037『どんと/BO GUMBOS』

037 『どんと/BO GUMBOS』I’M A MAN

どんとは、不思議なキャラクターだった。
何処か別の世界から来たような存在感。
妄想好きな僕にとっては、
非現実的な人間のひとりなのだ。
そういうことにしておいたほうが
愉しい気もした。

どんとと冨士夫は、
いつの間にか一緒に遊んでいたので、
いったいどこで知り合ったのか、
ずぅっと、謎だったのだが、
去年の夏だったか、
エミリから聞いてはっきりとした。
1986年の『仙台R&Rオリンピック・ショー』
そこで仲良くなったのだ。

あのときの打ち上げも非現実だった。
冨士夫は『シーナ&ロケッツ』に参加していたのだが、
イベント終わりのホテルの宴会場で、
投げなくてもいい一石を投じたのだ。

各出演者とスタッフ、
レコード会社やら関係者が一堂に会し、
楽しく和やかに歓談しているその時に、
「皆さん、聞いてください!」
と、聞き慣れた声が会場前方からした。
見ると、冨士夫マイクのところに立っている。
とたんに会場が静まり、皆が前方へと向き直る。
完全に、嫌な予感がした。
“絶対に何かやらかすつもりだ”

近くにいたシーナが僕を覗いた。
「何?」といった感じだ。
「何も聞いてないませんよ」
というように、僕は首をかしげた。

「私はここに、マリファナ解禁を宣言します!」
と、オリンピックの宣誓のように冨士夫が叫んだ。

……頭が真っ白になった。
これは、悪い夢に違いない。
久々に思う現実逃避への貧血状態だ。

「この中で、マリファナを持っている人は、
あとで俺の部屋に持って来るように、以上!」
と、冨士夫は締めくくって部屋を出て行った。

これにはまいった。
会場の後方にひとり残された
『マリファナ解禁!宣誓』の関係者の身としては、
なるべく速やかにこの場を離れるしかない。
僕は、徐々に蟹のように壁に沿って移動し、
「あっ、すみませ〜ん」
とか言って、遠藤ミチロウさんを押しのけ、
色んな人をフェイントでかわし、出口へと向かった。
でないと、つまらんことを言われそうだ、
「冨士夫さんらしいですね〜」という、
意味の無い評価も聞きたくない。

その後の記憶がまったく無いのだが、
(実は、僕は嫌な記憶を完全に消去する
 特殊な能力を持っている)
その記憶をエミリがつないでくれたのだ。
「どんとたちが部屋に来たんだよ、あの後」
と、エミリが笑いながら言う。
そう !? そうなのか…。
それで知り合ったのが最初なのか。
そういえば、うっすらと二人の笑い顔が霧の向こうに浮かぶ。
……ような気がする。

そうか、あのシーンで冨士夫のところに来たのだったら、
冨士夫選手は、さぞかしお喜びだったのだろう。
どんとの事を、最後の最後まで信頼してたのも
わかるような気がする。
冨士夫は、自分の非現実にノってくれた輩を、
理屈抜きで大切に想うからだ。

それは、『ローザ・ルクセンブルグ』時代の
どんとたちだった。
その後の『ライブイン』で行われた彼らのライヴに、
冨士夫が呼ばれたので覚えている。
背の高い、衣装の奇抜な、やはり現実離れしたバンド。
そこに冨士夫が混じると、
なんだか、小さな悪魔がステージを
かき回しているようで面白かった。
そんなこんなで、冨士夫とどんとたちは、
気が合い、音も合い、
プライベートでも行き来するようになっていったのである。

1988年4月27日の『芝浦インクスティック』、
5月1日の『日比谷野音』での
『BO GUMBOS』のステージに冨士夫が参加している。
実に、前回のブログ『TEARDROPS/関西ツアー』
の3日後のことである。
何ともお忙しい限りだ。
申し訳ない。

