103『吉田くん/ザ・ダイナマイツ』Walking The Dog – The Dynamites 1968

10年ほど前になるだろうか?
冨士夫のライヴのために
器材を借りようとしているところに、
覚えのない人物から電話があった。

「もしもし、冨士夫がライヴやるんだって?」

「えっ!? はい、そうです」

って、答えるしかなかった。
知らない声だったからだ。

この前置きがまったくない
謎の声の持ち主は、

「冨士夫がバンドを仕切ってるなんて信じられない」とか、

「世の中、変われば変わるもんだ」とか、

矢継ぎ早に想いついた言葉を連発してくる。

「あのぅ……」

僕がやっと口を挟めたのは、
ひとしきり向こうの連続発言が
途切れたタイミングだった。
どうやらダイナマイツ時代の人らしかった。

「あっ、何?」

「どなた…ですか?」

「あれ!? 言ってなかったっけ? ごめん、ごめん。俺、吉田。ダイナマイツのベースだよ、まぁ、昔の事だからさ、関係ないって言っちゃあ、もうぜんぜん関係ないんだけどさ、冨士夫の幼なじみ、みたいなもんかな。かつては仲良かったんだぜ、仲良かったっていってもあれだよな」

ちょっと待ってくれ、って感じである。
コチラの状況は、
オベーションギターを借りに来ていた
レオ・ミュージックの受付でのことだった。
そこで、鳴った携帯に
たまたま出ただけなのである。

「ライヴハウスで今日演るんだって?」

「はい、クロコダイルです」

「行くからさ、冨士夫に言っておいてくれよ」

そこで、やっとこさ、電話が切れた。
僕が話したのはほんの少しだけ。
一方的なコミュニケートだったのだ。

「吉田だろ? 俺がトシの番号教えたんだよ。招待リストに入れといてくれな。もっとも、それでも金払って入って来るかも知んないけどな」

楽屋で冨士夫に話したら、
鼻を鳴らすようにそう言ってきた。
それが吉田くんを知った
最初だったのである。

それからは、
冨士夫が体調を崩したこともあるが、
定期的に冨士夫を訪ねてくることになる。

青梅の病院に入院したときには、
瀬川さんを連れて見舞いに来た。

「冨士夫が死んじまうんじゃないかと思ってよぅ」

一番あわててたのは
吉田くんじゃないだろうか?

吉田くんは、その時から冨士夫参りを
決めたようなのである。
二十歳に別々の道を歩んでから、
実に30年以上の月日が過ぎていた。

そう。
このとき、吉田くんは明らかに
浦島太郎だったのだ。

ダイナマイツが終わった時点で、
時間が止まっている人も珍しい。
解散が1970年だったからだ。
時代的には、そこからが
色々とせわしないし、面白い。

「解散の日にスパッっと髪を七三に刈り上げてさ、サンダーバード(解散時のライヴ会場)に行ったのさ。なっ、そうだよな、冨士夫」

からっと、威勢良く吉田くんが言う。

「ああ、吉田はそうだったな」

病いにふせっていたから、
冨士夫はあまり元気がなかった。
それでも吉田くんが来ると嬉しそうだ。
横になっている冨士夫と過ごす
途方もない時間の流れが、
『村八分話』から『ダイナマイツ話』に遡る。

吉田くんはペンキ屋を営んでいる
という事だった。
親父さんから継いだのである。
ダイナマイツからペンキ屋に転身する。
それも20歳のギンギンな時にだ。

「たいへんな決心だったんじゃない?」

そう吉田くんに訊いてみた。
以前、瀬川さんからは
こう聞いていたからだ。

「一度、スポットライトを浴びちゃうとよぅ、ステージから降りるのがたいへんなんだよな、こんにゃろ、バカヤロ」
(こんにゃろ、バカヤロは阿佐ヶ谷弁)

「んなことねぇよ。未練もへったくれもなかったからさ、な〜んも気になんなかったよ」

そう言って、
吉田くんは屈託なく笑うのだ。
そんな事ってあるんだろ〜か?
でも、話せば話すほど
あるんだろ〜なって
思わせてくれる人柄なのである。

冨士夫のその後(ダイナマイツ以降)も、
知らなかった。
いや、少しは耳に入ってたんじゃないかとは睨んでいる。
でも、んなこと、
吉田くんには関係なかったのだ。

「ウチの職人を喰わせるので手一杯だったからさ、そんな事想ったり考えたりしている暇がないわけさ。だから、あっという間にここまで来ちまったよ。そしたら、冨士夫が自分のバンド持って仕切ってるじゃない。考えられなかったんだよ、かつての冨士夫ではさ」

“ そうだよな?!冨士夫”

とでも言うように冨士夫を見た。

ダイナマイツ時代の冨士夫は無口でシャイ。
誰とも話さずに黙々と音に興じていたという。
ベースキャンプのルートで、
どこよりも早く欧米のヒット曲を
手に入れることができた。
それを、冨士夫がメンバー全員の
パートに分けて聴き分け、
ひとりひとりに伝えていたというのである。

「俺たちは遊びに行っちまうんだよな、それで帰って来た時に訊くわけさ。できてるか、冨士夫?ってさ」

ドンドン出て来る冨士夫の
聞いた事のないエピソードが面白かった。
変身前の冨士夫は、
おとなしくて引っ込み思案だったのだ。

「もういいよ、その話は」

たまらず、冨士夫が幕引きをする。
顔は笑っちゃいるが、
話の流れが何処まで行くのか、
少しばかり不安になったのだろう。
それに気づくと、
吉田くんもそれ以上は続けなかった。
気遣いがあるのである。
サービスも過剰なのだが(笑)。

