053『天国にいちばん近い場所』/ いいユメ見てね

去年の今頃だっただろうか、
所沢にあるライヴハウスに
大久保初夏ちゃんを観に行って来た。
ベガーズのケンちゃんが、何を思ったか
「バンドのPVを作りたい」
と言いだしたため、
オッサンバンド映像の華になってもらうために
初夏ちゃんのステージを訪ねたのだった。

この日の初夏ちゃんは、
相変わらずにブルージーで可愛くて、
エキサイティングで、
無条件に良かったのだけれど、
帰り際にちょっとしたサプライズが付いてきた。

ケンちゃんと一緒に店を出て、
少し歩き始めたところで
「カスヤさんじゃありませんか?」
と、後ろから呼び止められたのだ。
振り向くと見知らぬオッサンが
小走りに追いかけてくる。

“ むむっ!こんなオッサン知らなねぇぞ ! ?  ”

っと、一瞬たじろいでいると、

「TEARDROPSのシスコの録音のときにご一緒した…」

というところまで聞いて、
自分の脳の中で、
このオッサンの顔が30年近く若返っていく。

ああっ!あのときのコーディネイターをやってくれた人だ。
いや、通訳だったかな?
まてよ、どっちもだったかな?
なんて、混乱は脳の中で続いていたが、
確かに知っている人なのだ。

とたんに、そのときの情景に想いがワープした。
それは、なんとも奇妙な場所だった。
サウサリートの海岸に、家と呼べばいいのか、
船と呼べばいいのか、
奇抜な水上のハウスが
何百軒と海に浮かんでるシーンだ。

「ここには芸術家たちが住んでいるんです」

と、そのとき説明してくれた人、
その人だったのである。
彼は北村さんといった。
当時はサンフランシスコでの
僕らをサポートしてくれていた人である。

ここで、当時のシーンを振り返って、
『よもヤバ話』の本編に戻ってみようと思う。
時は1990年の2月のはじめ…。
場面は26年前のサウサリートにある狭い水路に移る。

僕らは、先ほど説明した
奇抜な水上ハウスの一画に居た。
この日はレコーディングを離れ、
ジャケットやら宣伝の材料になる画像を
押さえておく撮影の日だったからだ。

撮影を依頼したカメラマンの名前はヘンリー。
ブロンドの長髪をセンターから分けた
ハワイ出身のアメリカ人だ。
何やら名のある仕事経歴の持ち主だった気もするが、
経歴というものにあまり興味がないので覚えていない。
ただ、温かくて、よく笑う良い人だった。

この水上ハウスを撮影場所に選んだのもヘンリーだ。
きっと、この辺りの芸術家の仲間なんだろうと思う。

僕らが招待された水上ハウスには、
真ん中の部屋に大きくてアンティックなベッドが
ドカンっと置かれていた。

「これはヘンリー・ミラーが使っていた本物のベッドです」
と、カメラマンのヘンリーが部屋の説明する。
わざわざ買い取って持ってきたということだった。

「ヘンリー? あんたがここで寝てんのかい?」
と、すかさずからかう青ちゃん。

「違います。ヘンリー・ミラー、アメリカ人の小説家です。
知りませんか?有名ですよ」
と、 ヘンリーが赤い顔をしてムキになるもんだから、
可笑しくなって、メンバー全員が笑い出した。

「疲れたワ、ベッド借りるよ」
と冨士夫が言い出し、真ん中の奥に寝そべった。
その横に青ちゃんが「いいねぇ」とか言いながら横になり、
佐瀬とカズもそれに続いた。
4人が乗っても大丈夫なほどに大きなベッドなのだ。
さすがは5回もの結婚を勲章に、
女性遍歴の派手だった ヘンリー・ミラーだ。
ベッドの造りも頑丈なんだな、
なんてあらぬことを想っていると、
いつのまにかギターを抱えた冨士夫が
寝そべりながら歌いはじめた。

♪たいしたことないさ、くよくよすんなよ♪

『いいユメ見てね』である。
ゆったりとした空気がヘンリー・ミラーのベッドから、
サウサリートの水辺へと流れていく。
さっきまでからかわれてムキになっていたヘンリーは、
気がつくと一心にシャッターを押しまくっていた。

