Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その7

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その6/

金銭面において苦しかったポールは、1978~1979年にかけて半年間ほど、ワシントンDCの北西部にあるVeneman Music(現在はGuitar Centerとなっています)に、リペアマンとして勤めることになります。

独立したルシアーをやめたことで、アシスタントのBonni Lloyd (ボニ・ロイド)とは一度離れることになりました。(彼女は1986年にPRSに再就職することになり、1990年代後半までPRSで働きました)

ポールは、半年間ほどVeneman Musicにいましたが、店の顧客に自身の製作したギターを販売しようとしたことが店にバレてクビになってしまいます。

失職後、ポールは、再びAnnapolisに戻り、修理&製作を再開することに決めました。

そこで未来のアシスタントであるJonh Ingram(ジョン・イングラム)に出会います。

ジョンは、ポールの製作したダブルネックギターとベースを使用していたローカルバンドを見たことでポールの名前を知っており、興味を持っていました。

ジョンはポールを見に行くためにVeneman Musicも訪れていたそうで、その時のポールの印象を
“過敏に張り詰めた神経質な印象のもっさりとした大きな髪の男”
と言っています。

そんな印象にも関わらず、ジョン自身はAnnapolisの郊外で働いていながら、ポールに会いに足繁く通い続けたそうです。

そんな状況で、賃金をしっかりと払う余裕はないものの、人手は欲しかったポールは、ジョンに近くに越して工房の手伝いをしないかという提案をします。

そこで金銭面的なことを考慮して、二人は借家をシェアすることに決めました。(工房は別の場所を借りて)

そんなジョンがアシスタントとして働き始める少し前、ポールは記念すべき自身初のフレイムメイプルトップギターの製作に取り掛かります。

~続く~

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