070『プリンセスプリンセスに乱入』Princess Princess – Diamonds

新年の挨拶をしてからすでに三週間以上経過した。
やはり今年も早いではないか。
うっかりしてる間に大相撲も終っている。

こりゃあ大変だ、
ってんで冨士夫のところに行って来た。

「明けましておめでとう」

線香に火をつけ冨士夫の遺影を拝む。

「何やってんだよ!トシ」

相変わらずの冨士夫節が聞こえた気がした。
それは、ずっと心の奥で鳴っている、
終わりのない想いなのかも知れない。

「よもヤバ、次の話は何?
そういえば、タイに行った話を読んだけど、
私たちが行ったのはサムイ島じゃないよ」

エミリがハイボールをコップにつぎながら、
何気なく言ってきた。

冨士夫とエミリが休養に行ったのは、
タイのタオ島だった。
サムイ島から、さらに船で行くのだとか。
当時は人口が750人くらいで
ノンポリスの島だったという。
ゆえにフリーで、天国のような島。
だけど、それが逆に仇となるときもある。
意外と都会肌でデリケートだった冨士夫は、
ヘブンリーな雰囲気の中で調子を崩してしまったのだ。
医者も病院もないのだから仕方がない。
二人は早々に退散したのだという。

「2〜3週間の間にタイを色々と移動したんだよね」

そう言いながら、
エミリが軽いツマミを出してくれる。

「若かったからフットワークが軽かったんだね」

そう言って、またハイボールの缶を開けた。

「あのときはさ、シスコやジャマイカから
戻って来たばかりじゃない。
そんなタイミングでストーンズを観に行って
チャー坊たちに会ったんだよね。
私は調子がワルくてさ、
とにかく、どうしようもなかったのよ」

そのとき、チャー坊はストーンズを観る為に、
仲間と共に東京に出て来ていた。
10日間ものあいだ、帝国ホテルに宿をとり、
ドームのストーンズ公演に通っていたのである。
何ともリッチな話ではないか。

「そりゃあ、冨士夫はブツブツ言ってたよ。
帝国ホテルからコレクトコールしてきたんだもん(笑)、
会おうってさ。
わけわかんないでしょ?
めんどくせぇなぁ、とか言いながらも
相手がチャー坊じゃん、
結局は会うわけなんだけどね」

冨士夫、チャー坊、テッちゃん、よっチャンが会う。
ストーンズ公演後のドーム前である。

「でも、とにかく私は調子ワルかったからさ、
あまり憶えてないの。
そんな私を気遣って冨士夫が言ってくれたのよ。
どこか暖かいところにでも行こうって。
それで、タイに行ったんだよね」

そう言うエミリの言葉を聞いて合点がいった。
アメリカから帰国して、
すぐにストーンズを観たかと思うと、
これまたすぐにタイに行っちまった。
あのときの冨士夫とエミリは
とにかく見ていて目が回るようだった。

時を1990年に戻してみよう。

3月18日にタイから帰国した冨士夫は、
20日にはノブちゃん(プライベーツ/延原達治)
の家に出向いて曲作りをしている。
これが、休み明けの初仕事というわけだ。

同時にTEARDROPSは、
アルバム『Mixing Love Tour』のためのリハーサルに入る。
4月のライヴは
6日(金)大阪アムホール
8日(日)名古屋クラブ・クアトロ
11日(水)新宿パワー・ステーション

特にパワー・ステーションのキャパは700人である。
この頃のTEARDROPSの平均客動員数は300〜500人。
少しばかり気張ったブッキングだったのだ。

「イベンターと組んでガツーンっとイっちゃってください!」

EMIの宣伝部から“ポン”っと、肩を押され、
イキオイで走り出すTEARDROPS。
いつになく雑誌広告も多く扱っている。
それらのタイアップで、
必然的にメンバーのインタビュー等も
数多くブッキングされていたのだ。

今と違って、音楽誌が月に10誌以上出版されていた時代である。
下手に撮影を受けてしまうと
どこかの芸能タレントなみに時間をとられてしまう。

「おい、この撮影、本当にギャラはないのかよ?」

冨士夫のボヤきも最もだ。
それほどに撮影のハシゴが続く。
インタビューに関しては、
同じ事を何十回も繰り返し喋っていた。

「テープに録っておいて、口パクにしようぜ」

青ちゃんが嫌みを言う。
それほどにパブリシティと称した
雑誌やFM/AMメディアへの宣伝活動は多かった。
その媒体や情報ページを、
日本中のレコード会社が奪い合っているのだ。
こちらも自然に宣伝部との関わり合いが強くなってくるのである。

