164『ひまつぶし』完全復刻盤で限定リリース!

初めて『ひまつぶし』を聴いたのは、
エミリからもらったカセットテープだった。

こういっちゃあ、
怒られるかも知れないが、
すごく聴きやすいロックに思えた。

『WALKMAN』に入れて
横須賀線の車窓に流れる景色と共に、
良い気分になって聴いていた気がする。
北鎌倉から会社に行く間の
至極のリラックスタイムだったのである。

♪♪誰かおいらに 誰かおいらに
 頭おかしいと 噂してるの
 聞いたぜ 聞いたぜ 
 だけどおいらの 頭からっぽ♪
 
それは、´81年くらいの初夏のこと。
マネージャーをやるなんて
考えもしなかった頃のことである。

鞄の中では、
フジオちゃんが作ってくれた
シャケ弁がカタカタと鳴っている。

「まっ、いっか。しばらくウチに居ても…」

冨士夫とエミリが我が家に居ることが、
普通になり始めていた頃の話である。

……………………………

そこから、
軽く5年ほど経ったある日、
TEARDROPSのライブが
新宿の『アンティノック』であった。

そこに冨士夫の旧友が来るからって、
近くの喫茶店で
みんなして待っていたのだ。

間もなくして現れたのが、高沢さんだ。

正直、最初はおっかない人かと思った。
パッと見、凄みがある。
しかし、話してみると拍子が抜けた。
実に優しくて良い人なのである。

彼が『ひまつぶし』の作詞を書いた
『高沢光夫』その人である。

アルバムを聴いたことのある人なら
感じていると思うが、
全ての詞が冨士夫を見て描いた
人物画のように想える。
長く付き合っていないと
作れない響きがあるのである。

数年後『SO WHAT』のために
武蔵小金井の居酒屋でインタビューをしたら、
ダイナマイツの初期からの
付き合いであることがわかった。

デビュー前のダイナマイツが、
ボーリング場やパーティー会場で
演奏している頃からの仲だという。
ステージの裏方を手伝っていたらしい。

考えてみたら、その頃はまだ
中学を出たばかりの15か16の歳で、
何もかもが希望に満ちた
青春期だっただろう。

そこから20歳くらいまでを
共に過ごしたのだから、
かけがえのない仲間だと想うのである。

しかし、チャー坊の出現により、
冨士夫は『村八分』に持っていかれる。

冨士夫のもともとの優しい人柄は、
その後、独特に変貌し、
数年で周囲が恐れるような
存在に変わっていった。

そこから戻そうとしたのが高沢さんだ。
まぁ、それは言い過ぎとしても、
かつての穏やかだった旧友を
思い描いていたのではないかと思う。

西部講堂で行われた
『村八分』のコンサートでは、
村瀬さんのドラムの後ろで、
ずっとブツブツ言っている
邪魔くさい高沢さんが居たのだという。

そのアルバム『村八分ライブ』
のギャランティで、
冨士夫は与論島を旅した。

そして、この辺りから
高沢さんと冨士夫が
行動を共にすることになるのだ。

チャー坊は後に、
高沢さんが冨士夫を(自分から)
持って行ったと語っていた。

才能に溢れ、
20代半ばの活性期を迎えていた冨士夫は、
誰もが注目する存在になっていた。

当時の某音楽雑誌の対談で、
かまやつさんと加藤和彦さんが
冨士夫の才能について語り合う
記事を読んだのを覚えている。
(対談の落ちは、ドラッグについての危険性であったが……)

高沢さんのプランは、
冨士夫を海外に連れて行くことだった。
『ひまつぶし』の制作は
そのための布石でもあったのである。
 
可笑しな話がある。
この時期、『ひまつぶし』資金で
海外に出た高沢さんは、
『村八分ライブ』資金で
海外を彷徨うチャー坊と、
ロスで会っているのだ。

高沢さんとチャー坊、
2人ともが同じ事を言っていた。

「海外で冨士夫を待っていたのに、彼は来なかったんだ」と。

そう、決して冨士夫は海外に行かなかった。

行きたくなかったのだ。
色々な理由があるのだろうが、
身近な仲間たちと一緒に居ることを、
何よりも優先したのである。

それが、冨士夫にとっての
何よりも勝る
世界観だったのかも知れない。

……………………………

ところで、
僕がカセットテープでしか
聴いたことのなかった『ひまつぶし』は、
冨士夫が『タンブリングス』を始めた頃に
VIVID SOUNDから再発している。

それが良かったかどうだったかは
けんけんがくがく、
いろいろな話が飛び交うが、
僕個人にとっては嬉しかった。

初めてキチッとした音源で
聴くことができたのである。

冨士夫については
マネージメントを始めてから
知った事がほとんどである。

周りにいる人たちに教えてもらい、
客と一緒になって
惹かれていったところが多い。

僕にとっては、
穏やかで優しい冨士夫と出会い、
その景色を眺めるところから
物語が始まったのが
良かったのかも知れない。

根が愉しければ、
その後に何があろうとも、
なんとかなるものなのである。

北鎌倉にあった平屋は、
今の季節には裏山からの
桜吹雪が庭に舞い、
それはそれは、夢心地なのである。

そんな庭を眺めるように、
西陽が迫る出窓の障子を開け、
冨士夫がボロボロのガットギターを弾いている。

あの時の冨士夫は眠そうで、
つぶやくようなハミングで
古いブルースを歌っていた。

長い“ひまつぶし”を爪弾くように、
すごくゆっくりとした音色で、
いつ消えるともない
静かな景色だったのである。

(1981年頃~)

PS/
『ひまつぶし』が新たなるカッティングにより限定リリース!
アナログレコードが2021年6月9日発売される。
カッティングに立ち会った中村さん(PEACE MUSIC)は、「悶絶するほどの凄い音になった」と興奮していたのだとか。

【6/9発売】 山口冨士夫 / ひまつぶしが初盤発売当時の被せ帯付きオリジナル仕様完全復刻盤で限定リリース!
https://www.hmv.co.jp/news/article/2103191000/

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