ところで、どんとたちが新しく結成した
このバンド『BO GUMBOS』。
業界ではすこぶる評判が良かった。
聞き耳を立ててると「今年の目玉にしよう」
とか言う声が、そこかしこから聞こえてくる。
僕は、ごく自然に寄り添うことにした。
『BO GUMBOS』のマネージャー・瀬戸さんも、
嫌な顔はしていなそうだ。
暫くは、『BO GUMBOS』いるところに、
『TEARDROPS』あり、そんな構図が都合良い。

ところで、『BO GUMBOS』のメンバーには、
キョン(Dr.kyOn)が、Gu/Kyで参加していた。
当初の『TEARDROPS』のKyは、
コッペ(現/ジミー紫)が演ることが多かったが、
次第に、要所々はキョンが参加するようになっていった。
そんなこともあり、ある音楽誌が
冨士夫とキョンの対談を企画したのだ。
ここで、僕は冨士夫の知らなかった一面を見ることになる。
知っての通り、キョンはとても思いやりのある
クレーバーな人柄である。
ゆえに、時としてギミックのある
言葉選びをしてしまうのかも知れない。
対談の中でキョンは、
「冨士夫さんの歌詞は幼稚だ」と言った。
話の流れからして、決して悪い意味ではなかったのだと想う。
冨士夫の詞をイメージした「幼稚」の意味が、
その後で逆転するような流れが、
用意されているような物言いだったのを
その場にいた誰しもが感じていた。

しかし、冨士夫はダメだった。
「幼稚」という一言でキレてしまったのだ。
その日の対談はそこでおしまい。
「よぉ、トシ、俺の詞のどこが幼稚だって言うんだい!」
と、暫く怒っていた。
冨士夫の暫くは、数カ月単位である。
とても執念深い。
「キョンとは二度と一緒にやりたくない」
などと言って、うるさかった。
おばさんみたいに、いつまでもネチネチと言っている。
だが、本人もわかっているのだ。
キョンも悪意で言っているわけではないことを。
だけど、冨士夫の奥深いところにある
どうしようもないコンプレックスってやつが、
時には全てに優先し、ぶち壊しにする。
それからは、僕もその冨士夫の中にある
どうしようもないパンドラの箱を
開けないように気をつけることにした。

いみじくも、このときのキョンが教えてくれたのだ。
冨士夫の、海よりも深いコンプレックスのことを。
だけど、この時のキョンは可哀相だった。
怒った冨士夫にビックリして、
どうしようもなく固まってしまっていたのだから。

その節はすみませんでした、お許し下さい。

そうそう、リハーサルだったり、ライヴだったりすると、
その帰りによくキョンを車で送って行ったのを思い出す。
「今日は家?」とか聞く。
繁華街の雀荘で一稼ぎすることがあるみたいなのだ。
そのときは、街の戦場にて降ろすこととなる。
「大丈夫なの?」と、聞くと、
「勝ち逃げのタイミングが難しいんだ」
とか言って、笑っていたのを思い出す。
意外とギャンブラーなんだ。
まったく、そういったことに疎い僕としては、
密かに尊敬していた。

僕にとっての冨士夫と、どんとたちのイメージは、
どこか、ガラスの向こう側に見えている絵柄のように霞んでいる。
いつも、つるんで笑っているのだが、
何故だか音が聴こえてこない。
それは、まるで非現実の静止画のようだ。

2000年という節目の年に、
どんとの訃報を聞いた。

どんとの笑い顔を思い浮かべてみた。
どんとの歌声を思い出してみた。
あの背ぇ高ノッポで、高い鼻をした、
ピエロのように踊っている、どんとの姿が愛おしい。

どんとは、不思議なキャラクターだった。
何処か別の世界から来たような存在感。
だから、今もちょっとだけ、
自分の世界に帰っているだけだったりして……。

そういうことにしておいたほうが、
この世の中は、愉しいような気がする。

(1986年〜1988年)

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