147『山口冨士夫 伝説のクロコダイルライブ その1』

冬になってきた。
と思ったら、
すっかりと完全に冬である。
紅葉などを眺める間もなく、
冷たい北風がほほをなでてくる。

こんな時は暖かい部屋で
音楽でもを流しながら、
本を読みたい気分なのだが、
ついついタブレットで
ネットの世界を眺めてしまう。

すると次から次へと飛んでくる
メールやらの情報につられて
考えてもみなかった方向へと
アタマが持っていかれ、
たった今が昼になり、
昼が夕方になり、
今日が明日へと明け、
月曜が週末へとつながっていき、
あっという間に
月をまたいだかと思うと
ものすごい速さで
季節が過ぎ去って行くのである。

そして、気がついたら
もう年末なのだ。
なんと、
1年が終わろうとしているではないか。

ちょっと待ってくれ、
やりたかったことがたくさんあるのだ。

気に入った仲間達の
音楽をサポートしたかったし、
絵も描き始めたかった。
ブログだってもっと書きたかったし、
定期的な運動で血糖値を下げ、
かかりつけの女医さんに
誉めてもらいたかったりしたのだ。

そんな総てのことが
来年に繰り越されるのである。

我ながらまったくもって
あきれてモノも言えない。

気分を変えようかと
物干し台に上がり
空を眺めると、
数羽のカラスが
遥か上空を舞っている。

「カァカァカァ(ばかたれめ)」

…そう、聞こえた。

“よし、気を引き締めてやり直すぞ”

と、意を新たにしたときだった。

“ブッブー”

とポケットの携帯が鳴り、
ネットニュースが流れてきた。

ヨーロッパサッカーの速報である。

「おっと、こりゃたいへんだ」

急ぎDAZNを見るために
階段を駆け下りて行き、
そのままずっと
ネットの中に埋没する
愚かな自分がいるのであった。

………………………………

さてさて、そんなこんなで、
ひとしきりバーチャルな
世界を彷徨っていたら、
フェイスブックで
ケンちゃんがコチラを
タグ付けしているのを発見した。

“佐藤 ケンジ 秀文さんが投稿であなたと他3人をタグ付けしました”
とある。

そう、ケンちゃんと云うのは
『佐藤 ケンジ 秀文』のコトである。
この、名前が2つもある不思議な人は、
『ミック・ジャガリコ』
という芸名も持ち、
『ベガーズ』というバンドの
ヴォーカルでもあったりするのだ。

その事実を知った時の冨士夫は、
目をひんむいて驚いた。

「あのケンちゃんが歌って踊るだとぉ?!」

「そーなんだよ、それがさ、まるでミックそのものなんだ。横にはキースそっくりのハマーって奴までいるんだぜ」

僕は、
想像力の中で笑顔満面に
なっている冨士夫に対して、
ストーンズ・トリュビュート・ライブ
を観に行ったときの現場報告をした。

2008年頃の話だから、
今からもう11年も前のことである。

僕らの知っているケンちゃんは、
ファッションの仕事をベースに
音楽レーベルまでプロデュースする
せっかちなクリエーターだ。
ゆえに、
歌って踊るジャガリコさんを
存じ得なかったのである。

正体を知られたケンちゃんは、
新たなる提案を
冨士夫に投げかけててきた。

「冨士夫のプロデュースで『ベガーズ』のCDを出したいんだ」

しかも、その中で
『いきなりサンシャイン』
までも演るというのである。

その時の冨士夫は、
大自然の中で療養中であった。

やっと生きている状態だったのが、
親友の吉田さんたちの助けもあって
ギターを持つ事が
できるまでになっていたのだが、
しかし、まだまだ
上手くは弾けなかった。
弦を押さえる指圧が
だんだんと蘇りつつあるという
“うす〜い”感じだったのである。

それでも、
ケンちゃんの提案を
受けることにした。
冨士夫は冨士夫で、
前に進むきっかけを
探していたのである。

「それじゃ、お願いします」

録音の当日、
緊張気味のエンジニアの声を合図に
スタジオ入りした冨士夫は、
少し右腰をかしげるように構えて
ギターを弾き始めた。

しかし、納得する演奏ができない。
アタマの中で
想い描いているであろうフレーズが、
その通りにできないもどかしさが
コチラから見ても
切ないほどに伝わってくる。

それでも音数を削り、
指の動きを最小限に押さえて
どう効果的に弾くのか、
そんな演奏に切り替えて
インパクトを強めていく冨士夫に、
見ていたハマー(ベガーズ/ギター)が
思わず低い声で唸った。

