019『Like a Rolling Stone』

019 『Like a Rolling Stone』

リハビリ城に居る冨士夫から手紙がきた。

「ワルいが3人でやってて欲しい」
そんな内容が淡々と綴ってある。

そう、3人になっちまった『TUMBLINGS』
どうしたもんかと
マサと話し、ヒデと呑み、
青ちゃんとライヴのプランを決めていった。

高円寺のスタジオでリハーサルをするのだが
3人『TUMBLINGS』では、どうもぎこちない。
ヴォーカルがいないのである。
『コウ(伊藤耕)』に入ってもらった。
普通に考えれば解ることだが、
当然、合わなかった。

逆に『FOOLS』は、すこぶる調子が良かった。
新宿『LOFT』が満員になった。
その80%が女性客。
セクハラ覚悟で言っちゃうと、
可愛い娘ばかりなのだ。
その娘たちがヒラヒラ踊っちゃうからたまらない。
それに釣られた男の客が押し寄せた。

3人『TUMBLINGS』の活動は、
この『FOOLS』人気にあやかろう。
当然の流れである!?

今からちょうど、30年前の夏、
1985年8月25日の日曜日。
まずは『クロコダイル』で、
3人『TUMBLINGS』のお披露目をした。
3人では演奏を30分くらいしかできないので、
『ダイヤモンズ』、『ドライブス』、
『The Sludge(スラッジ)』
の3バンドを入れた形での
イベント形式にした。

『ダイヤモンズ』とはエミリのバンド。
『ドライブス』はサミー前田のバンドである。
突然に周りのスタッフがみんな、
ミュージシャンに変貌。
なんだか妙な気分だったが、
“わいわい”と、愉快に進んで行く。

効果的だったのは高円寺のスタジオだ。
ローテーションを組んで
みんなで使ったので
作った甲斐があったというもの。
管理はサミー前田に任せた。

8月25日の『クロコダイル』が
なかなかうまくいったので、
次は3ヵ月後の11月26日に
3人『TUMBLINGS』と、
人気沸騰の『FOOLS』との
ジョイントを仕組んだ。

しかし、3人『TUMBLINGS』は、
前回の登板から間が空き過ぎるために
肩ならしが必要だった。
そこに『横浜国立大学』から
“『FOOLS』に出て欲しい”と、
学園祭出演へのオファーが届いた。
そこで、3人『TUMBLINGS』付きで
そのオファーを了解する。
11月4日に『TUMBLINGS』が
オールナイトに出演して、
翌5日に『FOOLS』が
野外特設ステージに出演した。

そんな甲斐もあって、
十分に肩が暖まった
3人『TUMBLINGS』と、
『FOOLS』との
『11月26日のクロコダイル』
も大成功になった。

そこに山口冨士夫せんせいが、
“1年間のリハビリ”から
戻って来るというわけだ。

12月17日の火曜日、午前八時半。
赤のCR-Xで迎えに行った。
「このクルマ、買ったのかい?」
「はい!どうすか?」
「う〜ん、ちと小さいな」
冨士夫せんせいは、相変わらず手厳しい。
喫茶店で珈琲が飲みたいと言うので、
横浜を過ぎたあたりで
見知らぬ店に入った。
モカをご所望して一言、
「カフェインだけでもトんじゃうかも〜」
唐突に、冨士夫せんせいが
笑えないジョークを言ったのを覚えている。
あれは一体何のつもりだったんだろう?
もしかして「反省してないかも…」
背中に一筋の汗が “ツ〜っ”と、流れた。

年が明けた1986年の1月18日、
冨士夫が『シーナ&ロケッツ』の
鮎川誠氏と対談する。
こちらとしては、
1月10日に再発売した『ひまつぶし』の
パブリシティも兼ねていた。

この対談がきっかけで、
『シーナ&ロケッツ』への
ゲスト参加にもつながっていく。
1月末に行われた『LIVE INN』、
3月末のレコーディングから、
発売キャンペーン・ツアーにも参加。
その集大成として、
9月にライブ・レコーディングも行った。
この1986年初旬から秋まで続く、
『冨士夫&シーナ&ロケッツ物語』は
面白エピソード満載。
次回以降から順次、
思い出し書いていこうと思う。

さて、冨士夫の気がかりは
やはり『TUMBLINGS』。
久々に再会した4人で音を出したり
ミーティングしたりしたが、
なんだが冨士夫の顔は晴れなかった。

それでも、3月29日の『クロコダイル』は満杯。
かつてはユルかった客入りに、
『FOOLS』ファンと、
『ロケッツ』ファンが流れ込んだ。
冨士夫がステージに現れると
“キャー”っていう黄色い声援が
聞こえるようになる。
全く違う客層になっていたのである。
「おいおい、これはどういうことだ?」
カッコつけの青ちゃんの目の色が変わった。

4月4日には『サイケデリックブルースナイト』と銘打って、
オールナイト・ライヴを『クロコダイル』で行った。
『TUMBLINGS』『FOOLS』
『ダイヤモンズ』『ドライブス』
去年から行っているイベントの集大成だ。
真夜中の仲間内ということもあり、
『TUMBLINGS』はゆったりと、
リラックスした演奏をしている。

『Like a rolling stone DELUXE EDITION』
を聴きながらちょっと、
この日のステージを思い起こしてみた。

オープニングは『DEAR PRUDENCE』。
このころの冨士夫の
お気に入りの入りかただ。
いかにリラックスしているかが
演奏にも現れている。
最後まで完成できなかった
『雨』という曲があるのだが、
(ロフト出版の『SIng Your Own Story 山口冨士夫写真集』にも付いている)
それは、この演奏がインスピレーションになっているのだ。

