163『国立ブドウ園/吉祥寺』ラブ&ピース

公園の桜が咲いた。

野球場のぐるりを取り巻いていて、
学生の頃はみんなで花見して騒いだもんである。

そんな若い頃、
確か20歳か21歳くらいの頃、
国立に『ブドウ園』っていう共同住宅があって、

「RCの清志郎なんかも住んでるらしいぜ」

っていう噂話に花が咲き、
1部屋五千円だという部屋を
友達と借りに行ったことがある。

「一緒に借りて共同で使えばいいじゃん」

っていう誘いに僕は弱い。

責任感の無さから、
誰かと分かち合うことが
性に合っているのだ。

それと、実家住まいだったから、
ついつい、ヘタレ遊びをする
自由な世界への妄想に駆られるのである。

“秘密の部屋があれば、いろんなアヤユイ景色も見られるはずだ”

オレンジ色の中央線から流れゆく景色を眺め、
自然とほくそ笑んでいく自分を感じていた。

さて、現地に着いてみると、
ブドウ園は本当に葡萄畑の奥にあった。

ワンルーム仕切りのアパートが
いくつも連なっていて、
どこかの学生寮みたいで、
とても開放的なイメージだったのだ。

しかし、それは逆にいうと
プライバシーに欠けているということにもなる。

知人の部屋を訪ねると
違うカップルが窓辺でいちゃついていた。

「誰?いいの?」

「もちろんだよ。ピースじゃない、ラブなんだから」

って言ったかどうかは覚えてないが、
まぁ、そんなニュアンスだった。

それを見て、
ラブ&ピースに欠けるオイラは
秘密の園を諦めることにしたのだ。

自由がなんたるか、
それがとても重要だった頃の話である。

不自由でも良いから
親に学費を払ってもらっている学校を
卒業することにしたのであった。

……………………………

先日、
『藻の月』のレンがやっている
もう一つのバンド
『Magical Lizzy Band』を
国立の地球屋に見に行ったら、
40年以上も前のブドウ園から
出てきたような若い輩が、
耳慣れたロックを奏でていた。

演奏がどうのこうのとか、
スタイルがああだこうだとかいう前に、
遥か昔の光景が蘇る気分だった。

その場に40年前の自分を連れて来て、
ひと言文句を言ってやりたい
気分になったのである。

「どーしてあん時、お前は『ブドウ園』から逃げ出したんだよ」

愛とか自由とかヒッピーとか
マリファナとかドラッグとか
フリーセックスだとか
ウーマンパワーだとか、
そんなことすべてが渦巻く日常だった。

仲の良い友達たちが
次々と学校をドロップアウトし、
吉祥寺に吹き溜まっていた。

ぐあらん堂、曼荼羅、ハックルベリー、
赤毛とソバカス、OZ、西洋乞食、
マッチボックス、幻想、なんて、
キリがないほどに
時間が潰せる遊び場所で
むせかえるほどの煙草を吸いながら
能書きをたれ流していたのである。