「すげぇ…」

やり遂げた冨士夫も
まんざらでもないように見える。

音作りはテクニックではない。
センスなんだ。
言葉にすると陳腐だが、
まさにそんな演奏だったのだ。

「次は俺たちのレコーディングもしような!」

帰りのクルマの中で、
久々のスタジオ録音で
ハイテンションになった冨士夫が
嬉しそうに言っていたのを思い出す。

結果的には、これが冨士夫の
最後のレコーディングになったのである。
当時は想いもしなかったが…。

さて、ケンちゃんのブログ、
『山口冨士夫/伝説のクロコダイルライブ その1』
を見ると、

“(この時の冨士夫は)長期療養を経ていよいよ11月に復活ライブを行う予定だった。……(しかし)冨士夫は病気療養明け、本当にライブが出来るのかどうかは当日になってみないと分らない。”

と綴っているが、
舞台裏を明かすと、
コチラは大変な騒ぎだったのだ。

確かに冨士夫は療養中だった。
森や川に囲まれ、
近くの温泉につかる毎日。
そのおかげで、
心も身体もすっかりと癒され、
夕暮れに時に焚き火をしては
『ボブ・ディラン』を口ずさむまでに、
回復していたのである。

その経過で『ベガーズ』の
レコーディングもこなし、
いざ、復活の狼煙をあげるべく
クロコのステージに向かう前々日のこと。

夕陽を背にした冨士夫が、
突然、実にドラマティックに
倒れたのである。

原因は “酒” である。

いや、ライブに向かう
ストレスかも知れない。

きっと、その両方が
冨士夫の身体と心にのしかかったのだ。

意識がとぎれとぎれになっている
瀕死の冨士夫を
救急病院まで運び込んだ。

当直医に状態を説明し、
ベッドに寝かせ
点滴を始めるしかなかった。

「こりゃ、ライブは無理だな」

その夜のうちに吉田さんに連絡した。
復活ライブの要は
親友である吉田さんだったからだ。

それでも往生際の悪い僕は、
冨士夫を診察しながら
シリアスに唸る医者に向かって、
あらぬ問いかけをしてみた。

「あのぅ、明後日、ステージとか、無理です…か?」

「あん? あんだって?」

質問の意味が飲み込めない
クマのようなお顔をした医者は、
お目目をひんむいて
コチラに向き直った。

「ライブなんです…あさって」

「そういう人なんですか?」

「はい、そういう人なんです」

“無理に決まってんだろーが”

みたいなことを医者から
理路整然と言われている頭の奥で、
僕は明後日の対処を考えていた。

どう考えてもステージはありえない。
歌って踊るジャガリコに、
冨士夫のブンまで舞ってもらおうか?
彼はきっと嫌がるだろう。
冨士夫を観に来た客が
ゾロゾロと帰って行くステージで、
♪いきなりサンシャイン♪を歌う
ジャガリコが脳裏をよぎった、
その時だ、

「そうだ、現場まで運んで行っちまおう」

妙案がうかんだのだ。

ステージはできなくても
顔出しくらいはできるだろう。
挨拶だけして去ればいいのだ。

マネージャーにも
いろいろな人格があるが、
こーゆーときの自分は
まったくもって信用ならない。

エミリーにこの妙案伝えると、
少し泣きそうな顔のままうなずいていた。

今日一晩点滴をし、
明日もゆっくり点滴をし、
明後日の昼にでも
いきなり冨士夫を強奪しに行こう。
どうせ、
医者は許可しないだろうから、
その時が勝負だな。

な〜んて、病院帰りのクルマで考えていた。

こんな究極のコトの成り行きを
ケンちゃんには伝えていたのだろうか?

