108『HELLO,GOODBYE』BEATLES/HELLO,GOODBYE

中学生に成りたての秋、
初めて実際に動く
BEATLESの映像を見た。

『HELLO,GOODBYE』のPVである。

思い返してみると、
この年頃は誰だって好奇心に溢れている。
見るもの聞くものすべてが
新鮮なことばかりなのだ。
特に海外の音楽シーンの映像などは、
滅多にお目にかかれないレアな代物だった。

発見した新情報は、
さっそく僕らの
よもヤバ話の肴になったりする。

「ジョンって、最近アコースティック(ギター)を使ってることが多いよね。それにしてもリンゴの(ドラム)セットには笑ったなぁ」

中学校に向かうキャベツ畑の細道で、
同級生の横山が訳知り顔で言ってきた。

朝っぱらからやっている
TVの情報番組『ヤング720』で、
BEATLESの『HELLO,GOODBYE』
の映像が流れたのである。

むむっ、コヤツ、いつの間に
こんなに詳しくなりやがったんだ?
ついこの間まで、
タイガースの『僕のマリー』を
一緒に口ずさんでたよね。

そう思い、
横目でこの同級生の顔を犬見する。
改めて見ると、
何だかコヤツの方が自分より
イケてるようにに映るのであった。

「そ〜だね、ははは、ほ〜んと、BEATLESは相変わらずだよねぇ」

な〜んも知らんくせして、
そう見栄をはるしかなかった。
つまりは、そーゆー年頃だったのである。

下校すると、
台所の引き出しから370円を持ち出し、
『HELLO,GOODBYE』めがけて、
地元のレコード屋に走った。

その店は脱サラした兄さんが、
いかにも得意気に営業していた。

この店では、
シャボン玉ホリデーでタイガースを見た時に、
「タイガースのテーマってやつをください」
と駆け込んで、
「それはモンキーズのテーマなんだよ」
って大笑いされた実績がある。

当時はこんなレコード店が
各街に一軒はあったものである。
音楽通の兄さんが、
コチラが探しているジャンルを横目で見て、
そっと、集めてくれてたりもしたもんだ。
(今はネットにつなげるだけで、勝手に集めちゃうんだけどけどね)

さっそく家に戻ってレコードをかけてみる。

♪ You say yes, I say no
You say stop and I say go go go,♪

これ以上に解りやすい英語はない。
中1英語の教科書にはピッタリだった。

ちゃぶ台にオキッパにしてあった
レコードの歌詞カードを垣間みた父さんが、

「ぬぁんだ、このくだらない歌詞は!」

と、一人で怒っていたが、
そんなことは全然気にならなかった。
なんか、またひとつ
愉しいモノ事を見つけた気分だったからである。

「ところでさ、BEATLESの『HELLO,GOODBYE』なんだけど、僕はB面の『アイ・アム・ザ・ウォルラス』の方がイカしてると思うんだよね」

翌朝のキャベツ畑の細道で、
同級生の横山に
早めのリターンを打ち込んだ。

「えっ!? もうレコードを買ったの? いいなぁ、凄いじゃない、聴かせてよ」

な〜んて事になるのだ。
同級生の前で
得意になって戯けている
あの頃の単純な自分を思い出す。

ところで、
この60年代の後半は、
なんだか価値観が
ゴチャゴチャになった
時代だった気がする。

音楽ひとつとっても
僕らは歌謡曲と一緒に
欧米のロックを聴いていた。

だから、ロックも
へったくれもありゃしないのだ。
誕生した若いロックグループたちは、
和製ポップスと呼ばれ、
歌謡曲のエッセンスを注入されながら、
グループ・サウンズ・ブームを作っていく。

