139『山口冨士夫を偲ぶ6年目の夏』

夏が来る前には、
必ず梅雨のトンネルを通る。

見上げると、
雨に濡れた緑葉の傘が重なって、
まばゆいはずの夏の景色を
おおい隠しているかのようだ。

そんな小雨降る公園脇の坂道を、
自転車でゆっくりと
下っているときだった。

いきなり曲のセットリストが
ラインで飛んで来たのだ。

“お久しぶり、吉田です。8月15日に冨士夫の七回忌をやるよ。メンバーは、延原くん、宮田くん、Pちゃん、ナオミ、芝井くんと私の6人です”

吉田さんとは、
言わずとし知れた
冨士夫とは幼なじみの
“吉田君”のコトである。

冨士夫をギターの世界に
導いた張本人であり、
同級生で大親友なのだ。

『ザ・ダイナマイツ』では
冨士夫とのジャンケンで負け、
ベースを担当していたという、
あの愉快な兄貴のことである。
(もし、そのジャンケン、吉田さんが勝っていたら、冨士夫がベースだったのかな!?)

見上げると雲の切れ間から
少しだけ薄日が覗いていた。

「あれから、もう6年になるのか」

6年前の夏、
うだるような暑さの中で
冨士夫は旅立った。

予想外の出来事は、
常に山口冨士夫の十八番(おはこ)
だったのだが、
それでも、
“コレで済んで良かったじゃない”
なんて、
それ迄はなんだかんだで
取り返しがついている
物事ばかりだったのだ。

そう、あの時も
そう想っていたかったのだが…。

“クロコダイルでやるよ。宣伝したほうがいいよね?”

そんな遠回しな意味合いの
吉田ラインが続いてくる。

“とにかく会おう”

ということになり、
小雨に煙る日曜のクロコで
吉田さんと待ち合わせた。

吉田さんと会うのは
2年振りだろうか!?

最近は、
まるで魔法にでも
かかっているかのように
足早に時が過ぎていく。

原宿の交差点から
渋谷方面に向かって歩いていくと、
明治通り沿いの景色は
すっかりと様変わりしてしまい、
フールズや仲間達と溜まって
愉しくやっていた蕎麦屋が
跡形も無くなってしまっていた。

いや、とっくのとうに無いのである。
たしか、数年前にココを通った時も
同じ事を想っていた気がするからだ。

さめざめとした霧雨の幕に
過去の想いが浮かんでは消える。

クロコのライヴ後に向かう
『WC(フールズたちの溜まりBar)』
への道中は、
まるで脳内に残る
思い出深い映像のようだ。

あの頃のコウは
ステージと同じテンションで
舗道を走っていた。

一瞬の快楽や楽しみを
ずっと想いの中に
とどめておけるように、
僕らは神宮前の明治通りを
遠慮無しに騒いで
歩いたのであった。

そんな、
どうしようもない若気の至りで、
僕はあの頃のフールズと
同調していたのかも知れない。

な〜んてことを
考えながら歩いていると、
クロコの前でカジュアルに
佇む吉田さんを発見。

「ご無沙汰でーす」

と声をかけると、

屈託の無い笑顔で、

「おっ、久し振りだね、元気かい」

と応えてくれる。

まずは西さん(クロコの店長)に
挨拶をしようという事になり、
店の階段を下り切ったところで
都合良く西さんに出くわした。

「8月15日のお盆だろ。スケジュール入れてあるよ」

西さんは僕らを見るなり、
いきなり内容から入ってきた。

「あっ、ハイ。ありがとうございます、ってゆーより、ご無沙汰してます」

「久し振り、だっけな(笑)」

そう言ってニヤリとするところが、
いかにも西さんらしかった。

『M』から『ファニーカンパニー』、
『RC』がロックバンドになる時も、
ドラムを頼まれたと言っていたから、
西さんは生粋のバンドマンである。

そこら辺が他の
ライブハウスの主とは違うのだ。

『タンブリングス』や『フールズ』
の客動員がワルい時も、

「ウチは毎日●万以上の経費がかかってるんだよな」

とか愚痴りながらも、

「もっと、ヴォーカルを前に出す演奏をしなきゃ」

って、ステージの内容で
バンドの善し悪しを計ってくれる
数少ない店長なのである。

そんな西さんは、
大の冨士夫好きだったと思われる。

かつて、店のレジカウンターには、
『村八分』の頃の
冨士夫の写真が飾ってあり、
まだ冨士夫のコトが
よく解ってないまま
マネージメントをやっていた僕は、

「この写真って、冨士夫ですか?」

って訊いて、
随分と西さんを驚かせたものだ。
(お前、知らないでやってるの?って、コトだったのだろう)

