030『スピード』Boys I Love You

030『スピード』Boys I Love You

昨秋、ケンゴさんと茶飲み話をした。
たまたま見つけた『SPEED』の
Youtube動画に惹かれて、
会いたくなったからだ。

新宿の南口で待ち合わせて、
冨士夫ゆかりの喫茶店に入る。

ケンゴさんは、言葉少なではあったが
ひとつ、ひとつ、昔をひもとくように
思い出話をしてくれた。

■2015/9/27 sun  ケンゴ 茶飲み話 から〜

『 青木とか、石丸(しのぶ)とか、冨士夫とか、みんな『セツ・モード・セミナー』で知り合ったの。コっぺ(ジニー紫)もいたなぁ…。そもそも、コっぺが冨士夫を連れてきたんだから。石丸は冨士夫とベッタリよ。とにかくいつも一緒にいた。あの二人は本当に仲が良かったんだ。だけど、俺たちって酒を飲まなかったのよ、若い頃は。まぁ、飲めなかったんだよな。俺なんか飲みはじめたのは30くらいから。それが今じゃアル中なんだから(笑)。』

『 冨士夫との最初の出会いはさ、ダイナマイツの解散の時だったな。新宿の歌舞伎町にあったサンダーバード、そこに青木なんかと見に行った覚えがある。客は10人もいなかった(笑)。69年の大晦日だったかって? それは、憶えてないなぁ…。』

『 当時の写真があるよ。俺と青木とジョンっていう奴と、当時『セツ』にいた奴が何人か写ってる、全部で5人かな?“渋谷でタムロする若者”ってイメージで撮ったんだよ。青木はアフロみたいなヘアースタイルでね、ガリバーが撮った。ガリバーってのは、当時のヒッピーのカリスマみたいな奴でね、面白い奴だった。その写真がさ、毎日新聞だったっけな、正月版の全面に載っちゃってさ、正月休みで田舎に帰ったら大変だったんだ、大騒ぎでさ!(笑)これからの若者って感じで新聞に載ってたからね。 田舎? 田舎はね、三重県の牛の松阪ってあるでしょ?それのもっと南に下ったところ。』

『 チャー坊がアメリカから帰って来て、風月堂あたりでみんなしてタムロってたのは憶えてるよ。冨士夫が音のド素人ばかり集めて、何かやろうとしてたのも知ってる。そのうち、青木が「ケンゴ、俺、バンドやりに京都へ行ってくるよ」って言い出してさ、だけど、1年くらいしたら突然に戻って来たんだ。俺も何があったのか聞かないからね。とにかくセツに入って、すぐに京都に行っちまったんだから、青木は。まだ、18の小僧だったんだよな、今になって思えばさ。』

『 青木は京都でいろいろあったんだろうね。でもさ、何も言わないから俺も聞かなかったよ。それで、東京に帰って来た青木は高円寺に住んだんだ。俺が高円寺に住んでたからね、奴も越して来たってわけだ。それからは毎日来るんだよ、俺ん家に。必ず電話してから来る、「今から行っていい?」って。どうせ毎日来るくせに電話してくるんだ。そういうところあるんだよな、奴は。それで何するでもないんだな。とにかく ず〜っといる。まぁ、メシを喰わしてさ、手内職なんかも手伝わせたかな !? 』

『 青木と一緒に『SPEED』を演るのはその後だね。『東京ロッカーズ』に入ってたかのようにいわれているけど、実は俺は嫌いだった、『東京ロッカーズ』(笑)。スタジオ・ライヴがネットに上がってる? そんなこともあったな。『SPEED』は4〜5年やったよ。最初のステージは福生の『UZU』。その為にスタジオのリハに入ってさ。青木は大枚はたいてギターを買ってたよ。ファイヤーバード、それが気に入ってさ、即行で買ったんだけど、チューニングが狂うのよ。だから、ステージではチューニングのしっぱなし。終いにはギターがワルいのか、青木がおかしいのかわかんなくなっちゃってさ(笑)。でも、奴の弾くギターはなんか面白いんだ。決して上手かないんだけどね。同じコードとリズムを弾かせても、「ん !? 何か違うぞ!」ってところがあるんだよね。独特なんだ。あの下手さ加減は誰にも真似できない(笑)。俺にとっちゃ、それが何ともいい感じなんだな……。』