まったくもって覚えていない。

ただ、覚えているのは、
翌日の昼間に
天使のような声で
エミリから電話があったことだ。

「冨士夫、クロコ、演るって。持ち直したよ」

「えっ!?」

奇跡が起こったと思った。
昨夜、息をするのも
やっとだった人間が、
今日になったら
日が昇るように
ステージに上がると言っているのだ。

これから退院するところだと言う。

しかし、まだまだ予断は許さない。
いつ、どのタイミングで
華やかに倒れるのか解らないからだ。

関係各所に連絡して、
演奏をできるかどうか解らない旨、
連絡するのに半日かかった。
とにかくみんな、
興味をもって事細かに
訊いてくるからである。

明けてクロコ当日の昼過ぎに
冨士夫を迎えに行った。

「もし、演奏できても2〜3曲でいいから」

いつもより神妙に見える冨士夫に
優しい言葉(?)を投げかけたら、

「わかってるよ、トシ。オレ、今日から山口不死身だから」

と、笑えないジョークを言う。

クロコに着いたら、
関係者だけで割れんばかりの喝采だった。
なんせ、世間の狭いオイラたちにとっては、
今の冨士夫は
生き返ったキリスト張りの存在である。

そのジーザスは
そそくさと楽屋に入り込み、
本番までの祈りの準備をするのだった。

「どうする? 問い合わせだけで100近く来てるけど」

クロコの西さん(店長)が寄って来て、
困惑した顔をする。

「ソレッて多いんですか?」

「冨士夫は当日客ばかりだから読めないんだよな、とんでもないことになるかも知れない」

そう聞いて、
段階的に椅子やテーブル
を排除することにした。

それでも客は入り続け、
もう入れないという
スシ詰め状態になったとき、
外にはまだ店内と同数の人が
居ると思われたが、
泣く泣くクロコの扉を
閉じることにしたのだ。

「あにすんだよ〜! トシ!」

扉ガラスの向こう側で
何人かの知り合いが
叫んだのを覚えている。

「あのとき、トシはオレの前で、確かに扉を閉めたよな」

後に彼らに会う度に、
恨みがましく言われたものだ。
(外は外で帰らない客たちで盛り上がっていたらしいが)

さて、それはそうと、
すっかりと時間が押してしまった。

オープニングアクトは『ベガーズ』である。

「やっぱり、1曲目から『いきなりサンシャイン』で、ぶっ飛ばして行くから!」

ケンちゃんから、
いや、ミック・ジャガリコが
そう伝えてきた。

予定では、
『いきなりサンシャイン』を
最後に持ってきて、
ソコに冨士夫を呼び込もう
という手はずだったのだ。

僕は、急ぎ、
楽屋にたたずむジーザスに声をかけた。

「『いきなりサンシャイン』が初っぱなになったから。大丈夫?」

チューニングをしていたジーザスは、
後光を差しながら
自信たっぷりに応えた。

「おぅよ! わかった!」

再び店内に戻り、
『ベガーズ』オープニングの
MCをチェックするため
PAに向かおうと、
客をかき分けて進んでいるときだった。

“わああああああああ〜!!!!!!! ”

という怒濤の歓声が起こり、
観客がいっせいに波のようにうごめいた。

振り向くと、
冨士夫がたった一人で
ステージに出て来ている。

「えっ!?」

驚く瞬間の歓声も
何もかもを飲み込み、
ジーザスは自らの後光を
割れんばかりの客席に投げつけて、
第一声を放った!

「おれ! 死にかけたぜぇ〜!」

“イエ!〜エエエエ〜イ!”

波打つ客達の向こうで、
ステージわきに呆然とたたずむ
ジャガリコの顔が、
笑顔のまま歪んでいるのが映っていた。

(つづく)

(2008年)

PS/


今年も『ローリングストーンズ・ファンクラブ』『ベガーズ』共同主催である年末恒例の『ストーンズナイト』が高円寺『ShowBoat』で行なわれる。ちょっとスリムになったトビーや、ジェームス(exストリート・スライダース)、nickeyたちが『ベガーズ』と絡むワンナイト・ステージが必見なのである。

『ロックをころがせ!STONES NITE』
2019/12/26thu
高円寺『ShowBoat』
Open/17:30 Start/18:00
Add/3500 Day/4000

出演/
■THE BEGGARS wish 市川James洋一
■nickey(Guest Singer)
■THE RAMBLIN ROSE
■THE CRAZYCOCKS
■Slave Sisters
■yuzo & さくら

MC/池田裕司(JRSFC会長)

 

Follow me!