089『ジニーの『リゾート』/その1』one more time (Them cover) from リゾート(山口冨士夫&加部正義) live 1976(2CD)

1976年8月、
約40年前の夏の終わりに、
渋谷のエピキュラスで
『SWITCH-ON!(スイッチオン!)』という
音楽イベントが開催された。

仕掛けたのは岩田鉄太郎なる人物である。

「岩田鉄太郎っていうのは、
私の知ってる限りは画家だね。
油絵を描いていた」

そう言って、ジニー(※1)が肩をすくめる。
しばらくぶりに会ったジニーは、
驚くほど昔と変わりなく、
時差のない雰囲気で笑顔を見せた。

この7月は、ジニーに会うことから
はじめることにしたのだ。
夏の始まりにはちょうどいい。

「東京から京都の時代まで、
冨士夫のシーンなら、何んでも知ってるぜ」

そう言って鼻を鳴らすジニーと、
冨士夫の面影を肴に
阿佐ヶ谷で呑むことにしたのである。

「まずは『リゾート』話から訊きたいんだろ?」

そう言いながら、
ジニーは冷たい生ビールで喉を鳴らした。

「『リゾート』ってさ、
冨士夫が京都から東京に戻って来たときには
総てが設定されてたみたいなことを言ってたけどさ、
それは間違いではないけど、
誇張し過ぎだと思うね。
確かにね、岩田鉄太郎っていう奴が
用意周到に絵を描いちゃって、
マーちゃん(加部正義※2)と
冨士夫が組めば面白いんじゃないか
というプロデュースから、
物事が始まっちゃってるところがあるけどな」

『村八分』の第一幕が終わり、
冨士夫自身も次のシーンを模索していた時期である。
東京と京都を行き来しながら、
様々な人間関係や、それにつきまとう
あらゆる“モノ”に翻弄されていた時でもあるのだ。

気の休まらない日々の中で、
先を急ごうとする冨士夫を想像する。
冨士夫本来の優しさや気の弱さに、
チャー坊の持つ毒のある華が加わり、
この頃の冨士夫は、ある意味において
得体が知れない存在になっていたのだろう。

「岩田鉄太郎が画家だって言ったけどさ、
ようはアーティストだったんだよ。
それで、いろいろとプロデュースしてたんだと想うよ。
もともとは東北のほうの
裕福な家に育ったっていう話は聞いたことがある。
あの頃、信じられないかも知れないけど、
渋谷の公園通りのジャンジャンの向かい側なんか、
まだ都営団地だったのよ。
公園通りの左側にパルコができたときにも、
道を挟んだ右側はまだ団地だった。
そこに岩田鉄太郎の事務所があったんだ」

出入りしてたのは、街売りのヒッピー連中。
それと、尖ったアーティストたち。
そして、その中にミュージシャンたちもいた。

「シナロケ(サンハウス?)
とビショップ(※3)なんかが
来てたのを憶えてるよ。
渋谷が今みたいになる前だからさ、
街売りのヒッピーとかがたくさんいるわけさ。
そんな連中もタムロしている。
冨士夫とチャー坊の出会う、
当時の新宿なんかもそうなんだけど、
今でいうさ、秋葉の萌え系とか、
渋谷のニューミュージック系とか、
原宿のオシャレ系とかを乗り越えた、
もっと尖った街だったのね、当時の渋谷は」

40年前を思い起こす限り、
世間は限りなくアナログな世界で、
情報はまだまだ風に乗って流れていた。
そんな噂とホントを集めた情報誌『ポパイ』が
この年に創刊され、
´74年に発行された『ぴあ』を合わせ持って、
若者たちがイベントを貪(むさぼ)っていく。

若いアーティストたちが、
名の有る無しに関係なく
個性を主張した時代である。
歌える者は歌を。
描ける者は絵を。
そして、金を持っている者は、
それらのバックボーンになっていた。

「岩田鉄太郎は付き合っている連中が凄かった。
一緒に居て、なんか、わけわかんなかったよ」

そう言って、チューハイをあおるのはチコヒゲ(※4)である。
岩田鉄太郎の話を振ってみたら、
彼も、当時のそのシーンの
真っただ中にいた一人だったのだ。

「俺はレックやヒゴくんと三分の三をやってた。
『SWITCH-ON!』のネーミングは、
確かレックが付けたんじゃないかなぁ!?
とにかく、そのくらいに入り込んでたよ。
鉄太郎は田園調布か中目黒に一軒家を持っていて、
外車を乗り回していたイメージがあるよ。
金もあったけど、行動力も凄かった。
俺たちがデビューするときなんか、
ポンっと、青山ホール(会館?)かなんかブッキングして、
涼しい顔してるんだ。
金に対する価値観がちょっと違うんだよな」

