093『BO GAMBOS』BO GUMBOS with 山口冨士夫 / I’M A MAN

1990年9月8日金曜、
代々木公園の野外音楽堂で、
『BO GAMBOS』の
フリーコンサートが催された。

そのステージに、前話『命の祭り』での冨士夫とは
まるで別人になった山口冨士夫が登場する。

もっとも、この前日には
『TEARDROPS』のクラブチッタ公演があり、
緊張の糸がうまいこと繋がっていたのかも知れない。

「ガンボスの奴らは派手だから、少し抑え気味でいくか」

あえて、カジュアルな白シャツに
黒いパンツという出で立ちで、
テンション抑え気味の冨士夫が、
楽屋を出てステージに向かった。

9月とはいっても日差しは、
まだ夏そのものだった。
時おり、公園のケヤキ並木通りの方から吹く風が、
爽やかな感触を与えてくれる。

野外音楽堂の白い半円形のステージは、
『BO GAMBOS』の演出により、
無国籍な空間に仕上がっていた。
その袖口から、今、まさに、
冨士夫が現れようとしているのだ。

僕は、冨士夫の後ろに付いていた。
ボクシングのセコンドじゃあるまいに、
そんなことをしても役立たずなのだが、
寸前に何を所望するか、
わかったもんじゃない、ってのもある。

早い話、出て行くときの臨場感がたまらないのだ。
ちょっとした映画のようでもある。
主人公の冨士夫が、
これまた、カッコつけるから面白いのだ。

「ハナっから、飛ばしちゃってもいいかい?」

くわえ煙草をコチラによこして、
残り煙の筋を引きながら、
あの山口冨士夫がステージへと出て行く。

瞬間、
“ ワァーっ ” という歓声と共に、
冨士夫の肩越しに、
見渡す限りの人波が揺れている。

その前で、ピノキオのような笑顔をしたドントが、
冨士夫に向かって駆け寄って来るのが映った。

…………………………………………

前にも話したことがあるが、
冨士夫がドントや永井くんと知り合ったのは、
仙台で行われた『R&Rオリンピックショー』である。

打ち上げの席で冨士夫が一石ぶった、
本気で下手なジョークに、
ドントと永井くんが引っ掛かってきたのだ。

互いが京都になじみ深いことから、
3人はすぐに意気投合。
『村八分』伝説もなんのその。
ブルースだろうが、エスニックだろうが、
何でもござれの新しい世代の音楽に、
冨士夫も興味津々だったのである。

「往年のR&Rナンバーを一緒に演らないか、って永井くんから電話がきたんだ」

出会って早々だったのだが、
ローザ・ルクセンブルグの
ライブイン公演へのお誘いがあった。
当時、ドントや永井くんがやっていた、
何とも不思議な世界観を持つバンドのライブである。

「面白そうだから演ることにしたわ」

冨士夫としては、とても珍しいことだった。
シーナ&ロケッツ以外のゲストは、
ついぞ、受けたことがない。
(身内のフールズは別としてね)

会場に行ってみると、
ただでさえ背高ノッポなのに、
20センチはあろうかという
ヒールを履いたドントたちがいた。
それがローザ・ルクセンブルグである。

冨士夫は、そのメルヘンチックでもある、
不思議な世界に招かれた珍獣のようだった。
失礼ながら、妄想好きの自分には、そう見えた。
そのコントラストがことのほか、面白かったのだ。

ところで、ドントたちと
冨士夫のバイブレーションは
ハナっからしっくりといっていた。
深いところでのやり取りは、
他人には計り知れないが、
端から見ると、出会いからの
成り行きはバッチリだったように思える。

きっと、お互いにリスペクトできる
状況だったのだろう。
世代が一巡していたのも
良かったのかも知れない。
プライベーツの延ちゃん(延原達治)なんかもそうだが、
冨士夫にとって、
多少の辛辣な言葉や意見も、
本人が笑いながら受け入れることができたようだ。

「アイツ、俺のことをこんな風に見ていやがるんだ」

内容はたわいもないので伏せるが、
そんな風に肩をすぼめて
笑っていた冨士夫を思い出す。

いっぽう、ベースの永井くんなんかは、
単独でよく冨士夫ン家に遊びに来ていた。

何をするんでもない。
何を話したかったのでもない。
特に何の用事もなかったのだろう。
手ぶらで床に座りながら、
実に愉しそうにしている永井くんを見かけた。

終いには、冨士夫の作る
グツグツにのびたラーメンを出されて、
それを実に美味そうに喰っていた。

あれが美味いと思った瞬間から、
魔法にかかっていくのである。
そんな輩を何人も見ている。
もちろん、僕も遠い昔に経験していた。

この頃の冨士夫は、とても穏やかだった。
ナチュラルだったから、
相手を気使う想いに溢れているのだ。

TEARDROPSは、
そんな冨士夫から生まれたバンドである。

そのTEARDROPSが生まれる少し前に、
ドントと永井くんは、
ローザ・ルクセンブルグから、
『BO GAMBOS』に変身していた。

「冨士夫さんと知り合わなかったら、ローザをずっとやっとったかもしれん」

と、当時のインタビューで
ドントは応えているが、
何か新しい音楽を作るタイミングが
二人を出会わせたのだろう。

そこにDr.Kyonも登場する。
ガンボ・ミュージックの要(かなめ)である。
キョンは、ギターを弾き、
アコーデオンを奏で、ピアノを連打した。
ある意味、無国籍で自由な発想の
ドントと永井くんを導く
存在感があったように想える。

キョンはTEARDROPSにも自然に加わってくれ、
まるでメンバーのようでもあった。
バランス感覚にたけていて、
TEARDROPSの音楽性を
瞬時に理解して演奏をしてくれたのだ。

こうして、想い起こしてみると、
僕らには『BO GAMBOS』が欠かせなかった。

『BO GAMBOS』が話題性に溢れた
快進撃を行うと、それに乗じた。

「瀬戸さん(ガンボスのマネージャー)、TEARDROPSも推薦しておいて」

『BO GAMBOS』に依頼のあったイベントには、
僕らも参加できるようにお願いしたりした。
『BO GAMBOS』が渋谷クアトロを満杯にすると、
TEARDROPSもクアトロをブッキングして、
何かと後追いをしたものだ。

…………………………………………

いま、あの頃を想い浮かべると、
果てしなく広がる森の中にいるようだ。

そこには大きな池があり、
若いみんなが魚ごっこをして遊んでいる。
もう少し奥まで分け入ろうと、
木立でできたトンネルを抜けると、
そこは見渡す限りの花畑があり、
遠い彼方から音楽のようなものが
聴こえてきたりするのだ。

♪風が騒ぐ夜は 家に帰りたくないよ
みんながねごと言ってる夜は

ヘイヘイヘイ
俺たちゃ車とばして 海の見えるほうへ
まど開けて風にまかせて 君の家のほうへ

トンネルぬけて♪

音のするほうをよく見ると、
とても陽気な花畑の中で、
ドントと冨士夫が愉しげに揺れているのが見える。

お互いを気使いながら、
まるで、笑い合っているようだった。

…………………………………………

1990年9月8日。

27年前の今日、代々木公園の野外音楽堂で、
『BO GAMBOS』のフリーコンサートが催された。

『BO GAMBOS』誕生の3周年記念だったんだとか。

そう、あの日の“ 熱かった ”想いと、
夏が終わる切なさは、生涯忘れない。

(1990年9月)

 

Follow me!