「ブームっていうもんは嫌いだな。もし、何かのブームに巻き込まれそうになったら、俺たちは真っ先に逃げようぜ」

冨士夫はよくそう言っていた。
グループ・サウンズ・ブームを経験した
苦々しさがそう言わせるんだろう。

冒頭に書いた
朝のワイドショー『ヤング720』では、
そのグループ・サウンズたちが
レギュラーで登演していた。

ブルーコメッツ、タイガース、テンプターズetc。

司会の由美かおるに見とれながらも、
バンドの生演奏が愉しみだった。

そのうちに、タイガースが
『シーサイドバウンド』する姿を見て、
“なんか、ちがうよな”
と思い テンプターズに目移りする。

ショーケンはジュリーよりも
不良っぽくてカッコ良く想えた。
しかも、よく見るとメンバーの奥のほうに、
とってもワルそーな笑顔をした輩を発見。
スローな歌なのに
アップテンポのリズムを叩くドラマー、
それが大口広司だった。

大口さんにショーケンや
ジュリーについて訊いたことがある。

「ジュリーはさ、人気絶頂の時にシャコタンの白い車に乗ってたよ。そういう奴さ。世間が想っているイメージとはちょっと違うかもな。ショーケンは関わると面倒だぜ。冨士夫の10倍は大変な想いをするかもな。なんだったらやってみるかぃ?」

と言われて即座に引いた憶えがある。

そのうちにグループ・サウンズ
専用のTV番組もできて、
フジテレビが『レッツゴー! ヤングサウンズ』を放映すると、
負けじと日本テレビが『爆笑ヤングポップス』
というお笑い混じりの音楽番組を始めた。

TVの影響力は凄まじかった。
世間の男子はにわかに
マッシュルームカットになり、
ありとあらゆる個性豊かな
バンドが現れるのだが、
そこに鳴りもの入りで、
全員がハーフ(?)だという触れ込みの
ゴールデンカップスが登場する。

出身はエキゾチックな横浜なのだ。
なんかホンモノっぽいではないか。
そこのベースが格別にカッコイイ。
まるで早弾きのギターのごとく
自由自在にベースを操っていた。

それが、加部正義(ルイズルイス加部)
なのであった。

…………………………………………

1990年の秋、渋谷の某スタジオ。

ギターやアンプをセッティングしている
加部( 加部正義 )さんを眺めながら、
そんな遥か昔のことを思い出していた。

その向かいでは冨士夫が、
ゆったりとした趣で
煙草をくゆらせている。

「俺がベースを弾くからさ、2人ともギターを弾いてよ」

冨士夫と加部さんの
ちょうど真ん中に陣取ったChar(竹中尚人)が、
一歩引いた感じで仕切っていた。

「2人とも、俺にとっちゃ、アイドルなんだからさ」

そう言って笑っている。

僕と同世代のCharは、
やっぱりTVでグループ・サウンズを
見ていたんだろうか?
早くから活躍していた
早熟なミュージシャンだから、
冨士夫たちと混じっても
同世代のような存在感がある。

誰からともなく音だしが始まった。
冨士夫のソリッドなギターに
加部さんのリードが巻き付いていく。
そこにCharのベースが
巧みに芯を作っていた。

30分もセッションしていただろうか?

「やっぱ、リズムがないと、いまいちノらないなぁ」

そう言いながらギターを置いた加部さんが、
「ちょっと待ってて」
と言いながらスタジオを出て行った。

なんだろ?と思って待ってると、
「ドラマーを呼んだから」と言って、
すぐに笑いながら戻って来た。

「誰だよ?」

冨士夫がいぶかしげに訊く。
妙な奴を呼ぶんじゃねぇぞ
とでも言いたげである。

「大丈夫、冨士夫もよく知ってる奴だから」

加部さんは悪戯っぽく笑った。

しばらくはそのままの
カタチでセッションして、
再び休憩タイムをしていたところに、
噂のドラマーが現れた。

黒いハットを深めにかぶり、
白シャツをラフに着こなした男が
加部さんに目配せをしながら入ってきて、
チューニングのために
ギターに目を落としている
冨士夫の半歩先で帽子をとった。

