099『チコヒゲ/TEARDROPSに入る!』

西荻窪の南側、
神明通りと五日市街道の間は
碁盤の目になった住宅地だ。

車一台がやっと通れる程度の
一方通行が交差し、
古くからある住宅地の風景がある。

その一角にあるレトロな
アパートの前で車を停めた。
外階段を上がり、
二階の角部屋のドアをノックすると、
ビシッと朱色のワイシャツを着こなした
チコヒゲが笑顔で現れた。

部屋の中は珈琲の香りがした。
カーテンのない木枠の窓が
半開きになっていて、
そこから、朝の光りが差し込んでいる。

「おはよう。まずは大阪だっけ?」

サイフォンの珈琲を入れながら、
チコヒゲが訊いてくる。

「そう、ピン大、桃山大学祭ね」

そう答えながら部屋の中を眺めた。
六畳一間の空間には、
見事になんにもなかった。
それでも黒電話が置かれている可笑しさに、
思わず本音が口から出た。

「今どき、ダイヤルを廻す生活があるんだ。テレビは?」

「ないよ」

「なんで?」

「必要ないから」

こーゆーのをストイックっていうんだな。
そう思った。
日常では滅多に使ったことのない単語である。

「まだ、時間はあるんだろ?この珈琲を飲んでからでいいかい?」

「もちろんだよ」

僕は、このストイックで格好つけな
ドラマーの仕草を楽しんでいた。
彼は、冨士夫の周辺にはいない、
また、別の人種だ。
ニューヨークでの音楽シーンを経験した、
合理主義者でもある。

「OK、出発しよう」

飲み終えたカップを流しに置きながら、
チコヒゲは軽やかにリズムにのった。

行き先は大阪、桃山大学である。
その翌日にはとんぼ返りで、
横浜国大の学祭に出演する強行軍なのだ。

「その後、佐瀬くんはどうなんだい?」

車に乗るなりチコヒゲが訊いてきた。

「まだ、音信不通なんだよね」

実は、この時、ドラムの佐瀬は
バンドを辞めていたのである。
EMIのレコーディングリハの最中に
ブチ切れたのだ。

「こんなドンカマなんか、やってらんねぇぜ!」

そう怒鳴って、リズム信号が出てる
ヘッドフォンを壁に投げつけたのだ。
これには、周りのメンバーも切れた。
「辞めちまえ!?」
「辞めてやる!?」
そんな、小学生のようなやり取りになって、
まるで悪役レスラーがリングを去るように、
佐瀬がスタジオを後にしたのだった。

これには、まいった。
ドンカマに罪はない。
(ただのリズムボックスだからね)

EMIとの契約 に入ったばかりだった。
レコーディングも大変なのだが、
ライブがこんもりと盛られていたのだ。

「トシ、ヒゲに頼んでくれねぇか」

冨士夫が努めて神妙な顔付きで寄ってくる。

「損な役割で悪いな、頼むよ、トシ」

すかさず、青ちゃんがあいの手を入れた。

コチラの都合のいいときばかり、
チコヒゲに連絡している自覚があるので、
僕らは少しばかり後ろめたかったのだ。

しかし、背に腹はかえられない。
突然にTEARDROPSのリズムを叩ける輩は、
(性格的にも)そうそういないのだ。
その足で、夜更けではあったが、
チコヒゲに連絡をつけて、
西荻にあるヴィンテージな珈琲屋で会った。