『 よく、賀句 (鳥井賀句)の店でタムロってたよ。奴がマネージャーっだったこともあったから。そこに良(川田良)や、コウ(伊藤耕)も寄ってきたんだ。そのへんが、良が『SPEED』に入るきっかけになったり、青木が『フールズ』を作る導火線になったんじゃないのかな !? 青木はなんにも言わない、いつもね。だけど、あの時(『SPEED』を辞めて『フールズ』を作る時)なんかしら悩んでたな、そう、悩んでた、あの頃。そんなのが、ぼやっと思い浮かぶよ。』

『 だけどさ、確かにね、青木が抜けちまったら『SPEED』じゃなくなっちまった。…………そんな、気がする。』

『 『セツ』のみんなと一緒にいた頃の冨士夫はさ、大人しくて穏やかな良い奴だった。青木はそんな冨士夫に惹かれて京都まで行ったんだろうな。『フールズ』の後、また冨士夫とやりだした時、青木が言ってたよ。「昔の冨士夫に戻ってたから、また一緒にやるんだ」って。』

〜2015/09/27 sun 新宿にて
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暮れになり、正月が近づいてくると、
ケンゴさんの言ってた
『毎日新聞に載った“渋谷でタムロする若者”』
の写真が見たくなってきた。
時は1970年の元旦、
場所は東京の渋谷での写真ある。

僕は、今から46年前の風景を確かめるために
中央図書館へと出向いた。

ケンゴさんの言うような
新聞全面を飾る写真は見つけられなかったが、
(たぶん、それは正月版の
広告ページ専用の折だったのだと思う)
同じであろう写真を
『衣装の現代学』というページで確認した。

確かに5人が並んで写っている。
真ん中のアフロ・ヘアーが青ちゃんだ。
その横にケンゴさんとジョンという人がいる。

なんだか不思議な気分だった。
年の瀬に、数日後にくる正月の記事を見る感じ。
それも1970年の正月、大阪万博の年だ。
ヒッピーとフーテンの文字がそこかしこで踊り、
『にっっぽんが着替え中』だと
ファッションや文学、演劇を指して
カウンター・カルチャーに沸いている。

「トシ!知ってるか !?
メジャーとマイナーの価値観が
ひっくり返った数年間があったんだよ」
と、むかし、石丸しのぶが教えてくれたことがある。
『非日常』のトリップ感覚が日常を飲み込み、
アングラとナンセンスがメディアを飛び交う。
『素人』と『玄人』の判別が変化し、
あえて、そうする『貧乏自慢』のほうが
『プチブル』より、だんぜんカッコイイのだ。
1970年の紙面では、大手の企業広告でさえ
『サイケデリック』していた。

しばらく1970年の正月の新聞に見入った後、
ハッと、した思いで図書館を後にした。
切りが無いのだ、本当に…。

そとに出ると、日差しが眩しかった。
今年は本当に暖冬なのだろうか?
いくつになっても寒いのは苦手だな、
なんて思って歩いていると
いつのまにか見知らぬ景色になっていた。
あらっ!? 道を間違えたのかな?
と思い、正月の飾り付けをしている人に
「すみません、駅はどっちでしょうか?」
と尋ねてみた。
「向こうですよ」
と優しく指差す方向を見て確信した。
僕は反対の方向に向かって歩いていたのだ。

のんびりと……、
まるで自らの人生のように……。

(1970年〜今 暮れから正月)

PS,   2016年の新年、明けましておめでとうございます。
   今年もよろしくお願いいたします。

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