066『The Rolling Stones日本公演』/ The Rolling Stones初来日ドキュメント1990

メリークリスマスです。
ウチではもう何年もサンタを見かけません。
いったい何処に行ってしまったのでしょうか?

な〜んてコトはさておき、
忙しない年末の北風に押され、
さっそく、よもヤバ話の続きに入りましょう。

…………………………………………

1990年2月19日、
僕らはロサンゼルスから帰国した。

リハから勘定すると、
3ヵ月以上かけたレコーディングが、
やっと終了したのだ。
何はともあれ、とにかくめでたい。
あとは春の息吹きと共に、
桜の開花を待つだけなのです。

なんちゃって、
どこかの天気予報じゃあるまいし、
実はのんびりする時間も余裕も
ありゃしなかったのである。

当時の手帳を見返すと、
空港から直行でイベンターの会社に行っている。
4月に予定しているCD発売ツアーの
打ち合わせに出向いているのだ。
今はSNS社会なので様相が違うが、
当時のパブリシティは、
アーティストの広告や記事を
専門誌に載せることが必須であった。
細かく媒体なども分かれているので、
ローテーションを組まなければならなかったのである。

その翌日にはCDジャケットの
打ち合わせをしている。
ウチの事務所は、デザイン事務所でもあったので、
EMIのデザイン部がクライアントでもあった。

早急にシングル盤『風にとけて』の
デザインを仕上げなければならない。
納期から換算すると、
今週あたりが締め切りなのだ。

しかも、発売ツアーのフライヤーやDMも
同時にこなさなければならない。
“これは大変だぞ、集中せねば”

と、思っていたところに
EMIのMディレクターから電話がかかってきた。
レコーディングの清算をしなければならないのだ。
経理が待ち構えているという。

イベンターからは、
ツアー内容の詳細を求めるファックスが、
ジジジ…と、流れてきた。
EMIの宣伝部と連係して、
雑誌のインタビューの日程を出さなくてはならない。

おまけに、事務所のレギュラーだった
“チケットぴあ”のデザイン締め切りが
数日後に迫っていた。
当然のごとく、まだ何にも手をつけていないのだ。

そこにである。まるで計ったように、
JICC出版(宝島)から電話がきた。
「So Whatの入稿はいつになりますか?」

その声を聞いたとたん、
中村(相方のデザイナー)に、
全て押し付けて外に出ることにした。

とにかく逃げちまおう。

携帯などない時代である。
走ってどこかに行っちまえばコッチのもんだ。
とりあえずどこに行こうか?
何からこなせばよいのだろう?

ジャマイカが懐かしかった。
あの、のんびりとした
ヤーマーン と クール ランニング。
たった1週間しかいなかったくせに、
ジャマイカ通ぶっている自分が
なんとも信用ならない。

とりあえずEMIに行くことにしよう。
レコーディングの間に溜め込んだ、
かばんの中にある大量の領収書を
吐き出さなけらばならないからである。

それこそ、溜池にある東芝EMIに着き、
Mディレクターにジャマイカとロスの清算を引き継いだ。

「なんすか?これ」

Mディレクターがビックリした表情で
紙のたばを指している。
そこには、まるで“おみくじ”のようにまとまった、
領収メモの固まりがあった。

「領収書だよ、何か?」

予想していた通りに
不審そうな顔をしたMディレクターに
防衛の矢を放ち、
ジャマイカでの“領収書なかった事件”の説明をした。

「そうすか。通るかなぁ、こんなの?」

なんて、領収書の切れっ端をつまみながら
Mディレクターがほざく。
まぁ、誰だってほざくだろう。
紙切れに数字とサインをしただけのものが領収書だなんて、
チャンチャラおかしいではないか。

しかし、通らなきゃ困るのだ。
責任を問われたら、逆切れするしか対処のしようがない。
そうでなくても、バビロンホテルに泊まったのだ。
軽く通常のバジェットを跳び越している。

「使ったなぁ…」

なんて、精算書を見て背中が丸くなっている
Mディレクターの後ろ姿を尻目に、
法務部のハッシーのところに行くことにした。

ここはひとつ、是が非とも、
ハッシー部長に根回しをしておかなければならない。
根回しはバブル時代の鉄則なのである。

ロビーに戻り、受付で法務部長に取り次いでもらう。

「お約束でございますか?」

いかにも育ちのような表情をした
受付嬢が聞いてくる。

「もちろんでございまする」

育ちのワルい輩は、とっさの敬語にミスが出る。

10分も待つとハッシーがロビーに現れた。
帽子とマフラーをしている。
どこかに行くところなのか?