ヒゲはハナっから、
ゆがんだ笑顔でコチラを警戒した。

「今回は何なんだい?」

「佐瀬が辞めちゃって」

「また、何で!? これからじゃん」

「そうなんだよ、今がいちばん大切なんだ」

「言っておくけど、俺は(バンドには)入んないよ」

「わかってる、サポートして欲しいんだ」

と、あえて軽く言ったのを覚えている。
チコヒゲに選択の余地はない。
なんてったって、高校生の時の憧れ、
あのダイナマイツのギター、
冨士夫ちゃんの頼みなのだ。

ライヴ、ワンショット。
レコーディング、1曲ずつのギャラで
拝み倒した。
チコヒゲのスケジュールが
空いていたのも幸いした。

「大丈夫だよ、どーせ、暇してんだから」

冨士夫の誠に失礼な予感が
的中したのである。

1988年11月10日。
実に29年前の今日、
チコヒゲはTEARDROPSの
メンバー(仮)になったのだ。

冨士夫たちに、チコヒゲが
了解してくれたことを告げて、
その2日後、彼を乗せて、
大阪桃山大学祭出演のために
東名をかっ飛ばしているのである。

冨士夫はこの頃、
後に持病になる膵臓が悪さを始めたので、
新幹線で移動していた。
他のメンバーは機材車で移動中。
だから、この時点でも、
チコヒゲとは誰とも対面していなかった。
ゆえに、ライヴはぶつかり本番なのであった。

「そう言えば、大阪に着いたら、まずはカズと話をさせて欲しいんだ」

そう、チコヒゲが話しかけてきた。

「わかった」

ドラムとベース、リズム隊だけで
話すことがあるのだろう。
やる気が出てきた証拠なのだ。
「しめしめ」
思わずアクセルを踏み込む足に
力が入るってもんである。

大阪に着くと、
まずはホテル入りして
先の要望通り、
カズの部屋にチコヒゲを通した。

「久しぶり」

カズが外国人のようにハグをする。

「バンドが演奏している曲を、アップ、ミディアム、スローに分けたリストが欲しいんだけど。頼めるかな?」

チコヒゲのいきなりの要求にも、
カズは何の問題もないようにうなずいた。
カズにとっても、何かしら
思い当たる節があったのかも知れない。

冨士夫たちとも合流したチコヒゲは、
再開を喜びながら会場入りする。

本番前の簡単なリハーサル。
音合わせの段階で、
初めてバンド全体で音を出した。
1曲目は「気をつけろ」である。
アップテンポの攻撃的な曲だ。
それを、いつもより早いテンポで演奏した。
いや、リズム隊が引っ張っているのだ。
冨士夫と青ちゃんは少し戸惑っている。

「ちょっと速くねぇか?」

冨士夫がチコヒゲを振り返る。

「今回はこれでやってみよう」

チコヒゲの一言に全員が了解した。
バンドが化学変化した瞬間だったのだ。

チコヒゲの狙いは演奏のメリハリにあった。
TEARDROPS は冨士夫のバンドだ。
だから、どうしても冨士夫のやり易いテンポで演奏が行われる。
それをチコヒゲは変えたかったのである。

結果、ステージが
格段にドラマチックになった。
アップテンポの曲はより速く、
スローな曲はよりスローに演奏するようになった。
これにより、ミディアムな曲が
より鮮明になったのである。

この11月12日の『大阪桃山大学』を皮切りに、13日『横浜国大』、18日『名古屋ELL』、19日『京都磔磔』、20日『法政大学』、22日『クラブクアトロ』と続いたところで、

冨士夫が倒れた。

膵臓が悲鳴をあげたのである。

翌、23日の『関西学院大学祭』は
キャンセルした。
冨士夫が、まったく動けなかったのだ。
(その節は申し訳ありませんでした)

しかし、27日のバウスシアターは
なんとか、医者に行って応急処置のもと、
ライヴを遂行した次第なのである。

これで、ライヴはひと休み、
来週の京都大学の西部講堂まで
一週間の余裕がある。
加えて、レコーディングの準備も始めなくてはならない。

この頃には、チコヒゲが、
バンドにすっかりと馴染んでいた。
本人もいろいろなアイデアが浮かぶらしく、
アレンジに関してアドバイスを言う姿が、
実に頼もしく映っていた。

ところが、である。

当時のノートを見ると、
11月30日に
『TEARDROPS ミーティング』
と書きこまれている。

忘れもしない、この日僕は
冨士夫と青ちゃんに呼び出されたのだ。
2人ともツアーで
ヘトヘトになっているはずなのに
「なんだろ?」と、
少しばかり不思議な気持ちで
事務所に出向いた覚えがある。