「フジオ、久し振り」

そう言われて見上げた冨士夫は、
少しだけキョトンとしていたが、
すぐに気がついたように笑顔になった。

「ヒロシか!?ホントに久し振りだなぁ〜」

大口広司の登場である。
冨士夫とは実に、
『村八分』「Pig」以来の再会だ。

「スタジオの時間がないから音を出そうか」

と言うCharのナビゲートで、
再びセッションが始まった。

来たばかりの大口さんは、
ドラムセットに腰掛け
ゆったりと煙草に火をつけている。

あきらかに恰好つけているのが
見え見えなのだが、
それでもカッコ良く
見えてしまうのだから仕方ない。
天性の華があるのだ。

たった今、目の前で
ダイナマイツの冨士夫と、
カップスのルイズルイス加部と、
テンプターズの大口広司が、
Charのナビゲートで
セッションをしている。

僕の頭の中はすっかりと
中学時代に呼び戻されていた。

“こりゃあ、すんごい事になるぞ”

浅い夢でも見ているかのように、
その光景を眺めていたのであった。

…………………………………………

そのセッションは、
後に幾度となく繰り返され、
Charつながりのスタジオにも
お邪魔したのだが、
残念ながら僕は途中で
冨士夫と GOODBYEしてしまった。

しかし、軽いばかりでなく、
優柔不断でもある僕は、いや、俺は、
前回でもお話したように、
TEARDROPSが終わり
フリーになった空気を一瞬吸っただけで、
再び冨士夫と関わることとなる。

「HELLO、お元気?」

91年の晩春、
俺は横浜のスタジオまで出向いた。
そこで冨士夫たちが
レコーディング・リハをしていたからだ。

Charこそ抜けていたが、
冨士夫のソロは、
加部さんと大口さんが
入ることになっていた。
前述の渋谷St.でのシーンの続きである。

「あれっ?加部さんは?」

スタジオに入るなり
冨士夫と大口さんしかいことに気がつく。
なんだか、妙に寂しさが流れている。

「マーちゃん(加部さん)は、昨日、日本にGOODBYEしてワイハに飛んでったよ」

冨士夫が無表情に答えた。

「また、何で?」

「いろいろと事情があるのさ。でも、大丈夫、2週間したらまたHELLOって現れるからさ」

ワケがわかんなかった。
まるで『HELLO,GOODBYE』である。
コッチはすでにバジェットの
資金を貰っちまっているというのに。

「……ん?」

そういえば、
その直後にメンバーの要望で
3人にレコーディングの
バンスを振り込んだぞ。

それでワイハ行きのチケットを手に入れたのか……。

突然に合点がいった。
まさに、いろいろと事情があるのだ。

そう想い、
2週間後に“元気良く”現れる
加部さんを待つことにしたのである。

♪oh no
You say goodbye andI say hello
Hello hello
I don’t know why you say goodbye,
I say hello♪

(1967〜1991年)

『HELLO,GOODBYE』
プロモーション・フィルム
この曲のプロモーション・ビデオがポール自身の監督によって製作されているが、『サージェント・ペパー』のジャケットの衣装を着たメンバーがサイケデリックな雰囲気でバンド演奏しているものと、普段着で演奏したものなどいくつかのバージョンがある。後半で何故かジョンが曲調に似合わずゴー・ゴーを踊ったりしている。ただし、リリース当時のイギリスではミュージシャンズ・ユニオンの規定でテレビ番組での口パクが禁じられており、ステージにマイク・スタンドがないことなどの不備により口パクが明白となって、演奏シーンのプロモ映像は当時の英国のテレビ局では全く放送されなかった(口パク規定のなかったアメリカでは「エド・サリバン・ショー」などの番組で問題なく放送された)。大きく分けて、ミリタリー・ルックの衣装を着たメンバーとリンゴ・スターのドラムが極端に小さな物と極端に大きなものを編集したもの、普段着で通常のドラムがセットされたものの3つがある。普段着のものは1993年の『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』CD化の際、新たにステレオ・ミックスの音声に差し替えたものがプロモーション用に配布された。画面に青色の外枠が付いている。

 

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