069『ドロップアウト』 知らんぷり

1990年3月19日、
冨士夫とエミリがタイからご帰還あそばした。
サムイ島では何やらドタバタ劇があったらしいが、
それはまた、エミリちゃんにお聞きするとして、
よもヤバ話を先に進めようと思う。

「ソ連のゴルビーっていうの?大統領になったね」

カズが世間話のように時事ネタをのたまう。
3月15日、ソ連の臨時人民代議員大会でゴルバチョフが
初代大統領に選出され就任したのだという。
ここからイッキに東側諸国は変動していくのである。

「随分と難しいこと言ってるじゃん」

そう言うと、
澄まし顔のカズはスポーツ新聞を広げながら、
事務所の奥にある六畳の間で
猫のようにゴロゴロとしているのだった。
そもそもこの事務所、
初台に住むバンドメンバー全員が来れるようにと
商店街わきの住宅地に借りたものだ。
見つけてきたのはカズである。

木造モルタルの安アパートの2階。
風呂もなく、六畳2間のシンプル・スペース。
音がもれるので楽器を弾いたりもできない。
机ひとつとラジカセが存在するだけの
典型的な昭和レトロだったのだ。

これで近所に神田川でも流れていれば、
石鹸がカタカタ鳴るのであろう。
まさに、タオルをマフラーにして
貧乏に酔うことができそうだ。

日当りは良かった。
商店街から続く道に面しているので
駅からも離れてはいない。
しかも、住所が渋谷区なのだ。
位置的にはどう見ても中野区か新宿区なのだが、
初台は奇跡的に渋谷区なのであった。
音楽事務所的には渋谷区のほうが聞こえが良い。
アパートの名前も青山ハイツといった。

「なんか、渋谷にある青山のマンションっぽくねぇ?」

そんなわけのわかんないコトを言って、
みんなに無視されたのを憶えている。

しかし、困ったこともあった。
仕事相手を呼べないのだ。
そのころ僕は、某出版社から創刊される
情報月刊誌のタイアップ広告を頼まれていた。
少し前に出したビートルズの本が
完売になったので依頼が舞い込んだってわけだ。

しかし、この昭和レトロでは
どうにも会議の恰好がつかない。
割れたお茶碗で日本酒でも呑みながら、
貧乏自慢をしても仕方が無いだろう。

「御社で企画会議をやりましょう!」

血気盛んな出版営業の若僧が勇んで言う。
こちらも若僧ではあったが、
ゲリラ戦を得意としていたので、
彼らとはひと味違う戦術を持っていた。

エアコンが不調ということで、
(本当は、事務所には石油ストーブと扇風機しかなかったのだが)
近くのシティホテルのラウンジなどで、
打ち合わせをセッティングしたのだ。
どうせ支払うのは版元である。
一杯1000円もするかというカフィを飲みながら、
至福のひとときを過ごすのであった。

しかし、結局のところ、この仕事はすぐに終わる。
僕自身の時間がとれなかったのだ。
このあと始まった『Mixing Love Tour』に謀殺され、
まったく出版社に出向く事が出来なくなったのだ。

「事務所が出来たのならファンクラブでも作ろうぜ」

ファンクラブだって?
もと村八分の方がおっしゃる発言とは思えない。
時代が変われば人も変わるのである。
鼻息も荒く、山口冨士夫はこのファンクラブを
『Dropout/ドロップアウト』と命名した。

Teardropsのdropから取ったことは言うまでもない。
それを Dropoutにひっかけるとは!?

「う、、上手い!」のか!?

このベタな直球を、
メンバー全員が唖然として見送った。

さて、Teardropsオフィシャル・ファンクラブ
『Dropout/ドロップアウト』は会員制であった。

確か年会費3000円だったか?
そこら辺の記憶は定かではない。
会員は300人だったか500人だったか
とにかく一万人はいなかっただろう。

年会費を取る代わりに会報を作ったり、
先行チケット予約をしたり、
ファンクラブだけの感謝祭をしたりした。
ここら辺を仕切ってくれていたのは、
ファンクラブの会長、サザエ(通称)である。
サザエがいてほんと、助かった。
ずっと笑顔でみんなをまとめてくれていた。
最近でも、人生のご意見番のように
時おり現れたりすることがある。
愉しそうに旅行したりしているFBを見つけると、
なんだかこちらも“ホッ”としたりするのだ。

さて、事務所の話題に戻そう。
約3年間借りていたこのアパートの一室に、
いちばんたたずんでいたのは誰だったのか?
バンドメンバーは用があるときしか来ない。
僕は昼頃に行って、
すぐに打ち合わせに出ることが多かった。