2曲目は『ROCK ME』。
『TUMBLINGS』といえば、
やっぱり『ROCK ME』。
オールナイトにぴったりの曲だと思う。
「夜が明けるまで〜」と、
まさに今宵の歌である。

3曲目は『DRIVE』。
打って変わってヘヴィなイメージで
空気を変えている。
3人『TUMBLINGS』では
マサがヴォーカルをとっていたが、
前の年の『クロコダイル』のステージで、
ヘヴィなリズムにはまっちまったのか、
マサはヴォーカルも入れずに
ずっと同じリズムを繰り返し、
「どうなるんだろう?」っと、
気が遠くなっていったステージが
あったのを思い出す。
ここでの冨士夫はいたってリラックス。
数ある『DRIVE』の中でも、
極上のギターが聴ける逸品だ。

4曲目は『赤い雲』。
「LP “ひまつぶし”から」
というMCで始まるところをみても、
この夜の冨士夫は落ち着いている。
演奏もゆっくりめのリズムで
丁寧にパフォーマンスしているのが解る。

5曲目は、いよいよ青ちゃんの登場。
『フラフラ』だ。
これも、3人『TUMBLINGS』の成果。
『フラフラ』は、この一年後に
『ジョージ(現.藻の月)』と結成する『ウイスキーズ』
で結実するのだが、
このころはまだ「青ちゃんが唄うなんて」
っと、みんなが緊張の面持ち。
心配する冨士夫がやたらと
サポートしているのが解る。

6曲目は、実は歌も上手いハンサムガイ、
ドラムのヒデ。
『タンブリン』という曲なのだが、
この曲、実は毎回変わる。
歌詞がないというか、
早い話、メチャクチャ語なのである。
だから、すごく面白い。
そこにコーラスも入れちゃったりして、
何やってんだか、凄くカッコイイ。
やっぱり、3人『TUMBLINGS』のために
ヒデがもたらした魔法である。

7曲目は『誰もが誰かに』。
冨士夫が気に入ってた一曲。
『ロケッツ』のステージでも
自分の持ち曲は
この曲にすることが多かった。

8曲目は『からかわないで』。
『TUMBLINGS』は、わりとこの曲を
ステージ終わりにもってくる。
そこで、もらったアンコールで
スローナンバーを演り、
客の熱も冷まして“本当の終わり”
とすることが多いのだが、
この夜は他も身内のバンドだったので
アンコールが来ないように
持って行きたかったのだろう。
9曲目に『漂う』をやることにより
エンディングとした。
冨士夫らしい気遣いなのだ。

この日のMCでも触れているが、
ドラムのヒデが
ニューヨークに行くことになった。

実は、1月末に行われた
『ロケッツのLIVE INN』ライヴで
冨士夫がゲスト出演した際、
お返しというかたちで
鮎川誠ゲストの『TUMBLINGS』ライヴを
同じ『LIVE INN』でブッキングしていた。
それが5月6日にある。
だから、ヒデのニューヨーク行きは
とても困った。
ヒデを説得したが、決心は固かったので
代わりに『FOOLS』を抜けていた
佐瀬浩平にドラムを頼み、
ベースも『FOOLS』のカズにお願いした。

結果的に、ここで『TEARDROPS』の
メンバーが揃っての
ライヴとなったわけだが、
それはあくまで結果論。
このときはまだ、
『TUMBLINGS』を
続けるつもりだったからだ。

それにしても『FOOLS』と、
『シーナ&ロケッツ』効果は大きかった。
客層もがらっと変わった。

リハビリ城から帰って来て約1年。
モカをご所望して、
「カフェインだけでもトんじゃうかも~」
っと、おどけて12ヵ月弱。
反省が足りなかったのか !?
リハビリ城から再び、お迎えが来た。

僕らはざわめいた。
「どのくらい?」
「1年…!」

1年か。
1年なんて「あっ!」という間である。
『TUMBLINGS』の
ライヴ・アルバムでも作って
待っていることにしよう。

今まで収録してきた
ライヴ・カセットから
状態がいい音を探し始めていた。

エミリが、
我が家のいちばん日が当たる部屋で、
ジャケットになる絵を描いている。
「その横顔、冨士夫?
エミリにはそう見えるの?」
なんてからかっているとき……、

リハビリ城に居る冨士夫から手紙がきた。

「アルバムに村八分の曲は使わないでくれ」

「それと、タイトルだが
『Like a Rolling Stone』でいかねぇか」

って、綴ってあった。

そう、アルバムのタイトルは
『Like a Rolling Stone』に決まった。

それは、まさに転がり続ける
冨士夫そのものにも思えたから。

(1985年〜1987年)

■追伸●

昨日は冨士夫の命日だった。
きっと、終戦記念日に
逝きたくなかったんだろうな…。

『Like a rolling stone DELUXE EDITION』
が届いたので、
発泡酒片手に聴いてみると
当時のシーンが蘇る。

手帳を引っ張り出して
周辺のことまで書いたら
少し長くなってしまった。

暑い夏になると冨士夫を思い出す。
蝉の声がまるで
何かをせきたてているようだ。

今日は、お盆で終戦記念日。
冨士夫の想いがつきまとう。
ずっと、こだわっていたものを
伝えたかったのだと思う。

だから歌っていたんだ、と。

『Like a Rolling Stone』を聴いて
改めてそう思った。

心から ご冥福をお祈り致します。

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