100『延原達治/ザ・プライベーツ■その1』

よもヤバ話も、
今回でめでたく100話目になる。
一昨年の春に始めたのだから、
想いを巡らす月日は2年半を越えた。

ふっと、気がつくと、
アッチ側がやけに騒がしい。

冨士夫、青ちゃん、佐瀬による
TEARDROPS の宴の席で、
耕や良のFools族が、
音頭をとっているのだ。

年末になると僕らは
何かと集まって騒いだ記憶がある。
ライブがあろうがなかろうが、
そんなことはどうでもいいのだ。

お互いの顔を見合って軽口を叩く。
世の中や社会にフィルターをかけて、
いつでも、どうにでも
なるような気がしていた。

生活は後からついてくる。
文句は言いっこなしなのだ。

でも、年末になるとね、
世間では雑煮にいくつ餅を入れるんだぃ?
そぉんな、切実な世間話も気になるのだ。

えぇい! てやんでぃ!
先刻承知のうえじゃねぇか。
酒持って来やがれ。
来年まで宴をやってやるぜ!

そう叫んで、ロックな輩たちは
正月の餅を獲得するために
年末にステージに上がるのであった。

こうして、総ての物語は、
あっという間に通り過ぎる。
終わりは始まりの合図。
そして、明けては暮れていくのだから。

…………………………………………

そんな事を夢想しながら、
アタマがイッパイになったところで
新宿三丁目に着いた。

副都心線を降りて、
新宿通りから一筋奥の通りに入る。
DISK UNIONの隣りにある
『らんぶる』という喫茶店に入ると、
ノブちゃん (延原達治/ザ・プライベーツ)は
まだ来ていなかった。

ノブちゃん率いるプライベーツは、
今回、(【よもヤバ・スペシャルナイト】で)
ハウスバンドを請け負ってくれる、
ありがた〜いバンドなのである。

だから、時間のない中でも、
コチラのワガママを
引き受けてくれたノブちゃんには、
とても感謝しているのだった。

ウェイターにオーダーをしている頃には、
UNIONのレコード袋を
小脇に抱えたノブちゃんが現れた。

「こんにちは、久し振りです」

相変わらず、世田谷区の少年のように若い。
(あくまでもイメージです)

「俺は歳を重ねる度に、少年のような気分になっていくんだ」

晩年の冨士夫も、
一杯やるとほろ酔い気分になって、
そうのたまっていたけれど、
それとはまったく意味の違う若々しさである。

「忙しいところ、ごめんね」

挨拶もそこそこに、
早速イベントの主旨を
ノブちゃんに説明することにした。

「俺の追悼モノは決して出してくれるな」

それが、冨士夫の残した言葉である。
だから、冨士夫の追悼ライヴもしていないし、
追悼作品などもリリースしていない。

しかし、思い出は別モノである。
それなら、今のうちに書いてやれ!って、
あの世で文句を言われるのを覚悟に
始めた【よもヤバ話】が100回を数える。

そうかぁ、100回かぁ。
100回を迎えるタイミングで、
何か、イベントでもしたいなぁ。

そう想っている時に
たまたまチコヒゲと呑んだ。

1986年に渋谷ライブインで行われた
鮎川さん(鮎川誠/シーナ&ロケッツ)
と冨士夫たちとのセッションの
音源が出てきたからだった。
そこで、チコヒゲもドラムを叩いている。

よし、これを活用して、

「オレ、引きこもってるんだよ」

なんて、いい歳こいて得意気に言いながら、
チューハイをあおっているこの親父を
たこ壷から引っ張り出してやろう。

そう想い、【よもヤバ話】に引っ掛けて、
たこ壷にエサを投げたのであった。

すると、何年間ものあいだ、
何の変化もみられなかった壷から、
にゅっ!っと、
チコヒゲがおでこを出してきた。
そして、調子良く言ったのである。

「ライブインで演ったよーなセッションなら、演ってもいーよ」

こりゃあ、大変だ。
チコヒゲの舌の根が乾かぬように、
定期的に壷にチューハイを与えながら、
急ぎ、鮎川さんのところに向かった。

鮎川さんには、以前から
ライブイン・セッションの音源は
聴いてもらっている。

「今回は【よもヤバ話】に引っ掛けて、チコヒゲを壷から出したいのです」

な〜んて、そうは言わなかったが、
このライブイン・セッションの再現を基本に、
鮎川さん側にイベント企画そのものを
相談してみたのだった。

結果、快く出演していただけることになった。
いや、それどころか、
イベント会場として『下北沢ガーデン』
までつなげていただき、
一気に現実味をおびてきたというわけだ。

