129『青ちゃんの命日から高円寺を眺める』クリスマスイブ

話は、いきなり江戸時代に遡る。

当時の将軍、徳川の家光さんが、
鷹狩りをして遊んでいるところに
突然の雨が降り出した。

「此処で少し雨宿りしていこうか」

って、立ち寄ったのが
高円寺というお寺だったのだとか。

その寺がお気に召した家光さんは、
のちの鷹狩りの度に
高円寺を訪れるようになる。

すると、小沢村と呼ばれていた
その辺りの地域が、
将軍様にあやかって
高円寺村と地名を変えた。

そこからずっと今まで、
高円寺と呼ばれているのである。

この鷹狩りという遊び。

ほんとうはもっと自然豊かな
武蔵野原生林におおわれた
井の頭湧水の地域(三鷹)
まで遠征しておこないたいところなのだが、

「それには、中野から西へと続く桃園川の浅い谷地(あさかや“阿佐ヶ谷”)を通って、荻が茂る窪地(荻窪)を抜けなければならない」

という少しばかり面倒な道程なのだ。

と思ったかどうかは定かではないが、

想像するに、ココでは、
高円寺くらいがお手軽だった
ということにしておこう、か。

調べてみると、
かつての高円寺周辺は、
名高い寺のもとに門前町が形成され、
鷹の生息するような自然溢れる
地域だったようだ。

それが、時を重ねて、重ねて、
300年ほど重ねたあげくに、
あの関東大震災で激変したのだ。

震災が起きたのは
1923年(大正12年)である。
それは、
高円寺駅ができた翌年にあたり、
被害が少なかったこの地域に、
東京市の中心部から
多くの避難民が流入した。

いきなり人口の増えた高円寺周辺は、
昭和のはじめ頃ともなると、
新興住宅地として発展する。
商店の数も増加し、
活気溢れる街に発展したのだが、

今度は東京大空襲で
あっという間に焼け野原となった。

そのような七転び八起きの
東京の街・特有の歴史を経て、
現在の高円寺の姿に近くなるのは、
戦後の闇市を経て、
東京オリンピック(1964年)
が行われた頃からなのだとか。

商店街もそれまでより整備され、
大小合わせて14もの数になり、
それぞれの個性を
かもし出すようになる。

そんな高円寺の商店街を
足の赴くまま適当に歩いて行く。
横に逸れた小道や高架下を
フラフラと行くのが愉しい。

1979年に完成した
南口アーケード(高円寺パル商店街)を
青梅街道に向かって歩いていく。

アーケードを抜けた
青梅街道手前の一個目の信号を
右に曲がって、
さらにフラフラと行くと、
その三軒目くらいにある
古いアパートが目についた。

「´80年頃だったと思うけど、俺と青ちゃんはココに住んでいたんだ」

そう言って “とお〜い目”
をするのは、
かつてTEARDROPSのデザイン
などを手がけていた中村俊彦氏である。

「このアパートは可笑しな造りになっててね、2軒のアパートが対になっているようなイメージなんだ。だから、俺の部屋に入って裏窓を開けると、そこはすぐに狭い通路になっててさ、その窓から半身を乗り出して手を伸ばせば届く距離に、隣りのアパートのドアがあるってワケ。そのドアの向こうには青ちゃんが寝そべってるんだよね(笑)」

そのヘンテコなつくりのアパートに、
2人は4〜5年住んでいたという。

「そんな距離感だからさ、俺と青ちゃんは、殆ど毎日行き来してたと思う。音楽的嗜好が同じだったからさ、2人して音を聴いていることが多かったと思う」

中村氏にいわせると、
青ちゃんは
“優しくて気風が良かった”
んだそうな。

「それを現すのに印象深いエピソードがある。ある日、青ちゃんが『ONLY ONES』の新譜『Baby’s Got a Gun』を買ってきたんだよね。当然、俺も大好きだからさ、“カッコいい”なんて聴きながら、2人して大盛り上がりしてたんだよ。そのうち、あんまり俺が羨ましそうにしてるんで、青ちゃんは“ チンチロリンで勝ったらこのLPやるよ”って、突然に言いだした。コッチが遠慮する間もなくサイコロを転がしてね、結局、俺が勝っちまったんだよね。そうしたらさ、“ほらっ、持ってけよ”って、あっさりしたもんさ。青ちゃんたら、翌日に同じLPを買ってきてね、“安売りしてたからさ”って笑うんだけど、カラッとしてるんだよね」