真夜中にライヴやりたいと言えば、
特別にオールナイトで
店を貸してくれたし、
3日間連続でやらせてくれたりもした。

冨士夫の体調不良を察知して、
クロコのオーナーが所有していた
山奥の療養地を手配してくれた
のも西さんである。

「このままじゃ死んじゃうぞ。もっとゆっくりと休ませろよ」

そう言って、
無償で提供してくれたのだった。

その療養地に足しげく通って、
冨士夫を励ましてくれたのが
吉田さんである。

吉田さんは吉田さんで、
『ザ・ダイナマイツ』解散時から
完全に辞めていたギターを
30年振りに弾いてみせた。

それは、明らかに
冨士夫に向けての
パフォーマンスだったのである。

すると、
生気のなかった冨士夫の顔に
どんどんと血の気が
戻ってくるように想えた。

緑が息づく深い森林浴の中で
大きく息が吸えるようになり、
夕映えの焚き火を囲いながら
笑顔がこぼれるようになった頃、

エミリから写真付きの
一通のメールが届いたのだった。

“フジオ ギター ひいたよ”

添付された画像には、
焚き火の横でギターを弾く
冨士夫と吉田さんが映っていたのだ。

この時のことを僕は、
ほんとうに印象深く憶えている。

冨士夫はもう二度と
ギターは弾けないだろう
と想っていたから、
嬉しい驚きだったのだ。

それからの吉田さんは
冨士夫のCDをかき集め、
仕事中のクルマの中で
熱心に聴いたりしていた。

「アレかい? “いきなりサンシャイン”は、TEARDROPSの時の曲かい?」

なんて確認しながら、

「冨士夫、もう一度、ピーターとゴードンからやってみるか!」

なんて、
冨士夫の音楽心を
16歳の時空に導いたのだった。

そのうち、冨士夫の身体が
動くようになるにつれて
ギターの調子も戻ってくる。
もちろん、全盛期のようには
弾けないのだが、
もう一度音楽をやるコト自体が
奇跡のように想えたのだ。

そして、
ここまでシーンを戻してくれた
西さんとクロコダイルに
お礼をしようと、
2008年の晩秋、
冨士夫と吉田さんは
『クロコダイル/ライブ』を
行なったのである。

…………………………………

あれから11年が過ぎた。

今回の『クロコダイル/ライブ』は、
冨士夫の七回忌にあたる。

吉田博さん中心に
『トリュビュート・バンド』を組むのは、

延原達治(ザ・プライベーツ/Vo.Gu)
宮田和弥(ジュン・スカイ・ウォーカーズ/Vo.Harp)
Pチャン(ブルース・ビンボーズ/Gu)
ナオミ(ナオミ&チャイナタウンズ/Dr)
芝井直実(Sax.Gu)

である。

吉田さんや西さんに限らず、
生前の冨士夫にとって
かけがえのない友人たちなのだ。

夏が来る前には、
必ず梅雨のトンネルを通る。

真夏のまばゆい景色を
想い浮かべながら、
湿ったトンネルを抜けるのだ。

すると、そこには
お花畑があって、
可愛いあの娘の代わりに
冨士夫が出迎えてたりして…。

まぁ、それもちょっと、
どうかと想うけど、

屈託の無い笑顔で
夏の顔を見せる冨士夫を、
トンネルの向こう側に
想い浮かべてしまうのである。

「クロコであおうぜ!」

やっぱり、会いたくなるのだ。

(2008年〜今)

【山口冨士夫を偲ぶ6年目の夏】7回忌

◆原宿クロコダイル
◆2019/08/15木曜
◆Yamaguchi Fujio Tribute Band 2019
◆前売り¥3,000/当日¥3,500
◆18:00/open 19:30/start

◆Information/前売り予約
原宿クロコダイル
03-3499-5205
E-Mail:croco@crocodile-live.jp
◆yomoyaba@yahoo.co.jp

 

Follow me!