それなら、そこに、
ずっと冨士夫の曲を歌い綴ってくれている
花田裕之さん(ルースターズ)
にも参加していただきたい。

花田さんのソロは、きっと、
年末の空気に触れて、
ジンっとくることだろう。
そう想って、ジッと目を閉じる。

「それでさ、そんなこんなの
総てを仕切ってくれるのは、
冨士夫が弟のように愛した、
ノブちゃん、
あんたしかおらへんわ」

何故か、語尾を関西弁にして、
そう説明しながら、
あらためてノブちゃんを口説いたのだった。

ノブちゃんは、
EMIで冨士夫と一緒になってから、
ずうっと仲が良いい。
かけがえのない親友でもある。

「冨士夫さんと一緒にいて、嫌な想いのひとつもないんだ」

珈琲カップかき回しながら
そんな奇跡なひと言を発する
弟のような存在でもあるのだ。

その間柄も、冨士夫の晩年に
クロコダイルでの
ステージを共にするまで、
実に、20年以上もの永きに
渡っているのである。

そんな人、ノブちゃん、
あんたしかおらへんわ。
(再び、こーゆー時は、やっぱり関西弁です)

そう言うと、
ノブちゃんは笑顔を返してくれ、
空っぽになった珈琲カップを
もてあそぶようにクルクル廻している。

そこで、ずっと知りたかった
よもヤバ話を訊いてみた。

「ノブちゃんにとっての冨士夫話を訊いてもいいかい?」

「もちろん、今日はそのつもりで来たんだから」

僕らは、会話を仕切り直し、
再度オーダーをした。

空っぽになった珈琲カップに
温かな珈琲がつがれるように、
コチラに向き直ったノブちゃんが、
ゆっくりと話を始めたのだ。

「一番最初に冨士夫さんを意識したのはさ、
鹿鳴館でバイトしてたとき。
チラシが壁に貼ってあったんだよね。
『フールズのゲスト』で
冨士夫さんの名前があった」

それが、1982年の法政大学のイベントである。
そのとき、ノブちゃんは18歳で、
ギターのショーネンとは既に組んでいたが、
ザ・プライベーツではまだなかったという。

「その前に地元のロック・バーで
冨士夫さんの噂話をよく聞いてたからさ、
頭の中に残ってたんだよね」

そのロック・バーは、
『めんたんぴん』の佐々木忠平さんの店だった。

「俺は当時『サンハウス』が好きでね、
なんとなくそんな話をしていると、
忠平さんが“もっとすんごいのがいるぞ”ってさ、
『村八分』や冨士夫さんの
逸話を聞かせてくれてたんだ。
それが、残ってたんだろうね、
いつも観たいって想ってた」

ザ・フールズは1982年当時、
鹿鳴館によく出演していたという。

「まだ、青ちゃんがいるフールズ。
めちゃくちゃカッコ良かったけど、
何もかもが、めちゃくちゃだった(笑)。
“おぃ、私服(麻取り)が来てるぞ!”って、
演奏が終わったらすぐに、
楽屋の窓から逃げた事あるでしょ(笑)」

そう言って、ノブちゃんはコチラを見て笑った。
僕はこのとき、まだフールズの存在すら
知らない時期だったが、
“まったく、もう、ホントにしょーがなかったよねぇ”
というように話を合わせて笑い返す。

「冨士夫さんを初めて観たのも鹿鳴館。
タンブリングスで出てたよね。
川上のコックサッカーズも観たし、
ラリーズや東京ロッカーズ残党の
バンド連中も観た。
だから、あそこでバイトしてたのが
けっこう良かったんだ。
いろんなタイプのバンドを
知ることができたから」

関西のヘビメタ・シーンが
鹿鳴館を根城にするころ、
切りをつけて辞めたという。

その頃は、まだ仲間たちと
スタジオに入っては、
音もバンドもシャッフルしている時代。
ショーネンだけは一緒だったが、
何もかもが未知数だった。

「その頃の俺たちのキーワードはパンク。
だけど、俺が好きなのはストーンズだった。
時代的にパンクだからさ、
そこら辺は絶対に外せないんだけど、
パンク一本な奴らはハードコアに
なっていったりするんだよね。
だけど、俺はストーンズもやりたいしってね、
そんな感じで、次第に方向性が決まっていく。
そんなシーンだったよね」

ザ・プライベーツを作ったのは、
ノブちゃんが20歳のとき。
1983年だから、
冨士夫が『RIDE ON』を出した年だ。
『サンハウス』好きだったのなら、
当然、シナロケも好きだったのだろう。

