[ニコニコ雑記] ロリーとラリーのお話 ~Part.2~

こんにちは、店長の野呂です。

前回に引き続き、全く同じ「1948年3月2日」に生まれた二人、ロリー・ギャラガーとラリー・カールトンのお話をさせていただきます。

2人の60年代までの活動はこちらから。

生まれ育った国もプレイスタイルも全く違うこの二人が同時期にどのような活動をしていたのかちょっと比べてみましょう!

ATLANTA – DECEMBER 3: Irish blues guitarist Rory Gallagher performs at Alex Cooley’s Electric Ballroom on December 3, 1975 in Atlanta, Georgia. (Photo by Tom Hill/Getty Images)

70年代に入るとロリーはTasteを解散、1971年に1stソロアルバム「Rory Gallagher」をリリースしソロデビューします。

また同年中に2ndアルバムの「Deuce」をリリース、そしてヨーロッパツアーとアメリカツアーを行います。

翌1972年にはライブアルバム「Live in Europe」を発売、翌年も2作のスタジオアルバムを発表しています。

1974年にはアイルランドツアーを行い、その様子が収録された「Irish Tour ’74」は世界で200万枚以上のセールスを上げる大ヒットとなりました。

あの映像はいつ観てもテンションが上がりますし、動画サイトにも細切れですがかなりの数動画があるので観ていない方は是非!笑

一方、ラリーは1971年からザ・クルセイダーズに参加します。

1974年にはクルセイダーズの正式メンバーとなり、クロスオーバー界を代表する名盤となる作品に多数参加しました。

またスタジオワークもかなりの数こなしており、1974年には現在でも名盤として語り継がれているマリーナ・ショウの「Who Is This Bitch Anyway」のレコーディングにも参加しています。

David T Walkerに注目が行きがちですが、2曲目に収録されている「You Taught Me How To Speak In Love」のアウトロのリードなど、かなりかっこいいプレイがたくさんあります。

個人的に非常に良く聴いたアルバムの一つです。

また同1974年にBB Kingのアフリカ公演に参加しており、自身一番のヒーローであるBBのサイドマンを嬉しそうに努める姿が印象的です。

70年代後半になってもロリー・ギャラガーはかなり精力的に活動していました。

1977年にはドイツの有名なTVショー「Rockpalast」に出演、また1978年~1980年には3枚のオリジナルアルバムをリリースしています。

しかし82年に発表した「ジンクス」を最後に事務所を離れると、活動のペースはかなり遅くなりました。

ライブも単発だったことに加えてレコード会社と契約していなかった為、1987年の「ディフェンダー」までリリースは途絶えることとなりました。

その点ワーナーブラザーズと契約を結んだラリー・カールトンの70年代後半からはかなり濃密なものとなっていました。

代表曲「Room 335」が収録された「夜の彷徨」を皮切りに、1984年までに6枚のアルバムをリリースしました。

またスタジオセッションも多忙を極め、スティーリー・ダンの「Aja」、ジョニ・ミッチェルの「逃避行」など多数のアルバムセッションに参加します。

さてまた長くなってしまったので今回はこの辺で。

次回は90年代編になります!

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