149『人生の車窓/マーチン』

新宿からロマンスカーに乗った。

なんてったって憧れの
小田急ロマンスカーである。
何回目のロマンスカーだろうか?
なんて、思い出そうとしても
何も浮かんでこない。

もしかするとお初になるのか?

そう気がついて
嬉々としているところに
車内販売の姉さんが来た。

「カフィ プリーズ」

とは言わなかったが、
かなり嬉しそうな顔をして
珈琲を頼んだ気がする。

最近はブラックである。
甘さは血糖値と共に
若き日に閉じ込めることにしたのだ。

温かい珈琲を飲みながら
流れゆく景色に目をやる。
走り去るように横切って行く
車窓からの景色は、
何をするでもなく過ぎ去って行った
人生の走馬灯のように想えた。

吹き遊む風の中を冨士夫が、
遥か遠くの森に青ちゃんが、
その上に浮かぶ雲に佐瀬が、
そして、草むらに
しのぶが舞っていて、
広く晴れ渡る青空に
コウとリョウが浮かび、
それらすべての景色の向こうで、
知り合ったばかりのこうたろうが、
フルボリュームで
想いを奏でているのだ。

ふっと、気がつくと
耳元で聞き慣れた笑い声が
したような気がした。

その笑い声の主は
少し言葉をかむような調子で、

「ど、どこ行くんだよ、トシ」

と、問いかけてきたのだ。

“何処に行くだと?それはコッチが訊きたい”

その声の主がマーチンだと
わかっていたからである。

一昨年の秋だったか、
コウを偲ぶアースダムの儀式に出向いたら、
階段で談笑するマーチンに出くわした。

その時の出会いが、
すでに10数年振りだったか、

「変わってないな」

という言葉が、
どちらからともなく
出たのを思い出す。

「まだ音楽をやってる?」

「もちろんだよ。家でだけどな」

それは実にマーチンらしい
言い回しのように聞こえた。
いや、実際にそうなのだろう。
ライヴをやろうがやるまいが、
何で喰ってようが喰うまいが、
ミュージシャンはミュージシャン。
絵描きは絵描きなのだ。

なんちゃって、
とお〜い景色を想い浮かべると、
酒呑んでくだを巻いて、
何が何だか解らんうちに
顔を腫らして帰って来る方々が、
周りには普通に居た。

笑いと喧嘩と警察沙汰が絶えない
明るいロックンロールが、
僕ら皆を包み込む日常だったのである。

「マーチンが来ないから演奏はできねぇよ」

初めてフールズを
マネージメントした日は、
夏の終わりの寿町だったと思う。

ステージ時間に間に合わなかった
マーチンを気使って、
コウはフールズの演奏を拒否した。

そのあげくに、
イベント終わりに駆けつけたマーチンを
皆でステージに上げることにする。

リョウ、コウ、カズ、マーチンが、
すでに片付けに入っている演台で
楽器やマイクも無しで
演奏(?)を始めたのだった。

主催者やスタッフが
カンカンになって怒り出す中、
居残っていた数少ない客達が
茶番を演じるステージを囃し立てた。

♪自由が自由が自由が最高なのさ♪

それまで最悪だった想いは
いっぺんにどうでも良くなり、
大笑いしながら
主催者たちに謝っていると、
古ぼけた建物の奥から
見慣れた顔が飛び出して来たのである。

「やっぱ、フールズだな、バカばっかだ」

そう言いながら笑うこの男は、
あろうことか、
少し前から行方不明になっていた
フールズのPAだったのである。

一時期フールズのマネージメントは、
Mとこの男(PAオペレーター)の
2人体制になっていたのだが、
あるイベントが原因で
彼はお隠れになっていたのだった。

その行方不明のPA男が
このタイミングで現れたのである。

「寿町は身を隠すのにかっこうの場所だからな。俺はもう少し此処に居ることにするよ、それじゃ!」

と言いながらPA男は、
再び寿町の居並ぶ建物の奥に
姿を隠すのだった。

これは、
まぎれもないホントの話である。
その証拠に数年後、
彼はTEARDROPSのための
スピーカーモニターを持って現れ、
バウスシアターから
後楽園ホールまで、
ライヴの音響環境に
欠かせない存在となるのであった。

(もしかすると、寿町のブッキングは、お隠れになる前の彼の仕業だったのも知れない。後からそう想ったものである)

……………………………

そんなこんなを思い出しながら、
憧れのロマンスカーに乗っている。

目指すは本厚木、
東芝EMI時代の恩人?
ハッシー(橋本部長)に
会いに行くのである。

車内販売の姉さんがまた来た。

僕はこーゆーのによわい、
必ず呼びかけてしまうのだ。

「ねぇさん、もう一杯、珈琲飲んでもいいかな?」

微笑みを意識して
空になったカップを差し出した。

ボブカットで少しふくよか、
健康的な笑顔をみせる姉さんは、
少したじろぎながら
引き気味にカップを受け取ると、

「カップはお取り替えしますね、ありがとうございます」

とか言って、
馴れた手つきで
ワンモア・カフィを
プリーズしてくれる。

“何だよ、まさか俺のことをヘンなオジサンだと想ってるんじゃないだろな?”

