057『村八分対談【前編】/恒田義見・上原”ユカリ”裕』/どうしようかな/渡辺大知(黒猫チェルシー)、峯田和伸(銀杏BOYZ)、岸田繁(くるり)の3人が歌う映画「色即ぜねれいしょん」の主題歌。

【前号までのあらすじ】
村八分のお話をお聞きするため、
初代のドラマーであった恒田さんにお会いした。
恒田さんは「一生に一度だけだぞ」と前置きをされ、
約二時間半もの間に、
イッキに46年前の憶いを吐き出され、
…その別れ際、お話の余韻も残る空気の中で、
逆に、恒田さんからの申し出を承った。
「ユカリさんとお話がしたい」と、言うのだ。
これは、思いがけず、ナイスである。
ちなみに、説明する必要もないとは思うが念のため、
ユカリさんとは、“ 上原ユカリ裕 ”
村八分の二代目ドラマーの方である。
「がってん承知の助でぃ」
江戸弁好きの冨士夫であれば、
こう言ってご要望をお受けするところだろうが、
僕はいたって普通にお受けした。
そうなると、恒田さん、
「一生に二度目になるけど、よろしいでしょうか?」
なんて、余計なことも言わない…。

そんなワケで今回のよもヤバ話。
恒田さんのリクエストを受けて、
ユカリさんのご登場とあいなる。
場面は都立大学駅前の喫茶店。
46年振りに再会したお二人の
感激のシーンから始めようと思ふ。

…………………………………………

「久し振りです。46年振りだね(大笑いの二人)」

いま、まさに恒田さんとユカリさんが
両手で握手をしている。
ユカリさんはスタジオのリハ帰り、
恒田さんは太鼓の舞台を
翌々日に控えての状況だ。

「いやぁ、それにしても
キチンと話をするのは初めてだね」
と、恒田さんが口火を切る。

瞬間、時は1971年にフィードバックした。
二人は何度も同じ場に居たはずなのに、
まったく会話をしたことがなかったのだ。
場面は、恒田さんが寝起きしていたフリーゲート。
まだ高校生だったユカリさんもそこにたむろっていた。

そして、チャー坊の何とも言えない、
人を射抜くような表情が
それらのシーンにオーバーラップする。

「次のドラマーは決まってるんや」

情のかけらも無い仕草でさらっと言ってのけた。
言われた恒田さんは
当然のごとくザワめいただろう。
ワケの解らない想いで冨士夫に向き直るが、
冨士夫も格別に自分を援護してはくれなかった。

そんな、謎の残る割り切れない想いがあった。
だからというわけではないが、
当然のごとく恒田さんは、
その想いを永い間
パンドラの箱に仕舞い込んだのだ。
村八分というバンドと共に。

「だけどさ、ひとつだけ心残りがあってね、
ユカリさんと話してみたかったんだ」
と、恒田さんがユカリさんに問いかける。

「何を話したかったかというとさ、
僕のあとのシーンはどうだったのか?
それが気になるんだよね。」

恒田さんは自分の後釜に入った
ユカリさんの想いを確かめたかったのだ。

すると、ユカリさんは違った切り口から
かつてのシーンを話し始めた。

「その頃の恒田さんを憶えてます。
キャッツアイで一緒になっているんですよ。
僕はチャー坊に連れられてそこに行ったんです」

ユカリさんにとっての村八分は
その辺から始まるらしい。
もともと、高校時代にいつも行っていた
喫茶店の常連客の中にチャー坊がいた。
チャー坊はその店の奥にあるビリヤード台で、
エイトボールの賭けをやり、
ときたま日銭を得ていたのだ。

そのチャー坊に、ある日、

「冨士夫ちゃんと一緒にバンドやるけど、
どうする? やらへんか?」

と口説かれる。
そのころ、ユカリさんはすでに
ゴーゴーホールでハコに入っていた。
そこにチャー坊がスカウトに来たのだった。

「“エッ!”って(笑)、あの山口冨士夫?
野音で観た『山口冨士夫グループ』の
幻想がよみがえってきて、
“ 冨士夫ちゃんとできるんだったら、やるわ ”って(笑)」