「あさ10時には出社するように」

冨士夫の要望はごもっともであったが、
コッチもフリーで仕事をしているクセが抜けない。
自宅で制作作業などをしているもんだから、
ついつい事務所に行くのがルーズになってしまう。

結局はローディのオオジやダボが、
その場に応じて電話番をしてくれていた。

「俺たちは同じ船に乗っているんだ」

冨士夫の唱える人生のスローガンが、
いよいよ現実になってきたのである。
ただ、その船は昭和レトロなモルタルアパート。
新しく入って来たデザイナーの中村も合わせると、
9人が乗船していたのである。

「こりゃあ、ちょっと重たいぞ」

船を動かす燃料代がかさみ、
荒波がきたらひっくり返りそうだ。
それでも前を向いて必死に進む。

気がつくと港から入り江を抜け出し、
大海原に向かって進みつつあった。
ウチらと同様の船が
何隻も航行しているのが見える。

青い空と透き通った海。
遥か遠くにはクルーザーでパーティをやっている
ニューミュージックな輩も目に映る。

振り向くと、
もの凄い数の船が港から出航してくるのが見えた。
これじゃあ、余りの船の多さで
海面が見えないではないか。

「ありゃあ、イカ釣り船だな」

このところ、冨士夫に代わって
舵を取ることのある青ちゃんが、
くわえ煙草で言った。

見ると、何百というイカ釣り船が
狭い入り江を埋めつくし始めている。
次から次へとイカを釣っては、
天ぷらにあげているのである。

「ああなっちゃ、ロックも終いだな」
冨士夫があきれたように言うと、

「ハナっからこの海峡には、そんなのねえんだよ」
と、青ちゃんが言葉を吐き捨てた。

1989年から始まった
TBS『いかすバンド天国』は、
“イカ天”と呼ばれ、
世間に安易なバンドブームを巻き起こした。
1990年いっぱいまで続き、
846組のイカ釣り船がブームに参加している。

…………………………………………

「ところで、オオジとダボは“イカ天”には出ないのかい?」

事務所で片付けものをしているオオジに聞いてみた。

オオジはギター、ダボはドラマーだ。
高校を卒業してすぐウチのライヴを見に来たばかりに、
青ちゃんに拉致られ、
成り行きでTeardropsのローディになっていたのだ。

「出ないっスよ!あんなの。
トシさん、それより
トイレをキレイに使ってください」

オオジはあきらかに僕に対して怒っていた。
トイレがつまってしまったのだ。
流すためのスッポン棒(ラバーカップ)を買って来ると言う。
“バタン”と、音を立ててドアを閉め、
外階段を降りて行く音がする。

そっと、道側の窓から覗いて見た。
商店街に向かって走り去って行く
オオジの後ろ姿が見えた。
ふと見ると、その横を数人の女の子たちが
こちらに向かって歩いて来る。
高校生くらいだろうか?
何とも愉しそうな年頃である。
そう想いながら、
早春の陽気にのどかな気分で眺めていたら、

「ここら辺じゃない」

その女の子たちが窓の下で立ち止まった。

「違うよ!ここにはアパートしかないじゃん」

ヒヨコみたいにキャピキャピとした
黄色い声でさえずっている。

トッサに窓辺から情けなく身を隠し、
大きく耳をそば立てた。
時おり聞こえる話の内容からして、
あきらかに彼女たちが
此処を目指しているのが解ったからである。

つまり、彼女たちはドロップアウトの会員様たちなのだ。
ハガキにある住所をたよりに、
訪ね寄って来てくれたのだった。

『やぁ、むさ苦しい事務所にようこそ!
汚いアパートで驚いたかぃ?』

と、窓から身を乗り出して、
下に向かって明るく言い放ってやろうか?

それとも、外階段をコンコンと下りて行って、

『キミたちが探しているのはコレかい?』

とか言いながら新しいCDのサンプルでもあげて、
驚き歓声をあげているどさくさに
近くの茶店でお茶を濁してしまおうか?

とか、あれこれ考えているうちに
少しばかり時間が経ってしまった。
その間に下に溜まっている少女たちのザワザワ感が
はんぱなくなってきたのだ。

「誰かに訊いてみようか?」

などと言っている。

“まずいぞ、ナントカしなきゃ!”

そう思い、
思わず2階の窓から身を乗り出した、
その時である。

「トシさ〜ん、買って来ましたぁ!」

ドロップアウト女子たちの後ろに、

スッポン棒を高らかにかかげながら、
嬉しそうに走って来るオオジの姿があった。

(1990年3月)

069

Follow me!