ところで、オーティス・レディングが
このボートハウスのどれかで『ドック・オブ・ザ・ベイ』
を書いたのは1967年。
モンタレー・ポップ・フェスティバルに
出演した後だといわれている。
そんなことを想いながらハウスのデッキに出ると、
ボートハウスの連なる水辺の風景が、
オーティス・レディングの歌と重なってくる…。

さて、ひとしきり水上ハウスの空気を撮った僕らは、
次にタマルパイス山に移動することにした。
タマルパイス山というのは、
101ハイウェイの左手にある。
1960年代には、ジャニ ス・ジョプリンや
グレートフル・デッドらに混じって、
たくさんのアウトドア志向の
ヒッピーたちが住んでいたという聖地なのだ。

ヘンリーの車に付いて行く僕らは、
今でも独自の生活習慣を守り通しているという
セコイアの森のヒッピー村を眺めながら、
山頂の風景を目指した。

山を抜けるその風景はとても壮大で美しかった。
草原には小動物が生息し、
生まれて初めて野生のスカンクが
駈けているのを見た。
こんなときにいちばん喜ぶのは佐瀬である。
子供のようにはしゃいでいたのを思い出す。

撮影場所としてヘンリーが選んだところは、
小さな花が咲き誇り、緑豊かな草原だった。
この周辺は『天国にいちばん近い場所』として、
その美しさを地元で讃えられているが、
なるほどと思える風景なのだ。
ただ、すこぶる寒い。
吹きっさらしの海風が身体の芯を打つ。

草原の垣根や、山頂の道路での撮影を最後に
お開きにすることにした。
それ以上頑張ると、身体が冷え切ってしまいそうだ。

「もう、限界だ、これで終わりにしようぜ」

って、やけになって、おしくらまんじゅうのように
4人が道を歩いてくるショットが
ジャケット・ショットになった。

そのときの4人の気が、いちばん合っていたからである。

帰りの車は夕焼けの中を走った。
リヤ・ウィンドウから真っ赤な空が追いかけてくる。

「みんな、見てみな、スゲーぜ!」

冨士夫が言った。

「ほんとだ、スゲー」

他の3人が、何のボキャブラリーも持ち合わせずに言葉をコピーする。

僕も同様だった。それしか必要もないほどに絶景だったのだ。

『天国にいちばん近い場所』……
そこでの夕焼けは今でも脳裏に貼り付いている。

…………………………………………

さて、
話を最初に戻そうと思う。

所沢のライヴハウスを出たところで
僕を呼び止めてくれたオッサン。
(オッサン、オッサンいって失礼しました)
北村さんは、ホイホイレコードという
日本初のライブ「お持ち帰り(=録音即売)」
専門レーベルをやっているということだった。

みんな、頑張ってるんだなぁ〜
なんて、月並みだが、本心から想う。

こうして書いていると、30年なんて、
サウサリートからシスコを眺めるような風景なのだが、
その間には途方もない想いが流れているに違いない。

そんなとき、僕は想うのだ。
やっぱり、調子良く、
良い事だけを考えて生きていこうと。

そう、ほくそ笑んだら、
ボートハウスで聴いた『いいユメ見てね』が、
遥か遠くで鳴っているような気がした
……のである。

(1990年2月〜2015年)

※大久保初夏オフィシャルブログ
ameblo.jp/shoka-okubo/

PS/
さて、山口冨士夫『So What! こぼれ話』
おかげさまで、通販限定販売/完売しました。
ありがとうございました。
たくさんの方に感謝申し上げます。

また、11月3日( 文化の日 )原宿/クロコダイルの
内容が決まりました。

今回は【よもヤバNight Party】トークShow と称しまして、
村八分の最初のドラマー/ 恒田義見 さんと、
村八分の最後のベース/  加藤義明 さんに
冨士夫とは全く違う角度からの村八分をお聞きします。

また、LIVE Stageは、
●THE BEGGARS & 恒田義見 & 加藤義明(ex村八分 )
●The Ding A Lings ●VESSE
という構成で考えています。

18;00/OPEN  19;00/START
Charge;3,000/3,500
前売り予約/kasuyaimpact@yahoo.co.jp まで
      連絡先・お名前を明記のうえメール下さい。
      予約をうけたまわります。
※【ご来場の方に『よもヤバBOOK第2弾』先行特典あり?】
かも知れません。

随時、お知らせさせていただきます。
よろしくお願いします。

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