020『鮎川さんが来てるよ!』SHEENA & THE ROKKETS – CAPTAIN GUITAR AND BABY ROCK

020 『鮎川さんが来てるよ!』SHEENA & THE ROKKETS – CAPTAIN GUITAR AND BABY ROCK

 

「鮎川さんが来てるよ!」

スタッフが指差すほうを見ると、
出入り口のドアにもたれかかるように
長身の『鮎川誠』が立っていた。

実は、先月も同じ位置で
姿を発見していたのだが、
ライヴ終わりに声をかけようと思っていたら、
『バットマン』のように消えていたのだ !?

1984年当時の冨士夫を見ようと思ったら
月一で行われている
『TUMBLINGS live in クロコダイル』
に来ればよい。
他じゃ見れないのである。
なんてったって、
都内のライヴハウス全てに
出入り禁止だったころ。
実にわかりやすかった。

鮎川さんは客として来てくれていた。
そっと来て、すっと帰るので、
声をかけないほうがいいのかと
気を遣い、迷ったが、

「今度来たら楽屋に呼んでくれよ!」

って、冨士夫から
言われていたこともあり、
ライヴ終わりではなく
少し早めに挨拶に行った。

「よろしかったら、楽屋にどうぞ!」

そのときの鮎川さんの
屈託の無い笑顔を覚えている。
瞬間に、『この人は正直な人だ』と思った。
冨士夫に会うのを
素直に喜んでくれていた。

ライヴ終わりの楽屋で
2人は対面した。
この日の冨士夫は上機嫌で
鮎川さんのアプローチを歓迎し、
会話の終わりに

「今度、一緒に何かやりたいな」
と、気持ちを返した。

ちょうど、今と同じ、
夏の終わりを少しばかり惜しんでいるころだったと思う。
『TUMBLINGS』の活動も煮詰まっていた。
そんなときの鮎川さんの登場がタイミング良かった。
『シーナ&ロケッツ』と『TUMBLINGS』で
何かできないだろうか?
お互いに連絡を取り合い始めたとき、
『017話』でも書いたとおり、
冨士夫が1年間の旅に出た。

本人も悔しかったのだろう。
スタジオを作ったばかりで、
真剣に『TUMBLINGS』の“次”を考えていた。
鮎川さんの登場がそれに拍車をかけ、
空回りするように走ってしまったのかも知れない。

リハビリ城から手紙が来る。
“『TUMBLINGS』の3人で頑張ってくれ”
“鮎川誠に謝っておいてくれ”
の内容がしつこく綴ってある。
(実際、冨士夫のしつこさは、
そこらへんのオバさんにも負けない)
それらに対処し、鮎川さんの事務所と
連絡をとっていたら
「今度、一緒に何かやりたいな」
をリアルにしていこうという話になった。

“1986年1月18日土曜日pm4時〜6時・渋谷マックスロード地下”
と、当時のノートにある。
雑誌『ロッキンf』の取材で、
冨士夫と鮎川さんとが対談したのだ。
撮影は井出情児さん。
(初期の村八分の写真を撮影した
冨士夫とは旧知の仲である名カメラマン)
きっと、取材が苦手な冨士夫に配慮して
気心の知れた人を
セッティングしてくれたのだろう。

クロコダイルで会ってから1年余り、
冨士夫は鮎川さんと再会した。
冨士夫をよく知ってる人なら
大きくうなづくところだが、
冨士夫は初対面の人に馬鹿丁寧だ。
相手の立場から物事をとらえ、
接し方すべてが遠慮の固まりになる。
もしかすると、これが本来の
冨士夫の姿ではないかと思うことがある。
『子供時代〜ダイナマイツ』までをよく知る、
吉田クンたちが話す“冨士夫像”に合致するからだ。
(これが、ドラッグをやると豹変するのだが、
それもまた“だからこそ”自己主張するのに
必要なことだったのだろう)

鮎川さんとの対面は2回目だったが、
きちんと話すのは初めてだ。
シーナも交えて、とても和やかな対談になった。
予め、対談後に今後の親交がてら
どっかで“一杯やりましょう”的なノリの
段取りをしていたので、
近くの居酒屋に席を移した。

ところが、ロケッツ側は酒は飲まない。
こちらは好きなだけ飲む。
あればあるだけ飲む。
気がついたら、べろんべろん。
冷静な“ロケッツ組”と、
どたばた“フジオ組”の対比は
この後もずっと続くのだった。

さてさて、この後すぐに
“ロケッツのマネージャー”であった西山さんが
「フジオさんの今後の活動の予定は?」
と、切り出す。
ノートには“1月30日シナロケ/ライブイン”
とあるが、それはまだ冨士夫には伝えていなかった。
どうなるかまだわかっていなかったからだ。
「今度、スタジオでもあれば覗きに行きますよ」
と応え、横に居る冨士夫を見た。
「ん? ああ、そうだな」と冨士夫。
すると、
「来週、この近くのスタジオでリハするけん、
良かったら来ればよかと」
(博多弁はむずかしい・こんな感じだったような気がする)
と鮎川さん。

それはそれは、是非ともうかがいますと、
そんな流れでお開きになった。

べろんべろんの足取りで、
冨士夫ともう一軒行こうということになった。
そこで、冨士夫がこちらを凝視して言った。

「トシ、どこまで決まってる?」

『シーナ&ロケッツ』のライヴへの参加。
お互いのフィーリング次第でレコーディングへの参加。
発売キャンペーン・ツアーへの参加。
を予定していた。
その後に、その返しとして
【TUMBLINGS】と『シーナ&ロケッツ』とのジョイント。
冨士夫のソロに鮎川さんが参加するなど、
そっと、頭の片隅で目論んでいた。

企んでいると、僕はちゃんと顔に出る。
冨士夫はそうゆうことに異常に鋭い。

1984年の夏終わりに
鮎川さんがクロコダイルに来てくれて、
一緒に何かやろうか、と言ってから1年半。
やっと、実現することができる。
今年のプランは『シーナ&ロケッツ』
とのジョイントがメインだ。

冨士夫は“じ〜っ”と人の顔を見て
それらの内容を読み取ったように言った。

「やっぱ、やめとくわ!自分にそぐわねぇ!」

日本酒のおちょこを、ぐっと呑みほし、

「そう言ったら、どうする?」

と言って、実に愉しそうに微笑んだ。

(1984年初秋〜1986年初春)

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