そんなパブリシティの真っ只中、
4月の始めにTEARDROPSは
青山にある某スタジオに出向いた。
『Mixing Love』パブリ用の撮影であった。

「トシ、いい加減にもうやめねぇか?」

エレベーターに乗り込むなり、
うんざりしたように冨士夫が愚痴る。
他のメンバーは無言だった。

このビルは全てが撮影スタジオになっていた。
エレベーターから直接スタジオ内に
つながるようになっている。
“確か3階だったな”
そう思い押した目的階のドアが開いたとき、
目の前に目の覚めるような光景が広がっていた。

数人のキラビやかな女の娘がソファの上を舞っている。
(…ように見えた。よく見たら座ってるだけだったのだが)

「プリプリじゃん」
こういうことには誰よりも早く反応する青ちゃんが、
まるでお宝鑑定士のように唸った。
階を間違えたのだ。
この階は『プリンセスプリンセス』の撮影場所だったのである。
ソファの天使たちも、いきなりエレーベーターから現れた
ケダモノたちにザワめいている。
ザワザワとしながらも、コワいもの見たさなのだろう、
何だか手招きをしているみたいだ。
(…そう見えただけだったのかも知れないが)

「行こうゼ!」

カズが、今日初めての言葉を発したかと思うと、
冨士夫を残した3人が一歩前に出た。
突然にモジモジして顔を赤らめている冨士夫。
「いいのかよ?」
なんて呟やいている。
彼女たちの手招きは、
あきらかに、この伝説のギタリストを指しているのだ。
冨士夫が行かなくてどうする。

「大丈夫だよ、行こう」

冨士夫を促して全員でソファに向かった。
“ダイヤモンドだよ〜”
青ちゃんが イイ調子で口ずさんでいる。

彼女たちがたたずんでいるソファの廻りで
10分ほど話をしただろうか。
何のことはないご挨拶をしたようなものだ。

気がつくと、なんだか
女子マネージャーの顔がこわばっている。
もっとプリプリを眺めていたかったが、
さすがに“まずいぞ!”っと思い、
全員で撤退することにした。
そして、一階上の自分たちの撮影スタジオに
チョイ押しで向かったのであった。

信じられないほど愉しかった出来事の後には、
信じたくない現実が待っているものである。

次の日、この出来事が大変な騒ぎに発展した。
朝っぱらからボクはEMIの会議室に呼び出されたのである。
『プリンセスプリンセス』の所属するCBS SONYから、
東芝EMIに厳重なるクレームがきたのだ。

“御社のバンド『TEARDROPS』が、
弊社の『プリンセスプリンセス』の
撮影するスタジオにいきなり乱入して、
仕事の邪魔をした”

ということらしい。
EMIの宣伝部は怒っていた。
この内容通りの文面から察すると、
相当な悪意を持った出来事が
行われたように想像できる。

当然として事の成り行きを説明したが、
宣伝部の責任者は取り合わない。

「ええいっ!こんなレコード会社、コッチから願い下げだぃ!」

逆切れしたオイラを、冨士夫や青ちゃんがいさめる。

「まぁ、トシ、アタマにきたんだろうけど、
コッチがカルかったんがからさ」

と、当たり前に説き伏せられたのである。

時を同じくして、
我が法務部長ハッシーから呑みに誘われた。
「聞いたよ、大変だったね。
こーゆーときは呑んで忘れるのが一番!」

とか言いながら、
朝まで飲み明かすのであった。

…………………………………………

「けんちんうどん食べる?
野菜がいっぱい余ってるんだ」

エミリが空いたハイボール缶を片付けながら言う。
もう、随分と飲み過ぎたようだ。

手際よく作ってくれた
野菜たっぷりのけんちんうどんを食べ、
“ごちそうさま”と言ってるときに、
ふいにエミリが聞いてきた。

「トシ、今年の抱負は?」

そういえば、今年は明けてこのかた、
そんなこと考えたこともなかったことに気づく。

とたんに、

「何やってんだよ!トシ」

酩酊したアタマの奥深くから、
相変わらずの冨士夫節が聞こえた気がした。

(1990年4月〜いま)
070

Follow me!