「おう、お疲れ、トシ」

わりと元気な姿の冨士夫が待っていた。

「急にワルいね」

青ちゃんがあいの手を忘れない。

「なんかあったの?」

悪い予感もなかったが、
突然だったので、
ソワソワ気味に訊いてみる。

「実は、佐瀬がバンドに戻りたいって言うんだ」

冨士夫が切り出してきた。

「昨日、泣きながら俺たちのところに来てさ、頭を下げるんだよ」

と、青ちゃんが続く。

「あんなプロレスラーみたいな図体した奴に泣かれたら、トシはどうよ?」

と、言われても困る。
言いたいことは解ったし、
正直、佐瀬には愛着がある。
ただ、あまりのことで、
しばし呆然として黙っていると、

「チコヒゲはバンドメンバーには、ならないって言うしさ」

と、青ちゃん。

そこに冨士夫がとどめを刺した。

「それに、俺、あのチコヒゲのテンポじゃ歌えねぇんだ。身がもたねぇんだよ」

それを言われちゃどうしようもない。
終いである。

「わかった」

一言だけ答えた。

「チコヒゲには丁寧に謝ってくれ。こんな勝手を解ってくれるのは、奴しかいないんだから」

と、冨士夫がまさに勝手な事を言う。

「嫌な役回りでワルいけど、頼むわ」

青ちゃんのあいの手を背に事務所を後にした。

翌、12月1日に
『チコヒゲと打ち合わせ』
と当時のノートにある。

本人に伝えるのに1日またいだのだろう。
どこまでも、限りなく憂鬱だった。
そんな想いがよみがえる。

再び、西荻のヴィンテージな喫茶店に
チコヒゲを呼び出した。
ひと月前に頼んだ時と、
同じテーブルだったような気がする。

チコヒゲは少し遅れて、
意気揚々と現れた。

「お疲れ、皆はどう? いやぁ、バテたなぁ、冨士夫ちゃん大丈夫?」

テーブルに着くなり、
メンバーへの気遣いを口にした。
元気そうだった。
エナジーがほとばしっているのだ。

なんだかんだと、しばらくは
ツアーのよもヤバ話をした後に
チコヒゲのほうから切り出してきた。

「ところで、何か特別な話でもあるの?」

「それがさ、言いにくいんだけど」

と、言い出したところで
チコヒゲの笑顔が
少しゆがんだのを覚えている。

「佐瀬が戻りたいって言ってきたんだ」

「えっ!?」

チコヒゲの声にならない声が聞こえた。

途方もなく永い数秒間のあと、
ずずっと珈琲をすすったチコヒゲが、
明らかに作った笑顔で言ってきた。

「そうか、やっぱりな。だけどさ、それが良いと思うよ。月も変わるわけだし、締めるにはちょうど良いってわけだ。佐瀬も十分に考えたんだろうしさ」

申し訳ない。
悪すぎて切なかった。

店を出たときに、
もう一度、頭を下げて謝った。

「ほんとうに、いつも、困った時だけお願いして、ごめんなさい」

すると、チコヒゲは、
白いカジュアルコートを
クルッとひるがえしながら、
いつものように格好をつけて
片手を挙げる仕草をする。

「TEARDROPS の曲と、それぞれのリズムの感じをメモってるからさ、今度、渡すよ」

そう言って、普通に帰って行ったのである。

…………………………………………

あれから、29年の歳月が過ぎた。

一昨年の春先だったか、
以前ブログにも書いたように、
久しぶりにチコヒゲと会った。

ここしばらく、チコヒゲは、
音の世界から離れ、
身近な知り合いにさえ、
連絡をとっていなかったらしい。

それでも、再び音に触れようと
思い立ったときがあったと言う。

「もう一度、(音楽を)始めるんだったら、
やっぱり、冨士夫だと思ってね、
連絡をしようとした矢先だったんだ。
あの訃報を聞いたのは」

せっかくの決心は揺らぎ、
もとの木阿弥まで、
押し戻されたという。

そんな時にチコヒゲから、
電話をもらった。
会おうということになり、
夕暮れどきの居酒屋で呑んだのだ。

それこそ、冨士夫のよもヤバ話をして、
なんてこともなく別れたのである。

それからは、季節の節目ごとに
夕暮れどきの同じ居酒屋で呑んでいる。

もう何回になるのだろうか、
季節が3巡目を迎えようとしている。

そして、時々

「音は出したくなった?」

と、訊いてみる。

「まだだね」

決まって、チコヒゲはそう答えた。

一度、ゆったりしちまうと、
ステージを創造することが
