」
と言う。
「薪なら材木座に行けばあるんじゃねぇ?」
っていい加減なことを言ったら、
「そうだな」ってことになって
由比ケ浜の駐車場に行くことにした。

今と違って、当時の由比ケ浜は自由だった。
海岸の前には広大な無料駐車スペースがある。
そこにたくさんの人が遊んでいた。
冬だし、風は冷たいし、もうすぐ日が暮れるし、
焼き芋屋の登場には
パーフェクトなシュチュエーション。
実は此処に来るのも想定していた冨士夫は、
一本のカセットテープを出して言った。
「テープを変えます」

スピーカーから流れていた
“~石焼き芋~♪ おいも~♪” は、
“~ロッキン~♪ ロール~♪” に、
変わった。

それも、この曲は
「矢沢永吉じゃねぇの?」
「ほーだよ!」
冨士夫はしたり顔で言った。
「湘南って言ったら“永ちゃん”だろ!」って。
言わないだろ !?
間違ってるだろ !?
って言う間もなく若いこが集まって来る。
突然、焼き芋屋のクルマから
矢沢永吉が流れてきたんだからたまらない。
屋台の周りで踊り出した。
(当時は“タケノコ族”全盛期、
若い子はどこでもすぐに踊っちゃう!?)
でも、踊るだけ、芋は買わない。
あてがはずれた冨士夫さん。
テープの片面が終わったところで
“永ちゃん”をあきらめた。

結局、もとの
“~石焼き芋~♪ おいも~♪”
にしたら、すぐに家族連れが買いに来た。
そういうものなのです。

年が開けて、少したった1月のある日
エミリから電話がきたので聞いてみた。
「冨士夫はどぅ?
焼き芋屋で稼いでる?」
「まいったよ」と言う返事。
クルマのリース代、ガソリン代、
薪代、芋代を差し引いたら
売上現金が少なかったらしく
「現物支給とか言って、
大量の芋を持って帰って来たよ」
って呆れている。
瞬間、冨士夫の真剣な顔が
想い浮かび、
なんだか切ない気持ちになった。

結局、焼き芋屋で
“ガバッ!”っと、稼ぐ夢は、
“バシッ!”っと、駄目だったが、
間もなく冨士夫とエミリは
高円寺に引っ越した。

横浜のアパートが火事になったためだった。
「火元は別部屋の住民」
と聞いてほっとした。
冨士夫たちも住み始めた
ばかりだったので、
たいした家財道具もなかったのが
不幸中の幸いだった。

ただ…
僕は想像してしまった。
部屋の中に転がる
たくさんの焼き芋を。

梅雨にホットなお話でした。

(1981年冬〜1982年初)

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