116 『ワールドカップ』

冨士夫はキーパーだったという。
杉並区立東原中学時代の話だ。

「1点だって入れさせたことがねぇんだ」

と、ぬる燗とっくり片手に豪語していた。

その言葉に何かを挟むつもりは
みじんもないのだが、
サッカー部だったってことは
なんだか疑わしい。

「あれっ? 野球でかっ飛ばしてばかりいて、校舎の窓ガラスを割って怒られたんじゃなかったっけ?」

こーゆーときゃ、茶化すにかぎるのだ。

「おおっ! それもあるんだよ!よくご存知で」

そう言って冨士夫は、
嬉しそうに鼻を鳴らした。

「よくご存知で」
も何もあったもんじゃない。
繰り返し繰り返し、
同じ自慢話を何十回
聞かされたことか。

ほぅっておいたら
何処に行っちまうかわからない、
そんな冨士夫の自慢話は、
いつだって漫画みたいだった。

ちょうど、
´90年にJICC出版から出される
『SO WHAT!』の
インタビューをするため、
冨士夫の幼なじみの
高橋ジミーさんと岡正夫さんに
お話を聞きに行ったときだ。

「冨士夫は足が速かったんだ、運動神経が抜群に良かったんだよね」

から始まり、

「サッカー部でさ、上手いキーパーだったよ。野球をやればホームランばかりで、校舎のガラスを割りまくっててさ」

と、かのエピソードが
彼らの口から飛び出した。

“自慢話の数々は、ほんとうの話だったのだ”

失礼ながらボクは、
ほら吹きドンドンだとばかり
思っていたのである。

それからは、
なるべく冨士夫に対する
固定観念の守備範囲を
広くとることにした。

何がほんとうで、
何が妄想話なのか、
まったくもって、
わからなくなってしまったからである。

そういえば冨士夫は、
スポーツ番組を好んで見ていた。
野球、相撲、そして、サッカー。

ボクがサッカー好きなことを
知っているので、

「昨日の試合は勝てて良かったな、面白かったよ」

なんて、おべんちゃらを言ってくる。

それは、2010年の南アフリカ・ ワールドカップの時だった。

予想に反して、
初戦のカメルーン戦に
日本が勝利したときの話である。

このころは、毎日のように
冨士夫ン家に通っていて、
ほとんど介護状態だった時なのだ。

ダイナマイツ時代の親友、
吉田くん(吉田博)もしょっちゅう来て、
冨士夫との時間を共有していた。

そんな、
南アフリカ・ ワールドカップ
真っ盛りなある夜、
3人でちゃぶ台を囲み、
酒飲み話をしている時である。

身体の痛みがないのか、
いつになくご機嫌な冨士夫が、
昔話に花を咲かせていた。

TVではアルゼンチンだったか、
イタリアだったか忘れてしまったが、
見逃せない試合が放映されていた

そのときである、

「俺の話を聞けよ!」

そう叫んだ冨士夫が、
ブチッと、TVの電源を切ったのだ。

ボクも吉田クンも
飛び上がって驚いた。

すぐに冨士夫の気持ちを察し、
ワールドカップ観戦を捨て、
冨士夫の言葉に耳を集中させた
というわけなのだ。

4年に1度のワールドカップは、
必ずまた4年後にやってくる。
しかし、冨士夫の体調の良い日は
予測不可能ということなのだ。

それからは、
雄弁になる冨士夫Dayは、
特別な日だと構えることにした。

しかし、そんな最中、
あろうことか、
突然に自分の母親が倒れたのだ。

脳梗塞であった。
半身に麻痺が残り、
寝返りさえもうてない状態。

まさにアクシデントである。

当然のように、
冨士夫の家には通えなくなった。
代わりに母親の入院する
病室通いが日課となった。

すると、冨士夫は、

「俺も家族なんだろ!? だから、見舞いに行くよ」

と、泣かせることを言ってくれた。

さぁ、それじゃあ、と、

その言葉が乾かぬうちに、
冨士夫を母親の病院に
連れて行ったのである。

しかし、病院に着く寸前になって
気の小さな冨士夫は、

「ワルいけどトシ、俺はココで待ってるわ」

と言い出して、
病院近くの蕎麦屋に
消えて行ったのだった。

だから、母親には、
冨士夫が来ている事は言わなかった。
言えば、ソコまで来てるのなら
ココまで来いという話に
なるに決まってる。

なるべく早く看病の用事を済ませ、
蕎麦屋にいる冨士夫を迎えに行くと、
客が誰も居ないガラリとした店の中で、
冨士夫は熱燗とっくりで
すでにベロンベロンになっていた。

意を決して近くまで来たのに、
いざとなると
会う勇気が持てない自分が
情けなくて仕方ないのだ。

優しさとコンプレックスが入り交じり、
心の中に閉じこもってしまう
子供の頃からの癖なのである。

まぁ、でもさ、それでも嬉しかった。
気持ちだけでも充分だったのだ。

病院が阿佐ヶ谷だったので、
帰りのクルマには、
山口冨士夫の観光ガイドがついた。

母親が入院している病院は、
冨士夫が子供の頃からあったらしく、

「昔はヤブ医者病院だったんだよね。今は違うと思うけどさ(笑)」

という、実に辛辣な
ブラックジョークから始まり、
子供のころ、
境内でよく遊んだという
『阿佐ヶ谷明神宮』を一緒に眺める。

この神社は厄よけで
運気を高める神様が
住んでいらっしゃるということで、
実はこっそりと後になって
ボクはお参りをしているのだ。
(信心深さのカケラもない人間の、困ったときだけの神頼みってやつを、いったい神様は聞いてくれているのだろうか?)

