141『クレイジーサマーナイト』 真夏の夜の動物園/ダイナマイツ

ほんとうに暑い。
クソ暑くて死にそうである。
中央線の乗客もみんな、
へたりきった犬のような
表情をしているではないか。

なんちゃって、そう見えるのだ。
そう想いながら
つり革に揺られていると、
夕暮れの高円寺駅に着いた。

南口を出て、

“この道はいつか来た道”

なぁんて気分で、
かつてスタジオがあった辺りを
散策してみることにする。

ガード脇の狭い路地を行くと、
居酒屋の入った
雑居ビルを抜けた辺りに、
朽ち果てそうな建物がある。

“はたしてココにスタジオがあったのだろうか?”

今ではシャッターが閉まり、
何の営業もしていない感じの廃墟ビル。

古ぼけたエントランスを眺めながら、
得意の妄想をしてみた。

「トシ、早急にスタジオを借りる資金を用意してくれ」

突然に冨士夫に言われて
見に来た時の、
このスタジオの幻影が脳裏に浮かぶ。

当時、BOOWY(ボーイ)が
経営していたスタジオは
『ロケットソケット』という名称だった。
1階が事務所、
地下が貸スタジオになっていて、
BOOWYのリハとしても
使われていたのだ。

「俺たち、大手の事務所に移るから、もういらないんです」

そう言ってBOOWYのマネージャーが
人なつっこく笑ったのを思い出す。

しかし、コチラは笑えない。

「冨士夫さんに引き継いでもらえるのなら嬉しいです」

そういうことか!?
そんな話になってるんだ!?
そう言われた冨士夫が、
嬉しそうにコチラを向く。

しかし、コチラはちいとも嬉しくない。
(金は、急に降ってこないんだからね)

まぁ、
結局は冨士夫の想いが
叶ってしまうのだが、
過ぎ去ってしまえば
すべてが愉快な事ばかり……、
なのである。

そう想うことにした。
無理して借りたスタジオのおかげで、
今でもたくさんの想いが
ソコかしこに漂っているのだから。

真夏の日差しから逃れるように、
スタジオの階段にタムロする
フールズの連中を思い出す。

彼らの、
♪自由が最高なのさ♪
と歌っている内容にウソはなかった。

フールズは見事に自由だったのだ。
誰も働かなかったが、
切羽詰まった様子もない。
音やリズムの世界を口ずさみながら、
日々を過ごしていれば
♪毎日がグルービング♪
なのである。

コウと一緒に
『桃太郎寿司』に入り、
リョウとは対面のそば屋で、
コロッケのせ蕎麦をよく喰った。

その蕎麦屋から100メートルも
環七方面に進むと、
『PIG』という貸スタジオがある。

そこが、今回の目的地なのだ。
ココで『冨士夫トリュビュートバンド』
がリハをしているのだ。

さぁ、
様々な思い出やら、
妄想やらをパタパタと
振り払おうではないか。

昔は昔、今は今。

リアルタイムに戻って、
スタジオの重いドアを押して
中に入ることにしよう。

…………………………………………

すると、
ちょうど休憩時間だったのか、
メンバーがロビーに出てきていた。

「おお、来たのか。お疲れ」

コチラに気がついて
吉田さんが声をかけてきた。
今回は吉田さんがバンマスとなって
メンバーを招集しているのだ。

『ザ・ダイナマイツ』が解散したのは、
吉田さんが19歳のとき。
ソレ以来稼業を継いで、
まったく音楽から離れていた
吉田さんだったのだが、
30年振りに冨士夫と再会
したことがキッカケで、
再びステージに立ったのである。

その吉田さんが呼びかけた、
今回のバンドメンバーを紹介しよう。

中心となるのは何と言っても
『延原達治/ザ・プライベーツ』。
時おり冨士夫が取り憑いたり、
乗り移ったりするのだが、
その相反する性格と強い個性で、
冨士夫とは違う味を出している。
吉田さんと共に、
全体の曲目の構成や
イメージを考える役目なのだ。

ギターのピーちゃんは、
『ブルースビンボーズ』
言わずと知れた
冨士夫サウンドの杖だった。
どんな理不尽な要求も、
持ち前のハードなギターで
たんたんと乗り切る強者である。

ドラムのナオミちゃんは、
『ナオミ&チャイナタウンズ』
晩年の冨士夫を介護し、
生活のリズムまでを
サポートした過去を持つ。
生活と音楽、公私に渡って
冨士夫のミディアムテンポを
キープした立役者なのである。