そんなことがあっての
キャッツアイでのシーンだったのだ。
ユカリさんにとってはスカウトされての
バンドの下見というわけだ。

だから、恒田さんとユカリさんは
確かにそこで交差している。
だけど、その時はまだ
恒田さんはユカリさんを意識してはいない。

「そうか、じゃあ、その時にはもう、
そんな感じだったんだね。
でも、その後、ユカリさんも
村八分を1年で辞めちゃったでしょ。
何で1年で辞めちゃったのか
知りたかったんだよね。」
恒田さんが再び聞いた。

「辞めたっていうか、活動ができなくなったんです。
冨士夫ちゃんがね、アレで(笑)」
そう軽く言って、ユカリさんは両手首をクロスした。

その仕草に妙なリアリティがほとばしる。

「あっ、そうか。じゃあ、何かいろいろなことが
あってということじゃなくて…それで活動休止に…?」
と、恒田さん。

「そう、そこで突然の強制終了です」
ユカリさんがまた軽く笑った。

「まぁ、いろいろなこともあったんですけどね(笑)」
そう言いながらも、
冨士夫に魅かれたいきさつを話し始めた。

「僕が村八分をやっていたのは、
18歳になる三ヵ月前までの1年間です。
だから16から17ですね。
そういえば、村八分になる前の山口冨士夫グループの
ドラムは恒田さんですよね?」

「うん、そう。」と恒田さん。

「そうか、やっぱり。
野音で見てほんとうにぶっ飛んだんですよ」
と、ユカリさんは話を続けた。

1970年当時、ユカリさんは16歳。
東京に出て行くのが楽しくて仕方がない。
お金もないのでヒッチハイクで新宿まで行き、
友達の家に泊まっていた。
当然、野音も塀を乗り越えて入る。
(当時はそれができたのだ)
そこで目にしたのが山口冨士夫グループだったのだ。

「野音の山口冨士夫グループにはぶっ飛んだ。
ほんとうに凄かった。
それが冨士夫ちゃんを好きになった一番の理由なんです。
あのときのメンバーは誰ですか?」

と、聞かれて恒田さんが苦笑いを浮かべた…。

「冨士夫と俺と、染谷くんと青ちゃん…。
……え〜と、……ごめん、あの頃は、
俺もちょっと普通の状態じゃなかったから、
よく憶えてないんだ(笑)」

「あはは(笑)、それはみなさん、
そうだと思います(笑)」

「だから、ごめん、全然憶えてない…。
だけど、野音で2回か3回やったかな?」

「僕も村八分で1回出てるんですよ、野音に。
でも、聞かないでください。
僕もまったく普通の状態じゃなかったから(大笑)」

……しばらく二人の大笑 いが続く……

「ところで、村八分のときの営業はどこでやってたの?」
と気を取り直して恒田さんが聞いた。

「何もやってませんでした。
毎日まいにち、うだうだして、
ディスコを借りては練習しての繰り返し。
だから、僕にとっては、
仕事っていう意識は全くなかったんです」

ユカリさんの実家は京都市内なのだが、
バンドに入ってからは、
チャー坊の家で暮らしていたのだとか。
冨士夫とチャー坊とステファニーと
チャー坊お母さんとユカリさんの5人暮らし。
2階がユカリさんの寝床だったという。

「朝起きると、
冨士夫ちゃんのギターの音がしている。
冨士夫ちゃんが一番早起きだったから。
起き抜けに階段を下りる時は、
もう、それが聴こえるんですよね。
それも、延々と同じフレーズばかり、
ず〜っと弾いている…。」

