110『なが〜いイントロダクション』

外堀通りと六本木通りが交わる
溜池交差点の近くに
東芝EMIの本社があった。

打ち放しのコンクリートに
グレーメタリック仕上げの
重厚感ある7階建てのビルである。

「寺尾聡の歌った『ルビーの指環』のヒットで建ったんだぜ」

と、誰かが、
まことしやかに言っていた憶えがある。

“レコード1枚でこんなビルが建っちゃうんだ”

外堀通り沿いに
『ルビーの指環ビル』を見上げながら、
「立派なもんだべ」と唸った。

まだまだ、夢を描いても大丈夫。
仮想ではない現実の扉が、
そこかしこにあるような時代だったのだ。

その中のひとつの扉を開けたつもりで、
ガラス張りのエントランスを入ると、
ソコは中2階に吹き抜けるロビーになっていた。

そこを訪れる人たちは
受付嬢にアポの有無を告げ、
各テーブルにて担当者が来るのを待つ。

待ち人が制作のプロデューサーなら、
少し厚めのビジネスノートを小脇に抱え、
軽い調子でやって来る。
やたらとヨコ文字を会話に挟むのは、
以前にいた広告業界とよく似ていた。

“クンクン” と
辺りを嗅いでみると、
おんなじ“匂い”がする。

“コレは居心地が良さそうだぞ”

そう想いながらロビーを奥へと進む。
するとロビーのドン突きは
ロフトのようになっていて、
ギャラリーと応接室があった。

少し込み入った話などは
このスペースで行われることが多い。

「いったいソチラのバンドはどうなってるんですか?!」

プリプリ(プリンセス・プリンセス)
のスタジオに乱入した件や、
EMIの若き宣伝担当に
ウチのスタッフがケリを入れたときなどは
この場所でお小言を受けた。

あのときはコチラの落ち度を、
理路整然と言われ、
ついつい悔しくなり、
気がついたら逆切れをしたあげくに、
「契約を破棄して辞めてやるぅ!」
と勇んだのだった。

それを冨士夫に、
「そーゆーワケにはいかないだろ」
と諭されたのを覚えている。

「それじゃまるで、立場が逆だな」

とハッシー(EMIの部長)も苦笑い。
単細胞で短気な自分に
(短時間ではあったが)
笑いながら落ち込んだのだった。

『ユーミン祭り』

と称した、
松任谷由実のアルバム発売日には、
このギャラリー・スペースを中心に
EMI全社をあげたキャンペーン会場となる。

“寺尾聡で建てたビルを、ユーミンで維持してるんだな”

そう勝手に想いながら、
華やかに並ぶ発売POPを横目に、
通りすがりのエキストラのような気分で、
エレベーターに乗り7階へと上った。

すると、そこはスタジオ
(第3スタジオ)になっていた。

通常、録音スタジオというものは
地下にある事が多いのだが、
EMIでは、目の前の外堀通りを
銀座線が走っていることから、
振動を考慮して最上階に
スタジオを納めたということである。

7階のエレベーターを降り、
休憩待機スペースの先の
分厚い防音扉を引いて入ると
ミキシング・ルームになっている。

部屋の中心にどデカく構える
ミキシング・コンソールは
ニーヴ社製の「8078カスタム」を採用。
この途方もなく多くのスイッチが並ぶ、
なんともSFチックな代物は、
(機能を解説できない素人の表現はこーなる)
スタジオの閉鎖まで長らく使用され、
原型のまま日本で稼働していた
最後の1台となったのだという。

「おはようございます」

そのコンソールに向かっている
ジンさん(寺田ジン)の後ろ姿に挨拶をした。

「ああ、お久しぶりです。よろしくお願いします」

そう言いながらジンさんは振り返り、
相変わらずの人懐っこい笑顔を向けてきた。

振り返ると、この3年間、
TEARDROPSのアルバム全てに
ジンさんは関わってくれていた。
冨士夫の善し悪しも熟知し、
柔軟に対処してくれる
唯一無二のレコーディング
エンジニアなのである。

ちなみに、このエンジニアという呼び名、
デジタルになった昨今は
違和感があるらしい。

アナログだった緊張感のある時代は、
必然的に機械の修理や
メンテナンスを行うことも多く、
それを扱うオペレーターは、
技術や電気の知識が
必要とされていたのだとか。

エンジニアという名称は
この時代の名残りなのだという。

アナログからデジタルへと
進化した昨今は、
MACという小さな箱が主役だ。
エンジニアのマニピュレーター化、
ミュージシャンのエンジニア化が進み、
音の在り方、感じ方そのものが
変化してしまったのである。

さて、
その偉大なるエンジニア、
ジンさんの頭越しに、
コンソールの向こう側に広がる
スタジオの状況を確認してみよう。

そのガラス越しに映る
EMIの第3スタジオは、
ストリングスのような
大規模編成に対応できる
広さを有していた。
加えて、4.5mの天井高を持ち、
ムクの床材や煉瓦の壁面などで
響きのよい環境にこだわった
世界観がある。