「待たせたね、じゃ、行こうか」

「エッ!? どこか行くんですか?」

「飲みにいきましょう。何か用事があるの?」

用事は息が詰まるほどあった。
やらなくてならない山ほどのデザインと、
数々のプランニングが、
音をたてて時の向こう側に落ちて行く。
それは、気持ちが良いほどに、
頭の中が真っ白になっていく瞬間だった。

「どうだった? ジャマイカは?」

六本木の交差点を少し乃木坂寄りに
戻ったビルの5階に僕らはいた。
そこは本格的なOKAMAバーだった。

綺麗に化粧をした雄ネエさんの横顔を眺めながら、
それを支えている白い首を見て、
“ のどぼとけだけはあるんだな“
などと、妙な納得をしながらも答えた。

「すっごく良かったです。好きになりました」

「そう。そんなにいいところかい?」

「いいですね。東京で忙しくしているのが
馬鹿バカしくなります」

僕はジャマイカの話から、
レコーディング全体の報告をざっとして、
予算オーバーの説明につなげた。
ハッシーの得意はオヤジギャグである。

「じゃ、まっ、いーか!」

絶対に言うと思っていたベタな駄洒落を
ハッシーが吐いたところで
この話は終いである。

僕らは店を出てタクシーを拾い、
次のシーンに移動することとした。
ハッシーのホームグラウンド、
新宿の歌舞伎町に向かうのだ。

途中、タクシーの中で、
少しろれつの廻らない口調でハッシーが言った。

「ところで、頼まれてたストーンズのチケットきてるよ。
明日、取りに来れば」

それを聞いて思い出した。
すっかりと忘れていたのだ。
2月23日の金曜日と26日の月曜日、
その2日間のストーンズのチケットを
何枚も頼んでいたのだ。
23日といえば、もう明後日だ。

「あ、…ありがとうございます」

行くての夜景が新宿の色に変わってきた。
色とりどりのネオンサインが
不夜城のごとく輝いている。

“ こりゃあ、今夜は帰れねぇな“

歌舞伎町のすえた色味を感じながら、
朝までコースを覚悟するのであった…。

…………………………………………

1990年2月14日、
ザ・ローリング・ストーンズは
初めての日本公演を、東京ドームで行った。

2月27日までに断続的に行われた
「スティール・ホイールズ・ジャパン・ツアー」は、
全部で10公演を数えた。

この時をファンは17年間待ち続け、
ようやく初来日公演が実現したのである。

僕らは2月23日の金曜日に
バンドメンバーやら知り合い総出で
大挙して観に行った。

想っていた通りのすばらしいステージのあと、
みんなしてまたドームの外で待ち合わせた。

そこに京都からの冨士夫の仲間も合流したのだ。
つまりは、チャー坊、テッちゃん、よっチャン
の顔ぶれも揃い、冨士夫、青ちゃんと合わせて、
久々の『村八分』揃いぶみなのであった。

「どうしようか?」

ということになったのを憶えている。
『村八分』のメンバーのみならず、
昔からの仲間たちで、
ちょっとした同窓会みたいになっていた。

今になって思えば、
この時に写真の一枚でも撮っておけば良かったと思う。
こんなチャンスは滅多になかったからだ。
ただ、この人数をまとめて
今から移動するのもかったるい。

結局、ドームの前にあった珈琲ショップに
みんなして入った。
当然、バラバラのテーブルでお茶を飲み、
なんとも不完全燃焼のまま別れたのだった。

さて、この「スティール・ホイールズ・ジャパン・ツアー」だが、
ミック・ジャガーもキース・リチャーズも
当時すでに40代後半であったため、
この来日公演が、
最初にして最後の来日になると噂されていた。
まさか、ミックが70歳過ぎても
ステージを走り回ることなど、
当時は誰一人想像できなかったのである。

だから、僕も冨士夫を連れてもう一度観に行った。
これが見納めになるのかも知れないという想いで。

それは、26日の月曜日、
ストーンズの公式ブートレッグとして
「The Official Rolling Stones Archive」
からダウンロードできるようになっている公演である。

しかし、この日の席はあまり良くなかった。
アリーナではなくスタンド席だったため、
ステージがはるか遠くに見えている。
僕らはその階段席の前の方に陣取った。
開演までにはまだ時間がある。
パンフレットをめくったり、
空前の規模と呼ばれた
ステージセットを眺めたりしていた。

そうこうしているうちに、
日々の疲れが出たのか気が遠くなってきた、
そして、ウトウトと夢の世界に行きかけた時だ。

「冨士夫だ!フジオ!」

と言う叫び声の後で、
ドォッ!という歓声がした気がした。

ハッ!っとして立ち上がり、
遠くに映るステージを凝視した。
……何の変化もなかった。
そりゃそうだ、
冨士夫がステージに現れるはずがない。

“なんだ、寝ぼけたのか…”

と思ったときである。

もう一度、
「ホントだ! 冨士夫だ!」

という声がした。

その声のする階段の上の方を振り向くと、
たくさんの観客がどよめいている。
どうやらみんなしてコチラに注目しているようだ。

……いやな予感がする……。
そう思いながら隣に視線を移した。

すると、あろうことか、冨士夫が熟睡していたのだ!

低い背もたれの椅子のせいで、
ガクンっと、首がうしろに反り返っている。

その、逆さ冨士夫の寝顔が
スタンド後列全体に
無言の挨拶をしていたのだった……。

(1990/2月)

PS,
今年もあと僅かです。
毎年、年末に行われている、
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来年の幸運を願いながらも、
ひたすらに転がり続けますので、
運試しにご覧くださいませ。

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ゲスト:恒田義見
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