夕焼けに染まるベンチに座り、
学校を辞めた途端に
髪を伸ばし始めた親友に、
貸してあるベースギターのありかを聞いたら、

「あれ?Mioが持ってったよ」

と教えてくれたので、
三鷹の中央通りにある
Kiyoの部屋を訪ねると、
そこに居候をしていたMioが
いかにも眠そうな顔をして出てきて、

「ベースギター?あれ?みんなで食べちゃったんじゃないかなぁ。ピースな値段で売れたからさ。どうもご馳走さま」

と言ったかど―かも覚えてないのだが、
まぁ、そんな結末だったのだ。

それ以来オイラは
ラブ&ピース族を信じなくなった。

とーぜんだ、である。

奴らは友達のベースギターまで
食べちゃう輩なのだから。

……………………………

あの頃は、
毎日が1週間くらいに長く思えたし、
楽しむことに一生懸命で、
社会なんて知る術もなった。

五日市街道沿いの古びた食堂で、
200円も出せば味噌汁に卵がついた
定食を食うことができた。

おばあさんがたった1人で
やっている店だったが、
つい最近まであったような気がしたのに、
遥か昔になくなっていたのだろう。

その五日市街道を西荻寄りに
しばらく行ったクリーニング店の2階が
僕らの溜まり場だった。

そこはKenくんの家で、
彼も高校を中退して絵を描いている
ドロップアウト組だったのである。

Kenくんはすでに芸術家だった。
オイラは単なる不良であったが。

その部屋で、
クリムゾンキングの宮殿を訪ねるか、
月の裏側にトビに行くか、
絶えず揺れているのであった。

狭いKenくん家の階段を降り、
客の洗濯物が吊り下がっている
乾燥スペースの脇を通ると、
せわしなく働くKenくんの両親と出くわす。

「あっ、…どーも」

も何もあったもんじゃないだろう。

息子がまた得体の知れない輩を連れて来たのだ。

あの頃の僕らは、
文句や小言には百倍返しの
臨戦態勢を整えていた。

そんな時だけ
ラブ&ピース族にもなれるし、
全学連の受け売りで
反体制のオルグも心得ていたのだ。

自在に変化するイデオロギーで、
必死に毎日働いている大人たちに
石を投げつけていたのかも知れない。

「あんたたちみたいな、つまらない大人にはなりたくねぇんだ」 
とか吠えながら、
「いただきまーす」って、
食卓についていたような気がする。

「あれっ!?俺、何をするんだっけ?」
 
広く想い描いた荒野のど真ん中で、
空想と思想がこんがらがって
ほどけなくなっていた。

ピンクレディを見ながら
ピンクフロイドを聴いているよーな、
実にヘタレな気分だったのである。

………………………………

冨士夫の出現により、
そんな生半可な想いが一変した。

違う角度から、
どうしようもない現実を
突きつけられたような感じだ。

誰しも普通に持っている
アイデンティティが、
もし、どこをまさぐっても
見つからなかったら、
それは全く違う話しになるのだろう。

冨士夫が部屋の隅で奏でる
ギターの音色が妙に心地良かった。
いつもギターを抱えていたのは、
安心感からなんだと気がつくのは、
ずっと後になってからである。

時に威張り散らし、
時に弱々しくうなだれ、
これ以上ないような笑顔で
迎えてくれたかと思うと、
最悪の裏切者扱いをされる。

そのどれもが、
単なる気まぐれや性格の問題ではなく、
本当に自分を映す鏡だったと気づくのは、
随分と歳を喰ってからだったのである。

………………………………

気がついたらあっという間に時が過ぎていた。

かつてのラブ&ピース世代は、
今や日本の中枢に君臨している。

つまりは俺たちである。

それぞれの身を守るべく、
富める者も、貧しき者も、
自らのスペースを守るのに必死なのだ。

愛と平和と自由は、
携帯化された情報に管理され、
莫大な負債を誤魔化すように
社会の仮想化が
これからも進んでいくのだろう。

レンの奏でる
『Magical Lizzy Band』のギターを聴きながら、
不条理な時代の流れを
想い浮かべるのであった。

演奏がどうのこうのとか、
スタイルや時代が
ああだこうだとかいう能書きは、
今はやめにしようと思う。

「一緒にいる同じ時代を楽しめればいい」

老いも若きも同じ月を見る、
そんな時代が来たのだと思っている。

“まずは満月の夜に乾杯”

…そう想うのである…。

(1975頃〜今)

3月29日満月に
『高円寺ShowBoat』
でLiveを行います。

” Full Moon Surprise vol.1 ”

出演
●藻の月
●まのけばJETT
●リョウ・ユニット

Live Painting by Terrapin Station

18:30開場 / 19:00開演
前売り2200円 / 当日 2700円

※この時期、このタイミングのなか、
はるばるお越しの貴重なる皆さまには、
『月を呼ぶカレンダー』を
プレゼントしちゃいます。

お待ちしております。

PS/国立のブドウ園

改めて調べてみたら、国立の一橋大学の裏手を入った突き当たりにあり、うっそうと茂る木々に囲まれた中に広がるブドウ園を中心に、平家2階建てなどの集落が東側、北一帯とランダムに広がる200世帯の音楽長屋であったという。(ジャジャ-JAJAH-ブログより)
清志郎さんが遊びに来ていたり、遠藤ミチロウさんをはじめ、さまざまな音楽家が住んでいたというから、もし借りていたら、冨士夫と知り合うよりも前に人生が曲がりくねっていたのかも知れない。
ちなみに家賃は10000円とちょっと。5000円と言われたのは、➗2だったのかと、今更ながらに気づくのであった。
どーせ、真っ直ぐ進む人生ではなかったのだから、借りときゃ良かったかなぁ、なんて、過去への想いはいつだって果てしないのである。

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