「シナロケも好きだったよ。
俺にとって鮎川さんは、
冨士夫さんと同格の存在なんだ。
“ なんだよ、俺と誠っちゃんは一緒かよ ”
って、冨士夫さんは不服そうだったけど(笑)、
俺たちの世代にとっちゃ、
そういうもんなんだと想う。
そこら辺は正直にいくよって言ったら、
“ わかったよ、ノブ ”って、
苦笑いしながら納得してたっけ(笑)。
だから、『ロッキンf』(85年)の
『山口冨士夫/鮎川誠対談』も読んだし、
その後のシナロケに冨士夫さんが
ゲストで入ったライヴも観に行った」

まさに、今回のイベントの
シーンにもつながる話である。

冨士夫がシナロケのゲストとして
活動した1986年の翌年、
1987年にザ・プライベーツは
東芝EMIからメジャー・デビューした。

ノブちゃっんと仲の良かったどんとが、
ローザ・ルクセンブルグから
ボ・ガンボスに変わっていって、
TEARDROPSを始めた冨士夫と
つながっていくのも注目していたのだという。

1988年、TEARDROPSが
東芝EMIと契約したとき、
偶然にもザ・プライベーツと
同じディレクターが担当した。

「EMIのM(ディレクター)がさ、
今度、山口冨士夫のバンドを
やることになったんだよ。
なんて言いながらさ、
ノブにも紹介するよって、
ちょっと恰好つけて言うんだ。
いやぁ、ホント?!ってな感じ。
そんな思いがけない気分でいたらさ、
ほどなくしてMの恰好つけが
本当の事になるってわけ」

そのとき、ザ・プライベーツは
セカンド・アルバムの収録中だった。
そこから、ラジオの収録のために
アオイスタジオという
銀座にある雑居ビルの2階に出向いた時に、
初めて冨士夫と対面したのである。

「それは、88年の12月。
ハッキリと憶えてるんだ。
だって、冨士夫さんのレコードを持って行ってさ、
そこにサインしてもらったんだもん。
そのとき、日付も書いてもらったから」

さて、そこからなのだ。
思いがけないお互いのグルーヴが始まるのは。

1988年の12月、
ノブちゃんが冨士夫に
サインをもらっているとき、
TEARDROPSは東芝EMIでの
アルバム作りのリハに入っていた。

前号で語ったチコヒゲが
一時的にTEARDROPSで
活動していたシーンの
サイドストーリーでもある。

同じときに幾つもの話がオーバーラップする。

その12月から数えて29年目になる
2017年の12月8日。
ザ・プライベーツと一緒に
チコヒゲはドラムを叩くのである。

こうして、総ての物語は、
あっという間に通り過ぎていくのだろう。
終わりは始まりの合図。
そして、明けては暮れていくのだから。

そんな年の瀬に、
偶然にもからまった幾つかの物語。

その映像とステージを、
共有していただけたら嬉しいのだ。

(つづく 1982年〜今)

 

 

【山口冨士夫とよもヤバ・スペシャルナイト】

一夜限りのスペシャルライブ&未公開秘蔵フィルム上映

鮎川誠、チコヒゲ、花田裕之、ザ・プライベーツ等豪華ゲスト陣をライブステージに迎え、ライブ&秘蔵映像上映イベントを12/8(金)下北沢GARDENにて開催致します。

フィルム上映は、1986年に渋谷ライブイン等で開催された『シーナ&ザ・ロケッツwith 山口冨士夫』の完全未公開秘蔵ライブ映像、他を予定。そこに、一夜限りのスペシャルライブとして、鮎川誠、ザ・プライベーツ等による冨士夫のカバーを含む、よもヤバステージが行われます。

12/8(金)下北沢GARDEN
Open:18:30/Start:19:00
前売 ¥4500(+1D) /当日¥5000(+1D)

【ライブ出演】

鮎川誠/THE PRIVATES/チコヒゲ/花田裕之

【フイルム上映/未公開秘蔵映像】

『1986年1月、SHEENA & THE ROKKETS with 山口冨士夫』ライブ
『1986年5月/ 山口冨士夫 &鮎川誠withチコヒゲ リハーサル』
『1997年10月/福生UZU SHEENA & THE ROKKETS(山口冨士夫飛び入りシーン)』

チケット発売中⚡️
Pコード:347-800
Lコード:70865
eプラス
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002241020P0030001 … …
シーナ&ロケッツチケットセンター
http://sheena.cc/ticket/n.php?id=1507708441

【山口冨士夫&鮎川誠 / 1986 SESSION(2CD)1/24リリース】

通販&限定店舗のみ初回限定特典DVDR付!
映像の一部は12/8下北沢ガーデン
『山口冨士夫とよもヤバスペシャルナイト』
で先行上映します!
予約受付スタート→

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