やはり、違うシーンからではあるが、
そこに入り込んできたのがビショップである。
九州出身のビショップは、
サンハウスが上京する強いパイプ役でもあったのだ。
鮎川さんやシーナが岩田鉄太郎の事務所を出入りしていたのも、
おおよそ、そんなところからなのかも知れない。

とにかく、´76年頃は、
日本のカルチャーシーンの変動期だったのだ。

つまり、そんなタイミングでの、
『SWITCH-ON!(スイッチオン!)』
というコンセプト。

政治や国の在り方に石を投げていた学生たちも、
欧米に憧れてヒッピーを夢見たフーテンたちも、
改めて足元を見直す時だったのである。

「ポスター(フライヤー?)なんか、
石丸しのぶがデザインしてるんだけど、
『スイッチオン!』だからって、
スイッチが描いてあるだけのビジュアルなんだ。
そこに『ON!』って描いてさ、
総てがアート作品を作るように進行していくんだよね」

そう言って、ジニーは席を立った。
日のあるうちに『オケラ長屋』を
見に行こうという事になったからだ。

せっかく阿佐ヶ谷に来たのだから、
「冨士夫を偲びに行こう」
というわけである。

そう言いながら僕らは店を後にした。
中杉通りから一本左に入った
一方通行の旧商店街を歩きながら、
再びジニーが話を続ける。

「『リゾート』は、
岩田鉄太郎のイベントに出演するために
作られたバンドなんだよ。
だから、そのイベントが終われば終了さ。
私はそんな感じで捉えてたけどね」

緩やかな坂を上りながら
北へと向かう狭い旧道を歩く。
日が傾いてきたために
多少なりとも暑さが凌げた。

「こんなに遠かったかなぁ」

そうジニーが呟いたとき、
左の路地に『オケラ長屋』が見えてきた。
と、いってもすでに長屋はなく、
その跡地には、団地のような
一連の建物が建っているのだ。

その小路地を隔てた向かい側には、
『聖友ホーム』の塀が続いている。
冨士夫の育ったホームである。

とたんに『聖友ホーム』から出て来る
おとなしい男の子を妄想した。
子供の頃の冨士夫である。
周りで騒いでいるワルガキ共とは別に、
ホームの先生たち囲いだ。

その冨士夫にギターを差し出して、
嬉しそうに弾いてみせているのは、
中学生になった時の吉田くん(※5)である。
同い年の冨士夫も
なんだか愉しそうに笑っているみたいだ。

二人して『オケラ長屋』に入っていくと、
二級上の瀬川くん(※6)がくわえ煙草で出て来た。
アンプを運んでいるのだ。
三級上の野村くん(※7)も
ドラムセットを運んでいる。

『ダイナマイツ』専用の中古のバンで、
米軍基地にでも演奏しに行くのだろう。
瀬川くんの姉さんやら、
取り巻きの人たちで、
この狭い路地がにわかに華やいでみえる。

『トンネル天国』の大ヒットは、
オケラ長屋の不良を
いっときでも地元のヒーローに押し上げた。
まるで阿佐ヶ谷の七夕祭りのように、
人々が集まりオケラ長屋を覗いていく。
それは、天敵だった警察官たち(※8)でさえ、
笑顔にするほどの出来事だったのだ。

そんな事を妄想しながら、
この狭い路地に物語を作っていると、

「わかった、この公園がオケラ長屋の入り口だったんだ」

『ダイナマイツ』の後期、
冨士夫の部屋に来た時のことを
思い出していたジニーが、
やっとのことで
イメージの配線をつなげたのだった。

どうやら、現在は児童公園に
なっているスペースが、
冨士夫が住んでいた三畳間だったらしい。

「どうせなら供養しようぜ」

と言うジニーに合わせて
僕らは通りに向かって手を合わせ、
想い想いに冨士夫を偲んだのである。

駅からの道を戻りながら、
肝心なことをジニーに
訊いてなかった事に気がついた。

「ところでさ、ジニーが『リゾート』をやるきっかけは何だったの?」

ジニーはコチラには向かずに、
ゆっくりと歩きながら答えた。

「電話がかかってきたんだよ、
ビショップから。
冨士夫が厳選したって言うんだ。
ベースは私だって。
きっとさ、スケジュール的に
タイトじゃない奴。
それでいて冨士夫にとっても
やりやすい奴っていうとさ、
限られてくるわけさ。
邪魔にもなんないって
いうところまでいくと、
ほとんど私だよね」