サックスとギターを
器用に持ち替えて、
バックからサポートする芝井直実は、
PJバンドと冨士夫が
付き合っていた頃から関わりがあり、
瀬川さんやジョージのバンドも
サポートしている仲間なのだ。

そして、なんといっても
今回のメンバーの中で異色なのは
『宮田和弥/ジュンスカイウォーカーズ』だろう。
30年以上も前になるだろうか。
初対面の冨士夫と
“殴り合い”をして、
笑顔だったのを僕は知っている。
同時に吉田さんとも
プライベートな付き合いがあるのだ。
今回はヴォーカルとハープで
冨士夫を蘇らせてくれるだろう。

そんなメンバーの他に
見慣れた顔を発見。
カズ(中嶋一徳)が、
スタジオに来てくれていた。

「今回は演奏するのは無理だけどさ、観に来たんだよ」

そう言いながら、
懐かしい笑顔を向けてきたのだ。

そういえば、
冨士夫の曲作りの横には、
いつもカズが居たし、
コウが思い付いたアイデアを
リズムに乗せたのも彼だった。

本人は無欲で、
ごく自然に音に携わっている
根っからの音楽家なのだが、
それで喰っていける輩は多くない。

そんなミュージシャンやら、
アーティストたちが
高円寺だけでもごまんといる。

若かったころは、
ソレはソレで愉しくもあり、
“今が最高”であれば
気の良いロックも生まれたものだが、
立ち止まって夕陽を眺めても
無口になるような世代になると、
なんだか勝手が違ってくるのだった。

“いつか、そんな輩だけを集めた『よもヤバ・フェス』でもやりたいな”

な〜んて無謀な事を考えていたら、
5時間のリハーサルが
あっという間に過ぎてしまった。

「さぁ、呑みながら打ち合わせでもしようか」

バンマスの吉田さんが、
高らかにファンファーレを吹いた。

まるで映像を巻き戻すかのように
スタジオから駅へのルートを戻って行く。

先ほどの朽ち果てそうな
建物の近くまで来た時に
カズに訊いてみた。

「ココにスタジオがあったんだよな」

「違うよ、トシ。ここじゃねぇよ。この通りだけどな」

と言う。

それじゃ、どこがスタジオだったのだろう?

過ぎ去りし日の想いは
やっぱり夢のごとしなんだな。
溜息まじりに
通りの向こう側に目をやると、
ある小さな一杯飲み屋を思い出した。

”むかし、…そこで呑んだな”

あの時は、
共にフールズのマネージャーを
やっていたシゲと、
昼間っからカウンターで呑んでたら、
青ちゃんが暖簾を払うように入って来て、
その後で前田(サミー)が、
(何が可笑しいのか)
ゲラゲラ笑いながらやって来た。

射すような日差しを逃れるように、
みんなして真っ昼間から
呑んだ夏の酒は、
なんだかとてつもなく
美味かった気がする。
それは、
どこか遠くで鳴いている
蝉の声でも聴いているような、
一瞬の夢心地に似ていた。

“あんな想いは、
二度とないのかも知れない” な。

そう想いながらたたずむ、
高円寺の浅い夜、……ってか。

…………………………………………

「ここだよ、白木屋じゃなくて魚民だった」

駅前の雑居ビルで、
足の遅いオイラ達を
ピーちゃんたちが
待ってくれていたのだ。

エレベーターで2階へと上がり、
みんなの居る大広間へと進んだ。

「今日はお疲れ様でした、乾杯!」

吉田さんの音頭で打ち上げが始まった。

「 吉田さん、和弥(カズヤ)のクレジットは、ヴォーカルとハープだよ。ハーブじゃないからね。ハーブじゃ怪しいからさ(笑)」

ドコかに吉田さんが
情報を流した時の話だろう。
クルマなので酒を呑めない
ノブちゃん(延原)が、
いきなりのジャブをくり出す。

「わかってるよ!(笑)」

それを百戦錬磨の吉田さんが
軽くかわしながら、
矛先を和弥に変えてフックを打った。

「ところで和弥 、冨士夫が“和弥とは殴り合った仲なんだよ”って、よく言ってたよな」

「アレはちょっと、そんなんじゃないんですよ」

そう言いながら、
何故か生ビールを目の前に
2杯置いた和弥が、
当時のエピソードを喋り始める。

「仙台のイベント(R&Rオリンピック)で、冨士夫さんの部屋にドントたちと行ったら、“上半身裸になれ”と冨士夫さんに言われて、脱いだらいきなり腹にパンチ入れられて、お返しをしただけのことなんです」