「それはファンの皆様が喜ぶエピソードだ」
と、恒田さん。
「でもさ、それじゃまるで喰えないじゃない」
と、続ける。

「どうやって食べてたんですかね?」
と、ユカリさんも宙を見る。

「じゃあ、あれかい?
俺が辞めた後の1年間に何があったのか
聞きたいと思っていたんだけど、
たいしたことなかったんだね」

「いやぁ、もう、たいしたことありますよ。
ありすぎて何をしゃっべたらいいのか…(笑)」

「あり過ぎるとたいしたことなくなるんだよ、
だいたいが(笑)」

「毎日がもう、旅みたいなもんですから」

「(笑)それは、よくわかるよ」

「特に誰も仕事してなかったですからね」

「そう、人間を試されるんだよね(笑)」

そう言って、二人はまた大笑いをした。
どうやら、同じ空気感があるようだ。

若いころの時間の流れはあまりにも速い。
何もしていないようで、
実際は実にいろいろと動いているものだ。

「あっ、東京に一度出て来たな、
代々木八幡に部屋を借りて…」
ユカリさんが何かを思い出したようだ。

あまりにも何にも始まらないから、
一度、東京に行こうってことになったのだ。
誰がどうやってその部屋を借りたのかも、
何もかもわからないユカリさんがいる。

「ここで今日から暮らすよ」
ってチャー坊が宣言して、
「おう!」ってな感じなんだとか。

でも、一日何をするでもない。
それが一ヵ月くらい続くのだ。
結局、憶えているのは、やかんとお茶。
最後にやかんにお茶を入れて、
そのお茶をみんなで呑んで、

「さっ、帰ろっか!」って(笑)。

それを聞いた恒田さんが、
溜息まじりに喜んだ。
「いやぁ、いいなぁ。のびのびとしてるよね」

そう言われたユカリさんは、
「まったく、そんなんじゃないですけどね。
禅問答みたいなもんで。
“ 何もないね、どうする? ”“ どうしようか? ”
“ 帰ろうか? ”“ 帰ろう ”みたいなもんですよ(笑)」
そう言って軽く笑った。

「村八分ってユカリさんにとってはどうだった?」
いきなり恒田さんが直球を投げた。

ユカリさんは、少し溜めて、
そしてゆっくりと答えた。

「ロック魂っていうか、そういうのはもらいましたね。
辞めてからも周りから、
“ すげぇ、村八分にいたんだ ”って、
よく言われたんですけど、
でも、自分の中では完全に村八分は切り捨ててました」

「そうか、俺には俺の村八分があるし、ってね。
でも、それは世間が望む村八分とは限らないし…」
そう、恒田さんが言うと、

「でも、世間は望むんですよね」
そう言って笑うユカリさん。

そして、笑顔の後で真顔になると、

「村八分の半分は音楽ですけど、
残りの半分は生き様ですから」

そう言って、結論づけた。

その“生き様”って、いったい何なのだろう?
深くえぐるように、次号へ続くのである。

(2016年10月6日/都立大学前)

【上原”ユカリ”裕】/16歳の頃、伊藤銀次と知り合い、1970年夏に“グラス・ブレイン”を結成。1971年には“村八分”、1972年には“ごまのはえ”に参加し、そのまま“ココナツ・バンク”のメンバーとなる。解散後の1975年にはシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』のレコーディングに参加する一方、ハイ・ファイ・セットのバック・バンドに加入。同年3月にはシュガー・ベイブのメンバーになり、以後1976年4月の解散まで活動。解散後は大瀧詠一主宰のナイアガラ・レーベルのセッションや、りりィのバック・バンド“バイバイ・セッション・バンド”、伊藤のアルバム『DEADLY DRIVE』など、レコーディングでも活動。その後、1981年から1984年まで沢田研二のバック・バンド“EXOTICS”に加入。1986年10月、TBSテレビで放送された伊藤出演のスタジオ・ライヴ番組収録をもって一時ドラマーを引退する。1996年に復帰、大滝のシングル「幸せな結末」のレコーディングや、忌野清志郎のバンド“ラフィータフィー”のメンバーとしての活動のほか、瀬川洋&トラベリン・オーシャン・ブルーバーズでドラムを叩く。2002年には伊藤とココナツ・バンクを再始動させた。愛称の“ユカリ”というミドル・ネームは、明治「マーブルチョコレート」のCMに出演していた上原ゆかりに因んで付けられたもの。

【よもヤバNight Party】
11月3日( 文化の日 )原宿/クロコダイル
※よもヤバトークShow/村八分トーク【出演;恒田義見 & 加藤義明】
■LIVE/●THE BEGGARS & 恒田義見 & 加藤義明(ex村八分 )
●The Ding A Lings ●VESSE
18;00/OPEN  19;00/START
Charge;3,000/3,500
前売り予約/kasuyaimpact@yahoo.co.jp まで
連絡先・お名前を明記のうえメール下さい。
予約をうけたまわります。

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