023『シーナ&ロケッツ/九州ツアー』YOU MAY DREAM (LIVE 1986)

023『シーナ&ロケッツ/九州ツアー』YOU MAY DREAM (LIVE 1986)

「誠っチャンとは、裸の付き合いをしてぇんだ」
と、冨士夫は言う。
1月の対談から半年余り、
もっとわかり合える方法はないだろうか?
いつも探してる感じだった。

そんな、鮎川さんのほうは、
冨士夫がいろいろと気に病んでいるとは、
夢にも思ってないだろう…?
一定の距離を保ち、普通に接している。
ビジネスライク、それが当たり前の考え方なのである。

「トシ、風呂に行くぞ!そこで誠っチャンに話すから」

冗談だと思った。

そのとき、僕らは『シーナ&ロケッツ』の九州ツアーで
熊本の人吉という街にいた。
険しい盆地の中にぽっかりと存在する
夢のような街。
宿泊したホテルには確かに
大浴場があるということだったが…。

「大浴場で話すの?」

「ほう!もう呼んであるから行こうぜ!」

どうやら本気らしい。
確かに風呂なら裸の付き合いだ。
理屈はあってる…。
大浴場といっても5メートル四方くらいの
石造りの湯船があるだけ。
他の客は誰もいない感じだった。

間もなく鮎川さんも登場。
湯船の石縁に腰掛けながら
ツアーやらステージやらの
とめどない話に和んでいた。

とたんに冨士夫が切り出した。

「誠っチャン!話があるんだけど!」

僕はドキっ!とした。
冨士夫は直球投手である。
その真っ直ぐの想いが、
ビーンボールにならないことを祈った。

「どうしたん? あらたまって」

鮎川さんが冨士夫に向き直った。

その、空気が止まったような瞬間のなかで
冨士夫は、はっきりと、こう聞いた。

「誠っチャン!泳げる?」

「えっ?」で、ある。
何言ってんの? どうしたの冨士夫?

「もちろん、泳げるよ」
まともに答える鮎川さん。

「じゃあ、向こうまで泳ごうぜ」
と、5メートル向こうの石縁をアゴで指した。

こちらの脳が“ピピピッ”っと、
冨士夫の言葉を分析したが、
“さっぱり、わからん”となったと同時に、

「よ〜い、どん!」とか言って、
二人が水しぶき、いや、湯しぶきをあげた。
泳いでいる……。
ように見える。

『山口冨士夫』と『鮎川誠』が、風呂場で競っているのだ。
どちらが先に着いたもないだろう。
一瞬で向こうの石縁に到着した。
笑っている……。
ように見える。
湯気で少しぼけているが、笑い声がした。

「トシ、どっちが早かった?」
笑いながら、冨士夫が聞いてきた。

「わかんないよ、どっちもだよ」
っと、小学生みたいな答えになっちまう。

結局、これでよかったらしい。
冨士夫は満足したようだ。

「何も話してないけど…?」
と聞いたら、
「あれでいいんだ、のってくれたからな」
と、鮎川さんが何のてらいもなく
ばかばかしい誘いに応えてくれたことで
ご機嫌なのだ。

「それよりさ」
冨士夫が嬉しそうに寄り添ってきた。
小声で、ぼそっと、
「まこと、ありゃ、泳げないぞ」
まんまるな目をしてこっちを見る。
「ほんとに?」
驚いた風を見せて合わせたが、
何がそんなに嬉しいのか
鼻歌まじりに部屋に帰って行く
その後ろ姿にそっと告げた。

「よかったね、仲間がいて」

ライヴ後の打ち上げは、近くの焼肉屋でやった。
公演で一緒だった『憂歌団・内田勘太郎さん』の
“オチの無い話”を何度も聞かされているうちに
頭がぐるぐるになる。
どうやって帰ったかも覚えてないが、
翌朝はちゃんと部屋で目覚めた。
冨士夫を起こしに行こうと思って、
部屋を出てエレベーターに乗った。
冨士夫のいる階でエレベーターが開いたら
目の前に人が倒れている。
ドキっ!と、しながら近寄ると
…冨士夫だ…!ってことになる。
「まさか、死んでるのか?」
って、一瞬思う。
「冨士夫!冨士夫!」って、声をかける。
…よかった、生きてる。
もそっ! と動いたからだ。
「起きな!こんなとこで寝てると死んじゃうよ」
「なんだよ、ひでぇ言い方だなぁ…」
っとか言いながら起きてくる。

そんなことが、よくあった。

この九州ツアーの目玉は
福岡の玄界灘に面した場所で行われた
【Super Live 86】というイベントだった。
実はこれ、【志摩ペンション・ビレッジ】
のオープニングのために、
クロコダイルのオーナーである
【がんさん(通称)】がプロデュースしたものだった。

会場に着くと、小柄ながらも
がっしりとした体格のがんさんが、
ディレクターズ・チェアーに座って
陣頭指揮をとっていた。
「ステージだけで5000万かかったんだ」
というステージは玄界灘をバックに、
まるで大きな黒い船のようだった。

