144『夏の終わりの音/中島らもさん』

蝉の鳴き声が鈴虫に変わると、
なんだか寂しい気持ちになる。
いつの間にか日暮れが早まって、
妙にしんみりとするのだ。

今年もまた夏が終わるんだな、
なんて思いながら
棚周りの片づけをしていたら
古いCDRが出てきた。

『 中島らも/山口冨士夫/石田長生/渋谷クラブ・クアトロLive』

とある。

2002年ころだったか、
冨士夫が 中島らもさん達に混じって、
突然におこなったステージの記録だ。

いや、突然だと思ったのは
僕だけだったのかも知れない。
いつ頃から交流があったのか
離れていたので知らなかったが、
このころの2人は仲良しだったのだ。

「トシ、元気かい?今日はクアトロで、らもさんとライヴを演るよ。観にくるだろ!?」

例のごとく冨士夫からの
当日連絡がきた。
得意技なのである。
前もって教えてくれると
大変にありがたいのだが、
離れているときの冨士夫は
文句なく良い人なので、
無条件に会いたくなるのだった。

「もちろん行くよ。らもさんも好きだし」

その時に何か予定が入っていたのか
まったく覚えていないのだが、
(ってことは、どーせ暇だったんだろう)
早々に支度をして
電車に飛び乗ったのである。

余談だが、
2002〜2003年はというと、
車内での携帯電話の通話が
禁止になったタイミングである。
公共の交通網での迷惑通話が
トラブルになり
社会現象化していたのだった。

「クアトロの入り口で名前を言ってくれれば入れるようにしておくから」

「わかった、ありがとう」

通話禁止にもかかわらず、
こそこそとドア近くで受信をする。

思い出す限り、
前に冨士夫と会ったのは
数年前のクロコダイルでのライヴである。
その時も呼ばれて行ったのだが、
その時の冨士夫は
やけにやつれて見えたのだ。

あれは、
『カウンター・カルチャー・バンド』
だったのだろうか?

みんなの溜まりBAR『WC』を
閉めた石黒がギターを弾き、
『藻の月』の安井がベースを弾いていた。

ステージ横の下から
歌っている冨士夫を眺めると、
首の筋がやけに浮き彫りになり
年輪を感じた覚えがある。

「このあいだのウチのライヴを、冨士夫はキャンセルしたんだよ。…っていうより来れなかったんだ。後に冨士夫に訊くと、山手線で寝てしまって、ずぅっとグルグルと廻っていたらしい」

そう愚痴って、
クロコの西さんは、
口髭から苦笑をにじませた。

冨士夫自身が何かと
ディープにハマり込んでいる
時期だったのだろう。
ステージ下から眺める蒼白い顔は、
妙にそわそわと落ち着きがなく、
地面から少し浮いたままで
ステージ上を動めく
魚のようだったのだ。

“あれから何年が経つのだろうか?”

山手線のシートを眺めながら、
ソコでヘビィに眠りこけている
ドレッドヘアの冨士夫を想像する。

むかし読んだ永島慎二のマンガに、
山手ホテルと称して
山手線で眠るフーテンが出てくるが、
いったい山手線1台の車輛が
どのくらい廻るものなのだろうか?

なぁんて、どーでもいいことで
コッチの頭もグルグルと廻っているうちに
目的地である渋谷に着いた。

勝手知ったる
クラブ・クアトロへと向かう。

クロコと同様、クアトロにも
随分とお世話になったのだ。

TEARDROPSになって、
客の動員数が増えたために
クロコからクアトロに
鞍替えしたのだった。
このクアトロを満杯にした頃が、
TEARDROPSの
最盛期だったのかも知れない。

そんな懐かしいクアトロの
エントランスを通り会場入りする。

通常はスタンディングで行なう
会場ホールに、
めずらしく椅子が並べられていた。

“少し早すぎたのかも知れないな”

客はまだまばらだった。
前列のほうに陣取り、
ゆっくりとイメージをする。

らもさんに初めてお会いしたのは、
大阪の某FM局だった。
らもさんの番組に
冨士夫が呼ばれた恰好である。

記憶に残っているのは、
“中島らも”という人の意外性だ。

収録室に入ると
デスク周りに誰もいない。
見渡すと奥の壁にもたれて、
座敷童(ざしきわらし)のように
らもさんが座り込んでいた。

「はじめましてぇ〜、なかじまらもですぅ。むらはちぶぅ、すきでしたぁ」

みたいなけだるい
第一声だったように思う。

宝島の『かまぼこ新聞』やら、
なんやかんやと読んでいたので、
どんな人かと、
いろいろと想像していたのだが、
それらすべてを台無しにする
存在感にとっても驚いた。

冨士夫もビックリしていたようだ。

壁にもたれて
体育座りをしているらもさんと、
直立不動で立っている冨士夫とが
スタジオ内で対峙していた。
そのまま初対面の挨拶を
交わしている絵柄は、
今でも脳裏に焼きついている。

