Larry Dimarzio ~リプレイスメント・ピックアップを生み出した男~ 13

前回まではこちら↓
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/larry-dimarzio-12/

さて、ハムバッカー研究の話に戻ります。

月に数日はまだ “The Guitar Lab”で勤務していたラリーは、オーナーのチャーリーに頼み、ギブソン純正パーツのボビンとベースプレートを取り寄せてもらうことに。

パーツを頼んだことのない”The Guitar Lab”としては異例のことで、オーナーのチャーリーはギブソンの部品を使ってピックアップを一から作っているということはギブソンに知られたくないということもあり、ベースプレート6枚とボビン12個のみの少数だけ注文しました。

パーツは1~2週間後に無事到着。

ラリーの予想では、部品の注文だけでは受け付けられないものだと思っていたため、実際にギブソンからパーツが届いたことに驚いたそうです。

ラリーは、その当時初めて観た”Moutain”のボーカル/ギターのLeslie West(レスリー・ウェスト)の演奏に衝撃を受けており、これまで聴いた中でも最高のギターサウンドと感じていました。

彼の使用していたギターはレスポール・ジュニアでしたが、今まで聴いた&演奏したどのジュニアのサウンドとも異なっており、そのサウンドを目指してピックアップ開発に挑んだそうです。

まずはすでに完成していたストラトのピックアップやデラックスアンプの改造に基づいてハムバッカーの設計を開始。

またBill Lawrence(ビル・ローレンス)のセラミック磁石がまだいくつか残っていたので、そこから始めました。

コイルの巻き数を通常より多くして、ビル・ローレンスの磁石でピックアップを組み立てようとしましたが、コイルの下のスペースにうまくフィットしなかったので、家の周りにあった唯一の鉄材料である釘で隙間を埋めます。(ワイルドですね)

そしてテープとエポキシと一緒に貼り付けます。

こうして出来た新しいピックアップは、ラリーとしては純正のギブソンピックアップよりも良い出来と感じましたが、それでもあの巨大なレスリーウェストサウンドにはまだまだ遠く及びませんでした。

振り出しに戻り、さらにたくさんのピックアップを製作して数々のテストをしていきます。

自身のレスポールのピックアップを毎週のように交換し、自身のバンドである”Odyssey”(オデッセイ)のライブで使用し続けました。

ピックアップは改良を続けるうちに、ソロパートでラリー自身が望んでいた歌のようなサステインが得られるようになっていきました。

テストのもう1つの大事な部分は、ホーンセクションが入ったときでも”抜ける”サウンドであるということでした。

PAで増幅されているホーンサウンドとあって、これが中々難しかったようです。

ここでトーンコントロールと出力に伴って歪みがどう影響していくかを学びました。

Guitar Labのチャーリーからもらったギブソンの純正パーツを使い切ったラリーは、ホームセンターで購入出来るようなパーツを使い制作することも試みました。

結果は上々だったようですが、やはり再度チャーリーにギブソンパーツを頼むことに。

その折に、Guitar Labにラリー自身がデザインしたギターの製作を頼むことに。

リペアの仕事で手に取ることがあった50年代後半製のダブルカットのレスポールジュニアモデルをトレースした図面をラリーが作り、それをGuitar Labに渡して制作してもらうことなりましたが、、、

完成したものはひどい仕上がりだったようで、ネックはボディのセンターからずれており、本来のオーダーではないメイプルネック&エボニー指板仕様に勝手になっていたりと散々な結果だったようです。(ラリーは相当頭にきたようです)

写真を見ても分かる通り、ボディのシェイプなどもかなり崩れていて、非常にずさんな仕事をされてしまったという印象ですね。。。(なんともひどい仕上がりなのが写真からも伝わってきます)

ちなみに写真のギターに載っているピックアップはラリーの手により製作されたもので、自作のマホガニーのピックアップカバーが付けられています。

自身の製作したピックアップ(このピックアップはギブソンパーツは使用していなかったそうです)の宣伝のためにラリーはこのギターを持って、48番街を回りました。

その出力の高さを多くの人々が気に入ったそうです。

元々”Guitar Lab”の経営者の一人だったCarl Thompson(カール・トンプソン)が新しくオープンしたショップも尋ねました。

そこでは後に一緒に働くことになるSteve Blucher (スティーブ・ブラチャー)が店番をしていました。

彼はラリーのピックアップを大層気に入り、早速自分にもピックアップを作って欲しいと頼みました。

そうこうしているうちにギブソンパーツが手元に届き、”Super Distortion”がいよいよ完成します。

Village VoiceとStaten Island Advanceという新聞に広告を掲載しましたが、これは空振り。

続いて、Guitar Player Magazineにも広告を掲載。

この広告は当たったようで、不特定多数の客からの注文や問い合わせが舞い込んだようです。

ピックアップ製作&販売と並行して、さまざまな仕事を続けていたラリー。

ブルックリン・テクニカル・ハイスクール時代からの旧友であるTom Morrongiello(のちのボブ・ディランのギターテック)からはフレットとピックアップ関連の仕事をもらい、彼にはアンプの改造やリペアの仕事を回していました、

所属していた”Odyssey”というバンドを辞めようかと思っていることをトムに相談すると、Bob Baskerville(ボブ・バスカーヴィル)というシンガーがフルタイムのギターリストを探していることを教えてくれました。

ラリーはオーディションを受け、見事合格。

ボブ・バスカーヴィルは多くのオーナー達から気に入られており、週5~6日はニューヨークかニュージャージーで安定的にギグが持っていました。

ラリーへの支払いは一夜につき$50で、一夜でおおよそ6~7セットのTOP40(ヒットチャートにランキングされている人気曲を演奏すること)をこなしました。

ここで稼いだお金を元手として、ヴィンテージギターの売買も開始。

ラリーはただヴィンテージギターが欲しかったり、お金が欲しかったわけではありませんでした。

目的は最高のサウンドのヴィンテージギター。

ギターとピックアップのデザインのリファレンスとなるサウンドの良い1950年代後半のレスポールとES-335、1950年代中期のテレキャスターとストラトキャスターを見つけることでした。

この頃、ラリーのアパートは日中には地元のギタリストのたまり場となっていたようです。

ラリーは引き続きマンドリン・ブラザーズから修理の仕事も受けていましたが、他のヴィンテージ・ギター関係者とも交友を広げていき、The Guitar Trader(ザ・ギター・トレーダー)Dave De Forrest(デイヴ・デ・フォレスト)とも友人になりました。

Jimmy Wallaceなどと並び、’59のリイシューを製作したことでも知られるThe Guitar TraderのオーナーであるDave De Forrest。

業界でも初のヴィンテージギターのニュースレター(サブスクリプションとなっており、月一に配布される写真付きの白黒のフライヤーのようなもの)を発行していました。

彼はラリーにヴィンテージギターのオリジナリティのチェックやリペアを頼むようになりました。

ラリーは彼を通じて相当数のヴィンテージを試す機会を得たようで、その年にメイプルネックのストラトを6本、テレを2本、そしてES-335を3本買ったそうです。

ギターは基本的に一番気に入ったものをキープしていて、その都度下取りに出していました。

写真左がお気に入りの’57ストラトを演奏するラリー。

~続く~

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