146『伊藤 耕の手紙』

コウの手紙を読むために、
少し早くアースダムに出向いた。

まだリハーサル中の
Barスペースには、
見慣れた顔がゾロゾロいて
ちょっとした同窓会気分になる。

その中にいた安井を見つけて
声をかけると、
すぐにコウの奥さんを
紹介してくれたのだった。

彼女(満寿子さん)とは
実に初対面であった。

これまでの人生の中で
何十回も擦れ違っていたのだろうが、
まともに対面したことがなかったのだ。

そんなだから、
少し照れくさいような
挨拶を交わしながら、
手渡されたコウの手紙を開いてみた。

三つ折りの便せんには、
意外と達筆なペン文字が並んでいて、
滅多に無い真面目顔のコウを
連想させるのだった。

さて、その手紙の内容だが、
安倍ちゃんの悪態に対する
お小言から始まり、
検閲すれすれの反体制を唱えた後に、
一息入れるように
自らの話に移っていく。

このときのコウは、
あと数週間もすると
シャバダバっと
世間に現れる予定だったので、
過去の音楽活動の
エピソードを踏まえながら、
これからやりたいこと満載の
活気と希望に満ちた内容が
文章の中で踊っているのであった。

その中に僕が登場する。

「ブライアン・エプスタインに憧れて、俺たちのバンドのマネージャーになったんだ」

僕が冨士夫のマネージメントを始めたとき、
冨士夫が会う人ごとにこう紹介していた。
この、もの凄くこっ恥ずかしい
当時のエピソードをコウは覚えていて、

“俺はトシのエプスタインよりも、
ミゾグチ(フールズ最初のマネージャー)の
マルコム・マクラーレン(タイプ)のほうが
性に合っている”

と書いてあるのだ。

エプスタインはビートルズと
EMIをつなげたが、
マルコムはピストルズを使って、
EMIから違約金をせしめた、
っていう逸話が性に合う理由らしい。
(そりゃあ、そのほうがカッコイイに決まってるよね)

コウはその例え話を、
『TEARDROPS』と東芝EMIとの
契約話につなげて書いている。

そして、終いには、
僕が1500万円もの負債を背負って、
崩れ去る結末になっているのである。

“うん?!誰だ、そんな嘘っぱちをコウに聞かせたのワ”

すると、脳裏に
日本酒をあおる冨士夫の顔が
フッと浮かんできた。

「つまらない事実より、面白い創作のほうが真実である」

いつだったか、
冨士夫の機嫌が良い夕べに、
センセイはそうのたまっていた。

まあいいや、
面白ければヨシとしよう。

それに、
嬉しいことも書いてあるのだ。
高円寺のスタジオを
いつでも好きなだけ使えたことが、
コウの音楽活動に
随分と役立ったらしい。

練馬のお人好しボンボンとしては、
(コウは僕をそう呼んでいた)
無理してスタジオを創った
甲斐があったというものなのだ。

手紙の最後のほうでは
コレからの事に関して、
コウの希望とやる気が
みなぎった内容になっている。

ノートパソコンを手に入れて、
音楽を創ったり、
ブログを作ったりして、
将来の活動につなげたいと
考えているようだった。
それには“勉強しなければ”
と張り切っているのである。

さて、この手紙は
出所予定の数週間前に届いたものだ。
内容に体調不良のみじんも記してない。
ゆえに、
この後に起こる不幸な出来事は
実に解せない事態なのであるが、
それはまた別の話になってしまうので
ココでは触れないでおこうと思う。

コウが出て来るというので、
コチラはコチラで同時期に、
コウのことを考えていた。

一昨年の初秋の時期、
ちょうど12月に催す
『よもヤバナイト』を
企画している時だったので、
“ステージの最後にコウを出そうか”
なんて、たくらんでいたのだ。

鮎川さんや花田さんや
プライベーツをバックに、
いきなり伊藤耕が現れたら
そりゃあ世間はビックリするだろう。

そんなシーンを想い浮かべ
ほくそ笑んでいたのを、
コウは遥かなる地で
察知していたのかも知れない。

手紙には
“トシから連絡がきたら教えてくれ”
とも書かれていたからだ。

本当に偶然ではあるが、
お互いの思考が一致する
タイミングだったのである。

………………………………………

さて、去る10月17日。
伊藤耕を追悼するアースダムの夕べは、
実に愉しい時間だった。

人生も永くなってきたせいか、
仲間内の空気に包まれると、
ついつい安心してしまって、

“新たなる出会いなんかいらねぇな”

なんて気分にもなってくる。

それは、言い換えれば、
旧友たちの想いを
もっと深く共有したいという
気持ちの現れなのかも知れない。

若い頃は広く浅く
遥かなる彼方まで
飛んで行きたかったものだが、
最近では立ち止まるように
周りの環境を眺め、
大切な何かを見つけるように
過ごしているような気がする。

若い頃、
伊藤耕と過ごした時間を想うと、
そこは途方も無く遠い景色で、
想いの断片を集めることしかできない。

今みたいな秋には、
器材車で学際のステージを
巡っていたのを思い出す。

コウは後席に陣取り、
いつも陽気に振る舞っていた。
真面目な話をしても、
聞く耳のひとつも
持ちゃあしないのだ。
それが『フールズ』だって
決め込むように、
何だって一笑に付すのである。

そんな若気が
たまらなく懐かしく想えるのだ。
そんなコウが愛おしくて、
大好きだった気がするのである。

………………………………………

10数年くらい前になるだろうか。

ユニバーサルから発売される
『TEARDROPS』ジャケットの
デザイン打ち合わせの為に
冨士夫の家に出向いた。

そのとき、
冨士夫とも久し振りだったのだが、
部屋に入ると
懐かしいコウが遊びに来ていたのだ。

その時の再会が
フールズ以来だったから
15年振りって感じだったのだろうか、
お互いに50絡みの歳になり、
なんだか照れくさかった覚えがある。

クルマで行っていたので、
帰りに羽村の冨士夫ン家から
吉祥寺までコウを送っていった。

新青梅街道を上っていたら、

「これ、かけてくれよ」

って、コウがCDRを差し出した。

それは、これから出す
ソロアルバムなんだって
言っていたような気がする。

久し振りのコウの歌声が
車内いっぱいに流れ、
周りの景色を一変させるようだった。

フールズ時代に比べると
随分とメッセージ性が
強くなっている気がして、
僕は運転をしながらも
一生懸命に詩を理解しようと
無言になって聴いた覚えがある。

コウも音源にリズムを合わせ、
時おり照れくさそうに笑って見せた。

「俺さ、いま、こんな感じなんだ」

吉祥寺に着いたとき、
ちょうどこの
1枚のアルバムも終えた感じだった。

「アルバム、良い感じじゃん。また会おうよ」

降り際のコウに声をかけると、

「サンキュー、トシ。また会おうな」

って、ニコッと手を上げて
踊るように駅に向かって行く。

何を喋るでもなく、
歌だけが心に残る、
10年数年振りの再会だった。

♪人生なんて、
あの太陽のまばたき♪

あれ以来、
僕の心にはずっと
コウの歌が流れているのだ。

(2005年〜今)

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