確かに青ちゃんは
そんな気風の良さがある。
2人して共有した快感を
一人占めしたくなかったのだろう。
余計なものには
びた一文払わなかったが、
好きなものは
惜しげも無く仲間に奢った。

「こんなこともあったよ、別の日に部屋を訪ねると、青ちゃんがちょうど、ペヤング(ソース焼きそば)にお湯入れたばかりでさ、俺を見て、“おめぇも食うか”って訊くんだ。俺の顔にハラペコって書いてあったかどうかは知らないけどさ、返事も訊かずにパル商店街の乾物屋に走って行っちゃった。それから一緒にペヤング喰ったんだけどね。あんときの味は生涯忘れられないよ 。生きて来て一番旨かったモンのひとつだよね」

タンブリングスの頃、
リハ終わりの楽屋に顔を出すと、
「腹減った」
と言うのは青ちゃんだ。
他の3人は何か喰ったりしている。

青ちゃんは余計な金を
持たない主義だったから、
ライブのときはひたすらに
マネージャーが顔を出すのを待つ。

「はいよ、千円でいい?」

なんて渡すと、

「そんなにいらねぇよ」

とか言って、
半分持って喰いに行くのだ。

それがライブの度の恒例になると、
青ちゃんの腹具合が
やけに気になるようになり、

「青ちゃん、腹減ってない?」

って、
青ちゃんの顔を見る度に
訊くようになった。

前にも書いたことがあるけど、
ずっと昔、新宿花園神社の
酉の市に出くわしたとき、
何故か青ちゃんの腹具合が気になって、
電話で呼んだことがある。

そのときも青ちゃんは、
一銭も持たずに南新宿から
40分もかけて歩いて来た。

一緒に屋台をハシゴして
呑み喰いしたのだが、
コチラが注文したものを摘むだけで、
自分じゃ一切頼まないのである。

それでいて嫌味もなけりゃ、
遠慮も感じさせない。
さりげなく喰って呑んで、
また、40分かけて歩いて帰って行った。

「思い出せば、俺たちはいつだってダラダラとベッタリしていたような気がするんだよね」

中村氏が話を続ける。

「ビックリしたのはさ、“コレ聴いてみて”って、あるカセットテープを聴かせてもらったときのこと。“村八分が初めてシラフでスタジオ入って一発撮りしたテープなんだ”って言っていたのを憶えているんだけど、そのフジオちゃんのイントロが奏でられた瞬間、なんて表現したらいいのか解んないほどに脳天まで鳥肌立ったんだよね。チャー坊の唄もはっきりと聴こえるし、ライブ盤とはまた別の、心に残る何かをもらった気がした。それが10年後の1990年に「草臥れて」としてリリースされるんだけどね、あの時はほんとうに驚いたなぁ」

このエピソードの約10年後に、

「トシ、コレ聴いてみて」

って、何気なく青ちゃんが、
初台にあった事務所に
同じカセットテープを
持って来たのを憶えている。

(その間の10年間は青ちゃん家で、見事に埋もれていたんだな)

後に『村八分/草臥れて』
として世に出たのだが、
青ちゃんのつてで、
青ちゃんの知人のスタジオで録音され、
たったひとつだけ
青ちゃんだけが保管していた
村八分の最初のスタジオ録音物に対し、
青ちゃんは何の権利も主張していない。

