087『梅雨の手紙』ひとつ/山口冨士夫

あの年は、珍しく長雨が続いていた。
降水量も多く、160%だという。
そんな、傘をさすのも
おっくうになるような
1985年6月の終わりに、
雨粒に濡れて、
少しばかりよれた封筒が届いたのだ。

冨士夫からだった。

分厚くふくれた封の姿に
多少なりともたじろぎながら、
中身を引きずり出してみた。

10枚はあるだろうか!?
三つ折りの横書き便せんの束を広げると、
意外と元気の良い文章が目に映った。

『トシ、元気でやってるかーい フジオです。
すっかり夏めいてきたわりには、
雨ばかりの毎日で、
まさか、しけてるんじゃないだろうね!』

冒頭からそう始まる手紙には、
暗さの欠片も見当たらない。

『身体やハートの調子は如何ですか?
仕事は多忙なのですか?
しばらく手紙が来ないから、
忙し過ぎるのではと案じております』

って、心配してくれてる?
……のである。
この冨士夫の図太さがありがたい。
ソコからコチラを気にしてくれるなんて……。

窓の外に目をやると、
相変わらずのしけた雨が、
まさかのように降り続いている。
思い起こせば冨士夫は雨男だった。
´84年のライヴなんて、
1月から4月まで、
連続して雪が降ったのである。
雨ならまだしも、雪なのだ。
3月までなら雪もあり得るけど、

「4月に降ったときには、さすがに笑うしかなかったね」

そう言って当時スタッフだった安井は、
(現“ 藻の月 ”のベーシスト)
あきれたように思い出し笑いをした。

´88年8月8日の『命のまつり』も雨だった。
´89年の『本牧ジャズ祭』なんかは、
ステージ前に大雨が降り中断になった。
“ 感 電 す る 恐 れ が あ る ”
というので、そのまま中止になったのだが、
大勢残った客を目の前にして
納得のいかないバンドは、
アンプなしのカラ音で演奏を始めた。
ドラムの佐瀬が水しぶきを上げる。
その中を拡声器を持った冨士夫が躍り出た。
めったにない良いステージの出来上がりだ。
音は耳で聴くとは限らないのである。

「冨士夫は本当に雨男だよな」

そんな風に、
晴れ男の青ちゃんが言うと、

「俺じゃねぇだろ、トシじゃねぇのか?」

と、お鉢が廻ってくる。

ソコで止めておかないと延々と続くことになる。
だから、ぶぅっとして黙るのだが、
皆さん、冨士夫が雨男なんですよ。
そう心の中で呟いたりしたものだ。

手紙の内容を続けることにする。

『それにしても、もう飽きたよ、
この宙ぶらりん生活。
いくら勉強したり考える時間が持てても、
ソレがシャバで通用するかどうか、
わかりゃしないんだからツライぜ。
でもさ、また本を差し入れてくれよな、
どうせなら、たくさん勉強したいからな』

本の差し入れは月に何冊までだったのだろうか?
今となっては憶えていないのだが、
冨士夫からは常に3冊ずつ要望があったと思う。
それも、聞いたことのない哲学書や、
宗教、心理学の類いが多かった。

“こんなもん、本当に読めるのかいな?”

そう思いながら新宿紀伊国屋に行った。
そこらの本屋では売ってなかったのだから。

それらが、次のような手紙の内容に
つながったのかも知れない。

『今は、すごく平静です。
ほとんどのことって、大騒ぎするに値しないね。
そのように、つくづく想うのです。
自分の感情や物事のスケールが見えてきたよ。
意外と何でも無いことで、
我を忘れて泣きわめくことが
多かったように想います。
都会の暮らしって、
注意しないとすぐに流されてしまうね。
感情的にも……常に追われている。
だから、逆に“今、大切なものは何なのか?”
それがハッキリと感知できるよ。
地味ながらも一見して何でも無い日常的なものが、
あたたかくて、掴みがいがあるんだ。
掴んだら離さないようにしないとね、
そんな気持ちが持てそうです』

オイオイ、本当に?
という文章が続くのだが、
コレもまた冨士夫なのである。
姿勢良く正座して読書をする、
生真面目な、その横顔を想像する。

実際に知能指数が高く、
(収監されるときに適性を計るのだそうだ)
作業場ではなく製品管理の役割に付いた、
と弁護士の先生に聞いた。

ヘンテコな話だが、
そんなことでも自慢話になった。

「冨士夫、どーしてる?」

って、訊いてくる仲間たちには、
必ず、そのエピソードを話した気がする。

『いま、本来の自分が見えてきているんだ。
それまではドタンバタンだった。
それじゃ駄目なんだな。
やはり静けさの中に見えてくるもんなんだ。
これからは、ソコのところで勝負したい。
この見えたものを確かめながら
これからは生きていくつもりです』