途方もないことに想えるのだとか。

夏になり、秋風が吹き、年が明け、
また、ゆっくりと春が来た。

苦笑いしたチコヒゲが、
好物のだし巻き玉子をほおばりながら、
ホロリと言った。

「そろそろ、やろうか」

止まっていた時間が、
突然に動き出した。

いや、まだ、何も動いちゃいないのだ。

ほんとうに、それを確信できるのは、

12月8日のガーデンなのだから。

(1988年〜今)

【チコヒゲ/プロフィール】

1949 北海道生まれ。
1967 上京。
1977 渡米。ジェームス・ホワイト&ザ・コントーョンズの初代ドラマーとして活動。
1978 帰国後、レック、ツネマツマサトシとに、“フリクション”結成。
1979 EP「フリクション」リリース。
1980 坂本龍一プロデュースにより1stアルバム「フリクション」リリース。
1982 フリクション、2ndLP「SKIN DEEP」リリース。
1983ソロ、10’EP「KILLER WOOD 」リリース。
1984 フリクション、イタリアにて《JAPANFESTIVAL》に出演。
翌年、LP「Live at “Ex Mattatoio” in Roma」リリース。1985 2ndソロ「TRAP」リリース。
エリオット・シャープ、ジョン・ローズ、近藤等則と共演。
1986ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、ジーナ・パーキンス、トム・コラと共演。
1987フリクション、ニューヨークにてアート・リンゼイ、ジェームス・チャンス、 ジョン・ゾーンと共演。
1988フリクションを脱退。
山口冨士夫、TEARDROPSのアルバムをプロデュース。
チコヒゲ・オリジナル・ユニットを結成。
メンバーは、斉藤剛(g.)、米田美賀子(key.)、松本正(ds.)。(92年から、ドラムは結城悟。)
1989近藤等則&IMAライヴに、ゲスト出演。
1991チコヒゲ・ユニット、1stCDリリース。
1993山口冨士夫、山内テツと共に、《京都大学西部講堂支援野外コンサート》に出演。
1995突然段ボールに、サポートドラムとして参加。ユニット名を“CHICO-HIGE & THE UNIT”に改める。新たに、関俊裕(b.)が参加。
1999《DRIVE TO 2000》に出演。メンバーは、Go(g.)、JUMBO(b.)。
2002 ユニットに、イマイアキノブ(b.)が参加。
2004~2006 山口冨士夫(g.)と共にバンドで、都内ライヴ、全国ツアー。
2007JOJO広重と共に、大阪と名古屋でライヴ。
2008灰野敬二と共に、都内にてライヴ。

【山口冨士夫とよもヤバ・スペシャルナイト】

一夜限りのスペシャルライブ&未公開秘蔵フィルム上映

鮎川誠、チコヒゲ、花田裕之、ザ・プライベーツ等豪華ゲスト陣をライブステージに迎え、ライブ&秘蔵映像上映イベントを12/8(金)下北沢GARDENにて開催致します。

フィルム上映は、1986年に渋谷ライブイン等で開催された『シーナ&ザ・ロケッツwith 山口冨士夫』の完全未公開秘蔵ライブ映像、他を予定。そこに、一夜限りのスペシャルライブとして、鮎川誠、ザ・プライベーツ等による冨士夫のカバーを含む、よもヤバステージが行われます。

12/8(金)下北沢GARDEN
Open:18:30/Start:19:00
前売 ¥4500(+1D) /当日¥5000(+1D)

【ライブ出演】

鮎川誠/THE PRIVATES/チコヒゲ/花田裕之

【フイルム上映/未公開秘蔵映像】

『1986年1月、SHEENA & THE ROKKETS with 山口冨士夫』ライブ
『1986年5月/ 山口冨士夫 &鮎川誠withチコヒゲ リハーサル』
『1997年10月/福生UZU SHEENA & THE ROKKETS(山口冨士夫飛び入りシーン)』

チケット発売中⚡️
Pコード:347-800
Lコード:70865

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シーナ&ロケッツチケットセンター
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