「採算が合うのかな?」
とか考えたが、そんなことは余計なお世話だ。
日活から創世記のナベプロ(渡辺プロダクション)
へと渡り歩き、クレイジーキャッツをはじめ、
中尾ミエや多くの芸能人のマネージメントや
プロデュースに関わった人だ。
ハナっから計算づくなのだろう。

僕らはオープンするビレッジに泊まることになる。
冨士夫と一緒にチェックインした。
が、しかし、部屋がひとつ足りない。
僕の部屋が手違いでブッキングされてなかったのだ。
「まぁ、いいや、後で考えよう」と、
冨士夫の部屋に荷物を置かせてもらい、
冨士夫とふたり、
『清志郎,J,L,& Char』
(清志郎とピンク・クラウドのユニットバンド)
の部屋を訪ねた。
面白かったのは、このとき冨士夫と初対面だった
清志郎のとった行動だ。
僕らが入って行くなり、冨士夫を確認すると
挨拶をしながらも、スッと横をすり抜けるように
部屋を出て行く。
慎重派なんだな、っと思った。
初対面から気を許すことはしない。
いや、加部さんと冨士夫の久し振りの再会に
遠慮したのかも知れないな。
「冨士夫 、久し振り!ドラックにする?女にする?」
僕は、こんな加部さんのジョークが好きだ。
汐留『PIT』でのイベントで一緒になったときも
「この会場の簡易トイレに
おんな連れ込んでできるかな?」
って、加部さんは挨拶がわりに
冨士夫に笑顔を向けてきた。
まあ、いつも、そのジョークにふいをつかれ、
かっこよく返せない冨士夫にも、
切ないほどに好感がもてるのだが…。

ひと通りの挨拶まわりも済んで
ホッとしているところに、
主催本部のスタッフが来た。
「村上さん(ガンさん)が呼んでいる」と言う。
「何だろう?」と思い、行ってみたら、
いきなり奥の部屋に通され、説教が始まった。

「さっき、本部に冨士夫が来てな」
と、ガンさんが始めた。
“うちのマネージャーの部屋をなんとかしてくれ”
と言いにきたぞ、って。
「いいか、今後、そういうことをアーティストに
絶対にさせるな」と言う。

ガンさんの理屈はこうだ。

「アーティストっていうのは、頭がおかしいんだ。
そう思ったほうがいい。
それを見に来る。
一般の人ってのは、日々我慢してる。
本当は解放されたいって、
好きな時に好きな事やりたいって。
だけど、それを理性で抑えて生きているんだ。
本当は誰だって歌も歌えるし、踊れるし、
演技だってできる。
上手い下手は別にしてな。
だからこそ、エンターテイメントが必要なんだ。
つまり、自分がやりたいのに
できないことをやってくれるアーティストに
カリスマ性を感じるんだ。
だから、そのアーティストに
現実的なことをさせてはダメだ。
非現実に居させてなんぼのもんだぞ。
少なくとも仕事のときなはな!」

と、説教は1時間以上も続いた。
が、それは途中からガンさんのナベプロ時代の
数々のエピソードに変わり、
クレイジーキャッツや中尾ミエが
どんだけ頭がおかしかったか、
身振り手振りを交えた大講演になり
本部のスタッフみんなが聞き入ることとなった。
終わりに拍手なんぞが沸き起こり、

「そうゆうわけで、彼の部屋を用意するように」
と、締めくくった。

冨士夫の部屋にある
荷物を引き上げに行きながら、
「ありがとう!」と、冨士夫に礼を言う。
ついでに、今しがた聞いたガンさん話をしたら、
「そいつは俺に都合がいい話だ。
これからはそれでいこうぜ!」って笑った。

本番は明日だったので時間がある。
せっかくだから玄界灘を見てみようと海岸に出た。
地元の人がこぢんまりとやってる海の家があった。
「ここもいいな」と、冨士夫が言いだした。
「ここに泊まらせてくんない?」
大声で海の家の奥に声をかける。
出て来たオジサンさんは、
「珍しいこと言うな、何人だい? いいよ!」
と機嫌がいい。
僕らは、海の家に泊まることになった。
せっかくのリゾートホテルの前で
吹きっさらしの海の家に泊まる。
アーティストのわがままはしょうがない。
たった今、言われたばかりだ、従おう。

玄界灘に落ちる夕日を見た。
「ここから韓国まで船で3時間だって」
半島の近さをつくづく感じた。
夜は地元の漁師さんが、
たくさんの新鮮な肴を差し入れてくれた。
「アーティストのわがままも
時にはいいこともあるな」
っと、とろけるような刺身に舌鼓を打つ。

食後に波の音を聴きながら
波打ち際まで散歩に出た。

「随分と波が高いね」
暗い中で波がうねってる。

「これが玄界灘か、覚えておくぜ」
みたいなことを冨士夫は言っている。

「この波で泳いだらどうなるかな?」
っと、言ったとたん、

「ふざけんなよ!トシ、帰るぜ!」

くるっと、振り返ると、
冨士夫は海の家へと戻って行った。

そう、そう、冨士夫は泳げないんだった……。

(1986年7月〜8月)

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