つまりは、早い話が
超一級品のスタジオなのだ。

オーバーな表現をすれば、
いわば贅沢の極みともいえる
音作りの小宇宙といってもいい。

さて、そこにだ、
その贅沢でだだっ広い小宇宙に、
世界でたった2人、
冨士夫と大口さん(大口広司)が、
“ポツン” と、漂っていた。

♪雪溶けを待ってぇ〜♪

なんて、去年の冬から
ずっと歌っている冨士夫が、
もう初夏だというのに、
いまだに雪も溶けずに、
何やらガシャガシャと下を向き、
チューニングなのか、
新曲のイントロなのか、
なんとも不明なフレーズを
ズルズルと弾きずりながら、
たった1人の宇宙にハマっていた。

スタジオの奥のほうで、
それに対峙する大口さんが
アイ ドン ノー
とでもいうように、
ドラムセットに腰掛け、
取り敢えずの恰好をつけている。

「どうします?録っておきますか?」

腕組みをしていたジンさんが、
コンソールからコチラを振り返り、
首を傾げながら訊いてきた。

「これは、(録らなくて)いいでしょう」

EMIのMディレクターが
口髭をヒクヒクさせながら答えた。

そりゃ、そーなのだ。
実際、リハの音から録っていたら、
テープ代がどんだけになるか
解ったもんじゃない。

「このスタジオで延々とリハをやるのは、世界でも冨士夫さんだけかも知れないなぁ(笑)」

Mディレクターが、
再び、ヒクヒクと笑いながら、
パチンっと指を鳴らし、
冗談ともつかない皮肉を言ってくる。

そりゃ、そーなのだ。
実際、このバカ高いスタジオ代と、
プラス・エンジニア代と
そこにまとわり付く
ウンヌンカンヌンで、
1日10時間も漂えば、
ちっちゃなケー自動車くらいは
買えるかも知れない。

そう想った途端に、
途方も無く心が空虚になったので、
現実から逃げたくなった。

何しろバジェットは決まっていて、
しかも、もう貰っちゃっている。

そのバンスで加部さん(加部正義)は、
ワイハでリフレッシュしているし、
冨士夫や大口さんも
やる気になったところなのである。

だから、2週間だ。
少なくとも、
このスタジオを使うのであれば、
2週間で仕上げなくてはならない。

しかし、それは、不可能だろう。
突然に冨士夫が
漂っている宇宙から戻って来て、

「さぁ、真面目にいくよ!1日3曲づつ、ベーシックを録っていこうかぁ!」

な〜んて、ワケにはいかないのだ。

“つまりは、引き受けた私が馬鹿だったのね”

と、後悔に明け暮れる
妄想をしている時だった。

ガシャ!っと、
スタジオのドアが開き、
そこから大口さんだけが出て来た。

「あのさ、ちょっと…」

まるで、サスペンス劇場に登場する
アブナい刑事のような様相で
コチラに寄って来た大口さんは、

「それで、どーすんだヨ」

静かだが、凄みのある声をかけてきた。

「あれじゃあ、ラチがあかねぇだろ」

そう言うのだ。

みんなして冨士夫の方を見た。
相変わらず下を向き、
エフェクターをいじりながら、
何やらガシャガシャとやっている。

「篠やん(篠原信彦)を呼んだらどうだろう? 彼ならピアノベースもできるし、マーちゃん(加部正義)が登場するまでのサポートにもなるんじゃないか」

大口さんが髪をかきあげながら、
ドラマチックに言葉を続けた。

「それは、いいですね!」

間髪を入れずにジンさんが反応する。

「篠やんって?」

ジンさんに聞いてみたら、
ハプニングス・フォーや
フラワー・トラベリン・バンドにいた
キーボード奏者だという。

「ソレは凄い! その人でイキましょう」

Mディレクターが口角を上げながら、
指をパチンと鳴らして合図した。

僕はドアーズのレイ・マンザレクを想像した。
ハモンドオルガンを多彩に操り、
ピアノベースを弾きまくる姿には
随分と憧れたものだ。

宇宙を彷徨い、
知覚の扉を探している
今の冨士夫にも合ってるのかも知れない。

「じゃ、篠やんに連絡してみるよ」

どこか、とぉーいところで
大口さんの声がする気がした。

ガラス越しに映る
スタジオの中の冨士夫は、
何やら歌い始めている。

それが、
なが〜いイントロダクションの終わりなのか、
それとも、再び始まったのか…、

…まだ、誰にも解らなかったのである。

(1991年初夏)

PS/

すっかりと暖かくなりました。
桜が見所です。
毎年、この季節になると、
桜を見なくちゃって、
なんとなく焦ったりするのに、
ちゃんと見なかったりもします。

その代わり、
ナオチャイ(ナオミ&チャイナタウンズ)
のステージを観ました。
初めてだったので、
身内っぽくドキドキしたのですが、
関西のエンターテインメントを受け継いだ
とっても楽しめるバンドでした。
ホント、良かったです。

帰ろうとしたら、
ナオミちゃんが、
「最後に出るバンドも良いバンドだよ」
と言うので観てみたら、
凄まじく良いステージでした。
『地獄の季節』というバンド。
京都のバンドらしい怪しさと、
雅(みやび)な艶を持った
圧巻なステージングでした。

今日あたり、狂ったように
桜が咲き開くのでしょう。

どなた様も、浮き浮きとした、
愉しい春を迎えられますよう、
切に願う次第です。

(石神井公園の散歩にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

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