青ちゃんとはそんな男なのだ。

…………………………………………

中村氏の思い出に乗りながら、
最後に高円寺の ミッドナイトへと飛ぼう。

「高円寺の真夜中の楽しみのひとつが、バッタリと誰かしらに出会うことだった。深夜2時から3時にフラッと北口駅前のミスタードーナッツに行くと、必ず誰かが居るんだ。そこから、その夜の遊び方が決まるんだよね。まるで、ストーンズの『ミッドナイト・ランブラー』を気取ってね。例えば、店先で出会ったのが良(川田良/フールズ)なら、ブラックプールか高架下の安居酒屋に呑みに行く。耕(伊藤耕 /フールズ)だったら、そうだな、何か楽しいことを求めて高円寺、阿佐ヶ谷あたりをしらみつぶしに彷徨うんだ。知ってる店すべてに顔を出してね、「よう、何かねえのかよ?」ってなワケ。もし、青ちゃんが窓辺でつまんなそうにもたれ掛かっていたら、気楽に笑いかけてさ、またどちらかの部屋で朝が来るまでレコードでも聴きながら、ひらすらに音楽談義に花を咲かせるんだよね。だけどさ、佐瀬に出会ったら、要注意なんだよ。奴は洋式のトイレが苦手でさ、ミスタードーナッツのトイレを“ガタガタグシャン!”って、ブッ壊したことがある。それでいて、涼しい顔して出て来るんだよな。でも、あの時は思いっきり笑ったな、何をやってても愉しかったよ」

『真夜中の徘徊者のことは聞いてるかい?
みんな帰ったほうがいいぜ
真夜中にうろつきまわっている
やつのことは聞いてるかい?
勝手口のドアを閉めるヤツさ』

まるでストーンズの歌のごとく、
時間を忘れて遊び廻った夜が
夢の彼方でいつまでも淀んで見える。

今日も日暮れから
焼き鳥居酒屋からモクモクと煙が漂い、
文化系のこだわり族から、
バンド系こだわらない族まで、
エリート崩れの自由人までも巻き込んで、
ワイワイと騒いで過ごす
愉快な街、高円寺。

東京の人口統計によると、
高円寺周辺は20〜30代の若者の比率が
際立って高くなっているのだという。

ということは、
流れる時間の中で、
常に同じ時代の若者たちが
ループしながら吹き溜まっている
ということなのかも知れない。

高円寺の南口ロータリーを抜けて、
斜めの住宅道を行くと、
宿鳳山(しゅくほうざん)高円寺がある。

門前に佇みながら、
ぐるりと辺りを妄想してみるのだ。

かつて、
寺の周辺には桃の木が多くあり、
桃園とも言われる由縁になったという。
本尊は「桃園観音」、
寺は「桃堂」と呼ばれ、
門前を流れた川は
「桃園川」と呼ばれていたのだとか。

将軍様が気に入っていたこの寺から、
草原を西に向かい鷹を追ってみる。
桃の木をかわしながら駆けて行くと、
高円寺駅を飛び越えたところに
かつてはミスタードーナッツがあった。

今年の2月に閉店した夢の跡とともに、
真夜中の友だちもみんな、
逝ってしまったことに気づかされるのだ。

「仕方が無いから何処かで呑むか」

高円寺の門前を流れる桃園川に添って、
川淵の浅い谷地(あさかや“阿佐ヶ谷”)を通って、
荻が茂る窪地(荻窪)まで
移動することにしよう。

荻窪の駅前で、
常連でにぎわう焼き鳥屋に入った。
少し遅れてしまったが、
青ちゃんの命日に
乾杯しようと想ったのだ。

クリスマスイブの夜景が目に映り、
少しばかり注文に迷っていると、

「トシが喰いたいもんを頼みなよ、俺はソレを摘むからさ」

どこからともなく
青ちゃんの声がする気がした。

「メリークリスマス」

そして、また、
今年も暮れて行くのである。

果てしなく繰り返す、
懐かしい想いと共に。

(昔〜今)

PS:

来たる、
12/26(水)にエミリ率いる
『ダイヤモンズ』が、
『地球屋』でLIVEします。

” 焚き火 “
DEEP COUNT/DIAMONDS
-DJ-火男
Open 19:00 Start 20:00
Charge ¥2,000+1Drink

翌、
12/27(木)は、
高円寺にてストーンズナイトです。

JAPAN ROLLING STONES F.C.PRESENTS
ロックをころがせ! STONES NITE Vol.11

THE BEGGARS 結成40周年SPECIAL

2018.12.27 高円寺ShowBoat
0pen 17:30 /Start 18:00
Add ¥3500/ Day ¥4000

出演
THE BEGGARS with 加納秀人、市川“James”洋二
THE CRAZY COCKS
JACK BLUE
市川“James”洋二(ソロ)

MC: 池田祐司(JRSFC会長)

どっちにも行って、
ぐでんぐでんになって、
今年を締めくくろうではないか。

と、思うのです。

 

Follow me!