「本番いきます」

のアナウンスで
マイク前のデスクに移る。

なんともゆっくりとした
世にもけだるい口調で、
らもさんが村八分への想いを語り、
TEARDROPSの曲をかけた。

この頃の冨士夫は
馴れない役割(パブリシティ)を、
人が変わったように
こなし始めてはいたが、
どうしてもあかぬけなかった。

関西では犬も恐れるバンド
『村八分』のギター/山口冨士夫も、
時の移り変わりと共に
優しく変身したつもりだったのだが、
着地点が見つからない。

自らのイメージが決まらぬままに
清志郎の口調を真似てみたり、
コワモテに戻ってみたりしたのだが、
どれもしっくりとこなかった。

本来の冨士夫は、
馬鹿丁寧なお人好しか、
底意地の悪い
悪魔の化身である。

そのどちらも
メディア向きではないのだ。

だから、
らもさんとのこの日の収録も
最後までチグハグだった覚えがある。
まあ、相手が『中島らも』という
強烈な個性だったから、
多少の不自然さは
かえって自然に想えたのかも知れない。

なんて考えていたら、
クアトロのステージに照明が灯り、
3人のシルエットが浮かび上がった。

いよいよ始まるのである。

らもさんを真ん中にして、
左側に石田長生さんが立ち、
右に冨士夫が座っていた。

3人ともギターを抱えている。
スリーギター・トリオなのだ。

らもさんは絶えずボケをかまし、
必要以上に間をとり、
観ているほうのリズムは
おかまい無しのステージングなのだが、
それを石田さんが巧みに調整していた。

さて、冨士夫はというと、
グラサンをかけた
お地蔵さんのようである。
無表情で無口。
ステージの流れに
身をまかせる
流木のようでもあった。

その冨士夫が突然に
『裸の街』を演り出した。

♪きょうも 街で 身を売るひと
きょうも 街で 身を売るひと
誰も 誰も なにも なにも
しやしない
裸の街に 砂ぼこりがよう
裸の街に 砂ぼこりがよう
誰も 誰も なにも なにも
しやしない

会場は凍り付いたように静まりかえり、
滅多に聴けないブルーズに固まった。
(いやぁ、身内ビイキを差し引いても、この時の冨士夫は良かった)

ステージ終わりに楽屋を訪ねると、
らもさんの息子さんが
マネージャー役で忙しく動き廻っていた。

「トシ、打ち上げに来るだろ?」

コチラに気がついた冨士夫が
声をかけてくれ、
クアトロの前にある
居酒屋で愉しく呑んだのを覚えている。

しかし、残念ながら
そこにらもさんは現れなかった。
話せると思って楽しみにしていたのだが、
疲れてホテルに戻ってしまった
ということだったのだ。

…………………………………

その年の暮れだったか、
深夜のテレビ番組で、
ダブルネックのギターを抱え、
なんともいえない間で
冨士夫が弾くような
ロックンロールに興じている
らもさんを拝見した。

また、その翌年(2003年)の
大阪のラジオ番組で、

「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」

と公言した
らもさんが逮捕されたという
ニュースが流れた。

“あ〜あ”なんて思いながら、
まさか冨士夫のせいじゃないだろうな!?
なんて余計な心配をしたりもしたのだが、

当のらもさんは、
持論の「大麻開放論」を展開したり、
自らの獄中体験をつづったエッセイ
『牢屋でやせるダイエット』
を出版したりして、
ぜんぜん元気だったのである。

僕が冨士夫と共に
なんやかんやと再開するのは、
2006年のことだから、
この時から3年後の事である。

しかし、2004年の夏、
中島らもさんは
突然に帰らぬ人となった。

酔っぱらって、
飲食店の階段から転落し、
頭を打ってしまったのである。

「新しいバンドの構想を考えていたみたいでさ、真夜中に思いついたメンバーを伝えてくるんだよ」

すっかり冨士夫とやる気だった
らもさんは、
アイデアが浮かぶ度に
冨士夫に連絡してきたという。

また、遺作となってしまった
近未来小説『ロカ』は、
間違いなく冨士夫がモデルとなっている。

「俺ん家に来た事もないくせに、まるで見てるかような描写が描かれているんだ」

小説に書かれている人物の環境が、
現実の冨士夫に酷似しているのにつけ、
らもさんの持つ
たぐいまれなる想像力に
冨士夫自身はとても驚いていた。

実際に2人がバンドを組めば、
また世の中が面白くなったであろう。

チグハグで交わらないイメージは、
色んなカテゴリーやら
つまらない常識やらを無視して、
アンバランスな非常識を
作ってみせてくれたかも知れない。

それは、
今日のような台風一過の
晴天のように、
異常な高温と日差しを呼び、
再び蝉の鳴き声を呼び起こすのだ。

夏の初めに旅立った
中島らもさんから数えて
9年後の夏、
冨士夫も飛び出して逝った。

きっと、あの世で再会して、
とっくにバンドを組んで
音だしをしているだろう。

それは、

まるで耳鳴りのように心に響く、
夏の終わりの音なのかも知れない、

と、想うのである。

(2002〜2003年)

 

 

 

 

 

 

 

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