さて、ココからが手紙の本題に入ってくる。

『これからの俺はきっと、
今までより大きな愛情を持って
みんなと付き合えるし、
音楽にも精を出せる。
そんな何かが、たったいま、
自分の中で育っています。
すごく、何というか、
偉大な力といえばいいのかな?!
もうひとりの自分といえばいいのか、
とにかく、流れは変わった。
あまり言うと、口からせっかく出たものが
全部、むやみに流れ出ちゃいそうなので言わないけど、
トシ!いいか、俺はこんどこそやるゼ!
勝ち目は充分にあるってわかったゼ!
頑張ろうゼ!』

“ 何 を 根 拠 に ? ”
は別にして、ポジティブなのは良いことだ。
興奮すると『ゼ!』を連呼するのが冨士夫なのである。

『トシとは一生のつき合いになりそうだな!』

手紙は僕の話になっていく。

『トシには絵を描いて欲しいと想う。
例えば、そういうことが必要なんだ。
少なくとも今はマネージしている
時間の流れを塞き止めて、
自分のためにたっぷりとした、
湖のような時を創って欲しい。
それがなければ前に進まないってわかってるんだ。
だって、この湖から、
沢山のアイデアや鋭気が湧いてくるんだもの』

いやぁ、湖なんておこがましい。
考えもしなかったが、
この手紙を読んだ数カ月後に、
僕は会社を辞めた。
(別に絵を描くためじゃないけどね)

たまっていた有休と夏休みを利用して、
数週間イギリスに遊びに行ったら、
会社に居づらくなったのである。

『俺のような不勉強な人間が、
偉そうなこと言ってるよね、いつも。
だけど、俺は自信を持ってる。
決して自信過剰じゃないぜ√
反面謙虚さも持っているつもりだ。
さて、今度シャバにでたら、
その日から色々とやることがあり、
大変な事になるのは承知している。
そのときこそ、いや、その瞬間から、
自分との勝負が始まるんだ』

実際に冨士夫が世間に現れるのは
12月になるのだが、
そのタイミングで鮎川さんとシーナとの
対談をセッティングしていた。
そこからシナロケとのジョイントが始まり、
冨士夫自身のシーンも変わっていくのだが、
勘のいい冨士夫はこの時から
それを予感していたのだ。

『トシ、できれば 毎日1時間でも
静けさに浸る時間を持ってくれ。
それ以上に話す言葉はほとんどない。
っていーながら、話し過ぎる俺です。
頼むから何もしないで、
ただ静かにしている時を持って欲しい。
そうすれば、ほんとうに必要なことが
見えてくるはずなんだ。

いずれにしても、またすぐに会えるさ。
それまで元気で頑張ってくれ。
楽観的に総てを良くとりましょう。
思い込みもまた救いです。

今の俺には、
静けさこそが友達でもあり、
師なのです』

【1985/6 ふ】

〜追伸

『くっきりとした夜明けに』静けさの中で読んで欲しい。

目覚めたあとの静けさが
オレを包み込む明け方は
何もかもが満ち足りて
雲ひとつない心をひたすのだ

たっぷりと呼吸する
オレの中心は 今 ありありと
ひらめきに満ちて
朝の光と 同化する

(親愛なるトシに 心を込めて)

…………………………………………

この手紙をもらったとき、
僕は30歳に手が届いたばかりだった。
広告の仕事に携わり、
デカイ会社のデカイ窓に映る、
コマネズミのような自分が、
妙に気に入っていた。

冨士夫のいう湖は見た事もなかったし、
その時の僕には、
目を逸らすべき発想だったんだと想う。

【24時間働けますか!】

という時代である。
目を閉じてジッとしてるなんて、
コワくてできたもんじゃない。

だけど、こんな風にいうのもヘンだが、
僕はよっぽど冨士夫が好きだったんだろう。
あんなにノッていた仕事を、
イギリスに遊びに行くことを理由に辞めてしまった。

「トシが会社を辞めてくれたからな!」

フリーになった僕を、
冨士夫は心から歓迎してくれた。
シナロケとのジョイントを受けてくれたのも、
そんな気持ちからだったのかも知れない。

でも、ほんとうはあのとき、
雨に濡れて少しよれた手紙を目にして、
何かが心をよぎったのだ。

毎日の忙しさの中で、
とりかえしのつかない時間も、
くしゃくしゃになった想いも、
降り続く雨粒のように流されていたけれど、

そんなどうしようもない風景の中で、
“ふっ”っと、届いた冨士夫の手紙は、
梅雨の晴れ間のようなものだったんだ。

「人生は、時に、そんな瞬間が変えていくのだよ」

少し酔いながら、
偉そうに、そっと呟いてみた。

(1985/6)

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