035『忌野清志郎』

035『忌野清志郎』 グッ、モーニン

今さらいうけれど、冨士夫はギタリストだ。
僕はそう思っている。
でも、冨士夫自身は「俺はヴォーカリストだから」
と、あえて言っていた。
そう言いたい気持ちもよくわかる。
「そうだね、冨士夫はヴォーカリストだ」
そんな感じで『TEARDROPS』も始まっていた。

『ザ・ダイナマイツ』には瀬川クンがいた。
頭の上がらない先輩でリーダー。
フロントに立ち、全てを仕切ってくれる。
そんな人がヴォーカリストなのだ。
10代の冨士夫は、24時間音楽漬けで
音の世界に没頭することができた。

『村八分』のカリスマはチャー坊だ。
冨士夫が奏でるサウンドを、
“雅( みやび )”にしてくれる。
チャー坊がフロントに立つと、逆に冨士夫が目立った。
ヴォーカルとギターのコントラストが際立った希少なる例。
『村八分』が今でも忘れ去られない最大の理由だと思う。

『裸のラリーズ』は、冨士夫にとっては
あくまでも実験だったのかも知れない。
だって、バンドは99%水谷さんの独壇場だろう。
ステージを見ててそう思った。
冨士夫は浮遊しているように立っていた。
足が地に着いていない感じ。
でも、その刹那がまた、いいのだが…。

どのバンドで何をやっていても冨士夫のギターは魅力的だ。
ヴォーカリストの存在感を豊かにしてくれる。
だから、『シーナ&ロケッツ』でも心配はなかった。
彼らのフィルターを通して
いろいろなものを見ることができたし、
なによりも良かったのは、
かたくなで、危なくて、近寄りがたかった
冨士夫のイメージが一新されたことだった。

そこに、清志郎が寄ってきてくれた。
明らかに無意識だったが、
ジョニー・サンダースが縁をつなげてくれたのかも知れない。
清志郎が『COVERS/RCサクセション』のレコーディングに
ジョニー・サンダースを連れて行こうと思ったら、
ジョニーには、その前に立ち寄るところがあったのだ。
それが、『TEARDROPS /クロコダイル』ライヴだった。

だけど、ジョニーと清志郎のそんないきさつを
知らないコチラは面食らった。
何の気負いも緊張感もなく
突然にクロコに現れた清志郎に驚いたのだ。
何の事かわからないまま楽屋に招き入れ、
どうせなら何か演ろうか?
という、ごく自然な流れを楽しんでいた気がする。
逆に、来る事が決まっていたジョニーは、
遅れながら、思いっきり気張って現れた。
サーモンピンクのスーツで
蝶々の様にパタパタと飛んできたあげくに、
「俺の弾くギターはどこにある?」
っと、いきなりステージに上がったのだった。

そんな風に『クロコダイル』のステージに
乱入した清志郎とジョニー・サンダースは、
♪Stand By  Me 〜 Too Much Junkie Business
  〜 Pills Gloria ♪ と3曲を立て続けに演り、
『いきなりサンシャイン』のシングルを
超満員の客席に投げ入れると、
嵐のように去って行く。

その夜の、EMIスタジオでの
ジョニーのハイテンションは、
翌朝までギター鳴りしていたらしい。

さて、そうなると、話の展開は当然
『COVERS/RCサクセション』になる。
そんないきさつで、冨士夫にも参加のお誘いが来たからだ。
言うまでもないが、冨士夫は生まれながらの反体制だ。
常識じみた理屈もへったくれもありゃしない、
「存在自体が非常識(命名/忌野清志郎)」なのは
冨士夫を知る誰しもがうなづくところだ。
アルバム『COVERS』のコンセプトに大賛成した冨士夫は、
清志郎の要望により、
【風に吹かれて/バラバラ/黒くぬれ! /マネー /悪い星の下に】
という5曲にギターやコーラスで参加した。
特に【風に吹かれて】での冨士夫のヴォーカル部分
♪いつまで追っかけられたら 静かに眠れるの?♪
というフレーズ。
清志郎も微妙なところを付いてくる。
苦笑いをしながら、冨士夫もノッていたのを思い出す。

さて、それなら、お次はコチラの番である。
ちょうど『TEARDROPS』の1stアルバムの
レコーディングを予定していた。
これまでの事の成り行きのつながりの良さから、
「清志郎にも、コッチのアルバムへのゲスト参加を頼んでみてよ」
と、冨士夫にお願いをした。
「あのな、トシ、そう簡単にはいかないと思うよ」
とか言いながらも、
すぐに頼んでくれちゃったりするところが優しい。
案の定、清志郎も快く協力を約束してくれた。
こりゃ、本当に良い調子だ。
少なくとも、僕はそう思っていた。

「清志郎に入ってもらう曲をつくんなくちゃな」
という発想を持って、
冨士夫が創ったのが『ピッカピカダイヤモンド』だ。
ステージ用に「RCの『ドカドカうるさいR&Rバンド』
みたいな曲が欲しいな」と言い出したかと思うと、
あっという間に仕上げてしまった。

1988年の3月、
28年前の今宵に時間を巻き戻してみよう。
ひんやりとした初春の夜、
黒塗りのポルシェで清志郎は現れた。
場所は東新宿の『JAM St.』である。
少し前に『COVERS』で使ったような
立派なスタジオではない。
手作り感満載のアナログ・スペースなのだ。
挨拶もそこそこに打ち合わせをして、
清志郎には『ピッカピカダイヤモンド』と
『グッ、モーニン』の2曲にコーラスをお願いした。
『グッ、モーニン』は、これ以上ないというようなゆるい歌。
この頃、世間はバブルを感じ始めていて、
何をやっていても喰いっぱぐれることはない。
そんなお気楽極楽なシーンを、
自らの朝寝坊と照らし合わせて歌っている。
清志郎は「二番が気に入ったから」と、
歌入れをしてくれた。
この曲には『COVERS』に触発されたこともあり、
子供たちのコーラスを入れることにした。
これは、思い出深いただの自慢なのだが、
メインで歌っているのは、
当時、9歳だった我が娘である。
「子供の声って、実に天使のようだ」って、
プロデューサーだったチコ・ヒゲが
腕組みをしながら、つぶやいていたのが忘れられない。

思いっきり余談だが、
その娘の長男が、先日9歳になったという。
……人生はあまりにも早い……。

さて、そんなこんなで『TEARDROPS』の船出は多彩だった。
縁あって、いろいろな波に乗れたのだと思う。
『TUMBLINGS』とは決定的に違うところ、
それは、冨士夫がヴォーカリストを意識したところだ。
だから、過剰なほどにそのスタイルを探していた。
そして、清志郎に少なからず影響を受けていた。

もう一度言うけど、冨士夫はギタリストだ。
僕はそう思っている。
メイン・キャラクターの横で光るタイプ。
でも、つり合うヴォーカリストがいなかった。
本来の魅力とは違う個性を強いることになる。
ヴォーカル、ギター、MCにインタビュー。
隙間無く時間は埋められていった。

年齢も40が目前だった。
いつまでも『村八分』してらんない。
世間では、若くて新しい感性を持った
生きの良いバンドが、魚のように跳ねている。
バンド・ブームなのである。
猫も杓子もギターを抱えていた。
最初のバンド・ブーム(GSブーム)に
演りだした身としては複雑だ。
良くも悪くもカリスマ性を求められるからだ。

「おい、俺はいったいどっちを向いたらいいんだぃ?」
本来の自分とは違うところで『TEARDROPS』は始まった。

それは、潰しのきかないギタリストが、
まるで、人生のチューニングをするように…。

(1988年、初春)

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