中杉通りから
モスバーガー沿いを左に入ると、
冨士夫が子供だった時代の
北口メインストリートである。

狭い路地を駆け巡る
冨士夫たちの
ヤンチャ時代が心に映る。

道の両側には個人商店が建ち並び、
かつてはさぞかし
活気に満ちていたことだろう。

「ちょっと、ココで止めてくれぃ」

そのストリートの奥のほうで
冨士夫が突然に指示を出した。

「あれが聖(聖友)ホームだよ」

冨士夫が顔を指す方を見ると、
路地の左側に何十メートルも
白壁が続いている。

夜だったので
ハッキリとは見えなかったが、
道を挟んだ向かいにある建物が
ダイナマイツを生んだ
オケラ長屋なのだろう。

長年付き合って
初めて教えてもらった景色だった。
ホームでの昔話はよく聞いていたが、
存在を見たのはこのときが
初めてだったのである。

そんな事もあり、
ボクの人生は急変した。

母親とは一緒に暮らすことになった。
というより介護の生活である。
当然のごとく
冨士夫のところには通えなくなる。

「俺だって家族だろ?!」

と言う冨士夫とは、
定期的に冨士夫が通う
病院に付き添う程度になった。

なるべく会いに
行きたかったのだが、
改めて想い直すと、
練馬から羽村までは
想像以上に遠い。

それまでに何年も通っていたのが、
その時のボクには
途方もなく想えるほどの
距離だったのである。

そんなこんなで
時おり、冨士夫のところで
用事を済まして帰って来ると、

「冨士夫クンはどう?」

と、母親が冨士夫をクン呼ばわりして
身体の調子を聞いてくる。

「変わりないよ」

と答えると母親は安心するようだった。

なんだか介護されるようになって、
冨士夫に対しての
妙な親近感がわいているのだろう。

「冨士夫クンも頑張ってるんだから」

とよく言っては、
自分自身の励みにしていたような気がする。

しかし、そんな冨士夫が
突然に亡くなった時は、
すぐに母親に伝える事が出来なかった。

「冨士夫クンはどうしてるの? 最近、冨士夫クン家に行かないのね」

と、何度も訊かれ、ほんとうに困った。

逃れようもなくやっと話せたときは、
冨士夫が逝っちまってから
実に1年近く経った、
ワールドカップ・ブラジル大会の
まっ最中だったのだ。

…………………………………………

あれから4年が経ち、
またワールドカップがやってきた。

思い起こすと、
浅い夢を見ているような
様々な情景が
浮かんでは消えていく。

気がつけば、
母親の介護を始めて、
もうすぐ10年近くになる。

冨士夫に寄り添っていた
時期から換算すると、
途方もない時間が流れたのだ。

人生の中で、
今が後半のどこを指しているのか
見当もつかないのだが、
4年後のワールドカップを
あてにする時間は、
余りないのかも知れない。

それならば、
今回が最後になるという想いで、
1回いっかいを応援しなければ。

そう想うのである。

頑張れ!ニッポン!、なのだ。

「1点だって入れさせたことがねぇんだ」

そう言って
旨そうに冷や酒を呑む、
雲の上の名キーパーが懐かしい。

「俺だって家族だろ?!」

そう言って振り向いた
冨士夫の笑顔が、
なんだか妙に
切なかったのを覚えているのだ。

(1986年頃〜今)

PS/

高校2年まではサッカー部だった。
足も速かったので陸上部も兼用していた。
といっても誰も信じやしない。
まぁ、いいか。
今では自分でも全てが幻のようである。
煙草を吸うようになり、
怠惰なる快楽にふけるように
全てのスポーツから遠ざかった。

しかし、ワールドカップだけは
高校生の頃から熱狂していた。
当時から衛星放送で
真夜中に決勝くらいは
放映していたのだ。

当時は周りの誰しもが
サッカーに興味がなかった。
だから、たまにサッカー好きの
仲間に出会うと、
まるで確認するように
サッカーの愉しさを
語り合ったりしたのである。

その中の一人が冨士夫だった。

「まぁ、トシ、そんないに熱くなるなよ」

と言う程度のクールなる
サッカー族だったが、
グッと親近感が増した想いがした。

さて、日本は予選を突破して、
いよいよベスト16である。

あらゆるメディアが
あらゆる事を言い放って
サッカー談義に興じている。

昔の日本を思うと、
それだけでも夢のようだ。

これ以上の贅沢を言ってはいけない。

なんてね、

だけどさ、

サッカーは決して強いチームが
勝つとは限らないじゃない。

だからさ、面白いのだよ。

 

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