そこで初めてジニーはコチラに向き直り、
口角を極端に上げて笑ったのだった。

そして、ほとんど沈みかけた夕陽を背に、
逆光になった恰好で言葉を続けた。

「音ってさ、不思議なもんだよね。
『リゾート』の音源を聴いて、
当時を思い出そうとしたらさ、
ハウリング気味になったりする瞬間に、
時間が戻ってくるのを感じるんだ。
それは、実に不思議な感覚、
言葉よりも確かな事実なんだよね」

阿佐ヶ谷の街にチラホラと
灯りがつき始めている。

「さっ、もう少し呑みながら冨士夫を供養するか」

そう言うジニーと僕らは、
まるで灯りに飛び込む夏虫のように、
店から店へと渡り行くのだった。

(まさか、翌朝まで飛ぶとは知らずに……ね…。次回につづくのである)

(1976年〜今)

※登場人物がわからんという人のために〜

(※1)ジニー(小林英男)→冨士夫の古くからの友人。博学、オシャレ、ミュージシャン。『リゾート』のベーシスト。コッペと呼ばれてたときもあった。

(※2)マーちゃん(加部正義)→言わずと知れた、ゴールデンカップス/ピンク・クラウドなどでブリブリいわせた、日本を代表するミュージシャン。『リゾート』ではギターを弾いた。

(※3)ビショップ→ウェストロード・ブルースバンド/Sケンバンドなどでも叩いていた九州出身のミュージシャン。『リゾート』のドラマーであり、結成時の中心人物である。

(※4)チコヒゲ→三分の三/フリクションのドラマー。冨士夫の友人であり、プロデューサーであり、良き理解者でもある。

(※5)吉田くん(吉田博)→『ダイナマイツ』のベーシストで幼なじみの同級生。オケラ長屋の住民。8/10の『fujioトリビュートバンド』にも参加している。

(※6)瀬川くん(瀬川洋)→『ダイナマイツ』のヴォーカリストで絶対的リーダー。冨士夫がアタマが上がらない中学の先輩でもある。オケラ長屋の住民。

(※7)野村くん(野村光朗)→『ダイナマイツ』のドラマー。瀬川くんよりさらに1級上の中学の先輩でもある。オケラ長屋の住民。

(※8)天敵だった警察官たち→「だって、遊びが少なかったんだから」というひどい理由で、瀬川くんを中心とした『ダイナマイツ』は、オケラ長屋通りをパトロールする警察官に石をぶつけて遊んでいた。

PS/

皆さん、暑い日が続きますが、
いかがお過ごしでしょうか?
暑中お見舞い申し上げます。

さて、8月10日まで
今年もあと10日と迫ってきました。

当日は、

【リゾート<山口冨士夫+加部正義> live 1976(2CD) 】
【山口冨士夫/So Whatこぼれ話(冊子本)】

も販売致します。

家族、兄弟、友人、知人、
そこら辺の他人までも誘って、
この夏の暑気払いにご来店ください。

山口冨士夫 生誕68年記念
映画『皆殺しのバラード』特別上映会

日時:2017年8月10日(木)
会場:高円寺ショーボート
料金:前売2000円+drink/
当日2300円+drink
開場19:00/開演19:30

【出演バンド】
◆DIAMONDS
Vo.G.エミリ/B.AMI/G.オス(The Ding-A-Lings)/G.ナガタ(The Ding-A-Lings/dip)/Ds.ナカニシ(dip)
◆fujioトリビュートバンド
Vo.G.延原達治(THE PRIVATES)/Vo.B.吉田博(ザ・ダイナマイツ)/G.P-Chan(ブルースビンボーズ)/Ds.ナオミ(ナオミ&チャイナタウンズ)

【映画上映】
◆ライブドキュメンタリー映画『山口冨士夫/皆殺しのバラード』
【撮影・編集・監督】川口潤

お問い合わせ
<高円寺ShowBoat>
杉並区高円寺北3-17-2 オークヒル高円寺B1
電話:03-3337-5745
<ShowBoatホームページ>
http://www.showboat1993.com/

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