Larry Dimarzio ~リプレイスメント・ピックアップを生み出した男~ 14

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/larry-dimarzio-13/

ボブのバンドはこうして丸一年に渡り安定した演奏活動しました。

この頃は個人的なリペアの仕事をこなしつつも、48番街のAlex Musicでのリペアや改造などを週1~2日程度のペースで受け持っていました。

そんな折、突然ボブは自身の元ガールフレンドのHyla Parker(ハイラ・パーカー)をバンドの2番目のシンガーとして呼び戻すことに決めました。(もちろんこの二人はすぐに寄りを戻すことになりました)

しかし、これがラリーにとって大きな問題の始まりに。

ボブはフロリダ州パナマシティからニューヨークまでを回る3ヶ月間の長期ツアーを計画。

これはまさにラリーが心より望んでいた”フルタイムのツアーミュージシャン”としての活動。

ツアーに当たり、ハイラ・パーカーの希望で、バンドメンバーはオーダーメイドの揃いのスーツを着用することを義務付けました。(これは各メンバー自費だったそう)

ラリーは数ヶ月後に戻ってくる予定で、Steve Blucher(Guitar Labの知り合いでのちにラリー・ディマジオの右腕とよばれるエンジニア)にAlex Musicでの仕事を受け持ってもらえる手配しました。

そうしてお気に入りのギター2本を持って意気揚々とフロリダへ。

1本はリアに”Super Distortion”/フロントに自作のPAFのプロトタイプを搭載したレスポール。

2本目はGibson ’59 ES-335。 (このギターは現在も所有しているそう)

フロリダに到着してから1週間程度で、ハイラ・パーカーはラリーのプレイがバンドにとって”Funky”では無いという不満を漏らし始めました。

彼女が求めていたのはCornell Dupree(コーネル・デュプリー)のようなスタイル。

ラリーのジェフ・ベックにレスリー・ウェストのひねりを加えたようなロックなテイスト(本人談)を嫌っていました。

この音楽性の違いは平行線をたどり、結局ラリーがバンドを辞めることになります。

フロリダでは約3週間のみ仕事をしただけで、ニューヨークに戻ることになったラリー。

飛行機代やオーダーメイドのスーツ代などの予期せぬ出費も重なって、完全に無一文となり、バンドも仕事もなくなるという踏んだり蹴ったりの状況となります。
(ちなみにギターは機内持ち込みが出来なかったので、ギターのために航空券を1枚余分に購入しています)

ニューヨークに戻ったラリーは、スティーブ・ブリュッチャーに自分が任せたAlex Musicでの仕事を戻してもらえるよう相談します。

1957年製ストラトキャスター、1953年製テレキャスター、4X12 マーシャルキャビ、Guitar Labで製作したギター、いくつかのビンテージのフェンダーアンプ等を早々に売り払い、当面の生活費に。

ラリーはリペアショップに本格的に焦点を当てることに決め、スタテンアイランドのブリュースターストリート88番地にある友人が所有する家の地下室に工場を移転します。

ここからラリーの人生を大きく変える出来事が数々と起こり、急展開を迎えます。

まずはAce Frehley(エース・フレーリー)からラリーに1本の電話。

1973年、当時新規メンバーとして”Kiss”に加入したAce Frehley(エース・フレーリー)。

学生の時からの知り合いであるGene Simmons(ジーン・シモンズ)からの勧めもあって、Super Distortionを3基購入したいという電話でした。

二人はスタテンアイランドのフェリーターミナルで待ち合わせます。

そこでエースは私に現金を渡し、私は彼に茶色の紙袋を渡しました。(その様子は傍から見ると麻薬取引のように見えたに違いないとラリーは当時を振り返っています)

その頃にラリーはブロックパーティー(地域の祭りのようなもの)に招待され、自身のレスポールを演奏する機会を得ました。

そこで出会ったEarl Slick(アール・スリック)から、翌週に”自分のSGにSuper Distortionを搭載させたい”という連絡がきます。

その時アール・スリックはMichael Kamen(マイケル・ケイメン)が企画した重要なオーディションに参加する予定でした。

⚠︎マイケル・ケイメンは当時”New York Rock and Roll Ensemble”というバンドに所属、のちにダイハードシリーズやリーサルウェポンシリーズなど数々の映画音楽を作曲し、グラミー賞も受賞しています。

なんのためのオーディションなのかは応募者には明かされておらず、ただ”Someone Big”(誰か著名な人物)だとだけ伝えられていたそうです。

なんとそのオーディションはDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)の新しいバンドのためだったことが判明。

無事オーディションに受かったアール・スリックはツアーで”Super Distortion”を搭載したSGを使用することになりました。

~続く~

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