「冨士夫、温泉に行こうぜ」

冨士夫の住んでいた羽村からは、
ちょっと山の方に行けば、
気軽に立ち寄れる温泉が幾つもあった。

ちょっとでも時間が出来ると、
デカイ車に乗って
吉田くんがやって来る。
僕も含めて、エミリ、ナオミちゃん、
その場にたまたま居合わせた輩をも含めて、
ワイワイとみんなで温泉に浸かりに行くのだ。

エミリん家には、
ど〜ゆ〜わけか、
こ〜ゆ〜時のためなのか、
タオルがたくさん置いてある。

「ハイ、これはトシのね」

なんて、言いながら
温泉タオルを渡されるときが、
なんだかたまらなく嬉しかった。
子供のように浮き浮きしてくるのだ。

湯船に浸かった後には、
決まってサウナ室に入る。
すると、そこに
冨士夫が居たりするのだ。

「お入りやす」

妙な京都弁を使って、
冨士夫が招き入れる。

「お邪魔しまっす」

裸と裸の付き合いは、
人の心を洗っていくようだった気がする。

「奥多摩の川で釣ってきた」

そう言いながら、
吉田くんが何十匹もの川魚を
釣って来たことがあった。

それを冨士夫ン家の庭で焼いて喰った。
それは、滅多に味わえない贅沢だった。

冨士夫の還暦祝いの誕生日には、
見た事もない
ドでかいケーキを作ってきた。
100人前はあったんじゃないだろうか?
一生懸命喰ったら、食い過ぎて、
しばらく甘いモノはいらない
状態になったほどである。

とにかく、気遣いが細やかで
サービス精神が旺盛な人なのである。

「冨士夫がギターを弾いたよ」

そんなある日、
エミリからメールがきた。
冨士夫が吉田くんと一緒に
ギターを弾いている
写真が添付してある。

もう二度と冨士夫はギターは弾けないと
思っていた時である。
いや、弾けないどころか
触るのでさえ嫌がっていた。

「もうギターには、これっぽっちの興味もねぇんだ」

そう言って、
つい最近までふてくされていた冨士夫が、
ギターを抱えて
愉しげに吉田くんと写っている。

クロコダイルのオーナーと
店長である西さんのはからいで、
秋川にあるクロコ所有のコテージを
お借りしているときだった。

そこにも足しげく通って来て
くれていた吉田くんが、
やっと冨士夫の心をほぐしたのだった。

きっと、僕らでは
ずっと駄目だったのだろう。
やっぱり、持つべきものは
幼なじみパワーなのである。

冨士夫の晩年、
一時的ではあったが、
復活したシーンには、
そんな背景があったのだ。

それからというもの、
吉田くんは約30年振りにベースを弾き始めた。
奥さんがベースギターを
プレゼントしてくれたのだという。

吉田くんの愛車のBGMは、
冨士夫の曲で埋め尽くされた。
まったく冨士夫の曲を知らなかったから、
急遽、憶えなければならなかったからだ。

冨士夫からリクエストがあったのだ。

「もう一度、ステージに上がりてぇんだ。手伝ってくれねぇか」

それが、DVDでも出ている
『2008/12/08 クロコダイルLIVE』
である。

そんな中でのステージだから、
やっと、演奏ができる程度の
冨士夫が切なく映る。
だけど、これでも充分に奇跡なのである。

20歳で音楽を止めた吉田くんにも、
30数年後に冨士夫ともう一度、
トンネルを抜ける事になるとは!?
さぞかし、思いがけない
シーンだったのだろう。

「もう、何もかも忘れちまったよぅ」

そう言いながらも、
言葉とは裏腹に、
巧みにベースを操る
吉田くんにはビックリした。

冨士夫とジャンケンをして、
負けた方がベースを弾くことに
なったというダイナマイツでの2人。

「冨士夫がベースだったら、人生違ってたかなぁ」

酒を酌み交わしながら、
いつものように戯ける吉田くんに、

「変わんねぇよ、吉田は吉田だろ!? 俺は俺さ」

目を細めて昔を懐かしむ冨士夫がいた。

……………………

一週間前になる。

『24日の昼の12時オープン、12時半からライヴをクロコでやるよ』

吉田くんからメールが来た。
ダイナマイツ・デビュー50周年だという。
ロシア革命から100周年だから、
ダイナマイツも捨てたもんじゃない。
(関係ないか!?)

しかも、瀬川さんのバンド『TOB』は、
20周年だというのである。

ええっ! コレは行かなければ。
瀬川さんに「こんにゃろ、バカヤロ」
呼ばわりをされてしまう。

もう一度、内容を見てみよう。
クリスマス・イブの昼、
ってのが、なんともユニークである。

サンタは仕込みで忙しい時間帯だ。
ここを狙ったブッキングは、大変に珍しい。

そう想っている矢先に風邪をひいてしまった。
微熱が酒は呑むなとたしなめる。
だったら、昼間ってのがいいんじゃないか。

そう思って、もう休むことにしたのだ。

今夜は楽しみにしていた忘年会の予定があったのだが、
仕方がない。

みなさま、明日の昼にクロコダイルで
お会いいたしましょう。

きっと、冨士夫も覗きに来ることでしょう。

〜50年目のトンネルを抜けるために〜 ね。

(2007年〜今)

 

 

 

 

 

 

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