こーゆー事はよくある。
電車なんかに乗っていると、
あまりに痛い目線を感じて
その方向に目をやると、
小さな子供がじっと
コッチを見ていたりするのだ。

コッチも気がついて
バシッと目線が合うのだが、
子供の目線はこちらに釘付け。
もう目が離せないのだろう。
彼にとっては初めて見る
生物に映っているのかも知れない。

そう想うとイタズラ心が沸き立つ。
目を見開いて
悪魔のようにクイっと
首を前に差し出すと、
たまらず子供達は瞬時に目線をそらし、
ママのスカートを握りしめ
小さく固まっていたりするのだ。

まさか車内販売の姉さんも
こーゆー子と一緒だとは想わないが、
きっと僕はヘンなのだろう。
見る奴が見れば、
オカシな存在なのかも知れない。

気を取り直して、
あったかい珈琲カップのふたを取った。
とたんに湯気が浮き出し、
ゆったりとする時間の流れが、
少しづつ心を温めていく気がする。

その後のマーチンを思い出してみた。

『フールズ』の他にマーチンとは、
『ウィスキーズ』でも関わったりした。

『ウィスキーズ』は、
青ちゃんとジョージが作った
とっても恰好の良いバンドだった。

マーチンのリズムには
独特な個性があり、
滅多に無いグルーブ感を生んだりする。
それが実にバッチリと
ハマったバンドだったのだ。

4人のメンバーの個性も温和で、
お互いに対する気使いも優しく、
冨士夫やフールズにはない
とても心地の良い
安堵感を感じたものである。

惜しむのは『ウィスキーズ』が
1年限定のバンドだったことだ。
冨士夫が復活するまでの期間、
青ちゃんが中心になって活動する
条件付きのシーンだったのである。

“続けていたら、どうなっていただろう?”

って想う事はよくある。
人生はそんなことだらけなのかも知れない。

……………………………

冨士夫と離れて久しいある日、

「いま、マーチンん家に居るから遊びに来ないか」

と、冨士夫から呼び出されれたことがある。

住所を聞いてビックリした。
不動産屋じゃないが、
ウチから歩いて10分、
飛んだら3分の距離に
マーチンは住んでいたのだ。

訪ねると、
部屋の中で冨士夫とマーチンが
和みながら酒盛りをしていた。

ここら辺が僕の小さなところで、
平日の真っ昼間から
自由になれる精神を
持ち合わせていない。

教師だった父親の呪縛から
逃れられないのである。
“まじめにや〜れ〜”
というくぐもった声が
聞こえてくるのだ。
本人はアル中だったくせに、
息子にはシラフを要求する。

いやいや、
親父のせいにしてはいけない。
単に僕自身の人間がちっこいのだろう。

この時、
久し振りに会った
冨士夫とマーチンだったのだが、
何を話していいかもわからず、
二人のリアクションに合わせて
笑ったりもしていたのだが、
とっても居心地が悪く、
早々のていで退散した覚えがある。

その時から一昨年のアースダムまで、
マーチンとはまともに
話もしていなかった。

電車の車窓を流れる景色のように、
人生での一コマは
あっという間に通り過ぎて行く。

気をつけて見ていないと
大切な何かを見逃してしまうし、
心して感じていないと、
自分以外の誰かと
本当に通じ合うことが
できないのかも知れない。

しかし、景色は流れているのだ。

だから、
ゆったりとした時間の中で、
時には目を閉じて
暗闇の中に流れる静寂を
聴いてみたりするのもいいかも知れない。

……………………………

憧れのロマンスカーは元厚木に到着した。

改札口を出たら、
ちょこんとした山高帽をかぶった
相も変わらずのハッシーが待っていた。

「ご無沙汰してます」

「そうでもないよ、10年も経ってないだろ。昼間っから飲める店を知ってるから、そこで刺身でも喰って一杯やろうや」

「はい」

石神井公園育ちの身には、
どの駅もでかく見える。
想像よりも意外と大きな駅前を
ハッシーに続いて歩いた。

その見慣れた後ろ姿を見て、
何故か、ガニ股で歩く
マーチンの姿を思い出した。

冨士夫に呼ばれて
マーチンの家に行ってからしばらくして、
マーチンの後ろ姿に
出くわしたことがあるのだ。

その時は、
駅に向かう一本道を
ガニ股で歩いているマーチンが
僕の10歩前にいた。

近づいて声をかけようかと思ったが、
急いでいたので
長話になるとおっくうに思い、

“また、いつでも会えるさ”

って、歩をゆるめ、
マーチンが駅に曲がって行くのを
見送った覚えがあるのだ。

残念ながらそれ以来、
近所に住んでいたマーチンと
出くわしたことは一度も無い。

もし、この世に
人生の車窓があるのなら、
いま、僕は、
何処ら辺を走っているのだろう。

立ち寄るべき駅は、
あとどのくらいあるのだろうか。

山高帽が風で揺れる
ハッシーの後ろ姿を眺めながら、
こうして会えることに感謝した。

そして、
平日の昼間から酒が呑める幸せを、
マーチンと共に
分かち合いたいと思うのである。

乾杯!
マーチンよ、永遠に安楽かであれ。

(2020/2月某日)

PS/

2月22日、
2並びのマーチン高安の
お別れ会に行って来た。
カズも来ていたらしいのだが、
行き着いた頃には帰ってしまっていた。
『藻の月』のジョージは、
ウィスキーズ時代の仲間である。
ひとりひとり抜けて行く仲間に、
“分かれを告げる間もない”
って、顔をして呑んでいた。

周りを見回すと、
夜更けを待たずに
みんな帰ってしまい、
終いにはFOOLSの歌だけが
店に舞っている感じだった。

もうすぐ、また春がくる。

もうすぐ、また暖かい風が吹くのだ。

そんなことが、愉しみで仕方ない。

今日この頃なのである。

 

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