Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その18

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その17/

さて、1985年2月に開催されるNAMMショーに出展したポール。

このNAMM出展の最大の功労者は妻のバーバラだったとポールやスタッフのJohn Ingram(ジョン・イングラム)は後に語っています。

彼女はNAMMスタッフとの連絡、ブースの獲得、ホテルのリザーベーション、日程や行程のアレンジなど、細かな全ての準備や事務的な作業を担当しました。

コストのかかる出展はポールや仲間たちにとって、大きな”賭け”であり、もしこれが失敗すれば、今後金銭的に復活することは難しいという状況でしたが、バーバラはその危険な状況を分かりながらも出展を強く薦めたそうです。(出展のための小切手をNAMMに送った時点でポールの蓄えは尽きていたそうです)

“She Kicked Paul in the ass” 「直訳=彼女はポールの尻に蹴りを入れていた」(急かす/尻に火をつけるなどの意味)
とおそらくかなり強めにポールを押したようで、後年ポールはそのことについて感謝しています。

このNAMM ShowでPRSは公式に”Custom”モデルを発表しました。

当時のNAMMでは”ハイテク”や”メタル”系のギターがトレンドで、これでもかというほどの変形ギターやシンセサイザーピックアップ付きのギターなどにPRSのブースは囲まれていたそうです。

そんな中でいわゆる”Old-School”な古き良き伝統的なギターのルックスやスペックと実践的な機能を合わせ持ったPRSは際立っていたようで、”Custom”モデルの登場としては申し分ないタイミングでした。

結果、PRSはこのNAMMで多くのギター・ディーラーの注目を浴び、今後の経営を可能にするための十分なオーダーを得ることに成功しました。

その年のタックスリターン(確定申告の還付金)は$8,000を超えるような金額になり、一人のカスタムビルダー/リペアマンとしては行けるところまで来たと感じていたポール。

1985年4月、一定量の生産を可能にするラインを作るために新たに大きな工房へと移ることになりました。

~続く~

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