そう言いながら和弥は、
グビッと、ビールをあおった。

実はワタクシ、
その時、現場にいたので、
補足説明させていただきますと、

空手をやってるとかなんとか、
そんな話になっていて、
「そんなら脱いで身体を見せてみろ」
なんて、
絶えず酔っぱらってる冨士夫が
からかい半分で言い出して、
脱いだら凄いんです、
って和弥選手の腹に
いきなりのパンチを入れた。

“ウッ!” みたいな、
表情の和弥選手は、
すかさず2、3歩前に進むと
冨士夫の腹にお返しを入れる。

“ムッ!” みたいな、
紅潮した表情になった冨士夫は、
再びショートパンチを
胸や腹に入れ始め、
それに対して和弥も
応戦してきたので、

「ハイ!そこでやめぇ〜!」

って、間に入った覚えがあるのだ。

“なんだよぉ〜、とめんなよ〜”

なんて、誰かが言って、
みんなで大笑いして
冗談になったのだが、

冨士夫の目が
笑ってなかったのを知っている。

微妙な時期だったのだ。

シナロケのゲストという
ストレスもあった。
新旧交代のロックシーン
というタイミングもあった。

そこで本気でパンチを
おくってきた若い和弥を、
冨士夫は後になっても
ずっと覚えていたのだ。

「俺に本気のパンチを入れてきたのは奴だけだぜ!」

それでまとめてくれたので、
ホッとしたのを覚えている。
現に冨士夫にとっては、
他に類のない良い話として残ったのだ。

めでたし、めでたし、なのでした。

それにしても
イベントっていうのは面白い。
冨士夫と和弥の格闘の夜は、
ドントたちと冨士夫が
知り合った夜でもあった。

ノブちゃんたちのプライベーツは、
東芝EMIに入ってからの仲で、
特に冨士夫とノブちゃんは、
そのEMIのイベントで
『ひまわり』というユニットを
作ったことから急接近した。

あのころ、
ノブちゃんのプライベーツも、
和弥のジュンスカも、
とっても若くて人気があった。
(失礼、今も人気者だけどね)

40歳にさしかかる年代だった冨士夫は、
若くないティアドロップスのイメージを
計り切れてなかったのかも知れない。

子供達の目線に合わせて
かがむように歌詞を書いて、
歌い方をどうしたもんか?と、
ヴォーカル・スタイルに
苦労していたんだと想う。

結局、答えが見つからないまま、
ソロのアトモスフィアに突入し、
年輪を重ねる現実で、
何かを見いだそうと
していたのではないだろうか?

「ロックはカッコ良いワルいじゃないし、上手い下手でもない。音を通した生き方のことなんだ」

そう、晩年の冨士夫は言っていた。

「歳を喰ったからってジャズに行く奴や、他のジャンルを取り込んだりする奴は嫌いだ」

って、
いつまでもくだらないほどに
ロックな自分でいたがったのだ。

いつだったか、ノブちゃんに

「プライベーツのビジョンは?」

って訊いたときに、

「ビジョンっていうのとは違うかも知れないけど、俺はロックが大好きで仕方なかったガキの頃とかさ、そんな気持ちをイチバンに想っているんだ」

と、言っていた。

つまりは冨士夫とおんなじである。

『ダイナマイツ』
『村八分』
『ひまつぶし』
『タンブリングス』
『ティアドロップス』
『アトモスフィア』

に渡る冨士夫史の中で、
いったいどの曲を
持ってくるのだろうか?

また、誰にどの曲で
冨士夫が乗り移るのだろうか?

何はともあれ、
そんなこんなを一からまとめて
頑張っている吉田クンのやる気に
乾杯なのである。

来てくれる客のみんなも
冨士夫を思い出して
想い想いに口ずさんでくれたら
これ以上にない供養になるのだと想う。

一応、七回忌だからね。

そんな事を考えていたら、
テーブルの向こう端で
呑んでいたナオミちゃんが、

「やっぱり『真夏の夜の動物園』演りたい!」

って、大きな声をあげた。

そう、その曲がなきゃ始まらないのだ。

なんたって、このクソ暑い夏。
そんなお盆にやるステージは、

“クレイジーサマーナイト”

になるに決まってるんだから。

(1984年頃〜現在)

PS/

暑中お見舞い申し上げます。
1週間後に迫りました。
お待ちしております。

【山口冨士夫を偲ぶ6年目の夏】7回忌

◆原宿クロコダイル
◆2019/08/15木曜
◆Yamaguchi Fujio Tribute Band 2019
◆前売り¥3,000/当日¥3,500
◆18:00/open 19:30/start

members
吉田博(vo,b)…ex;The Dynmamites
延原達治(vo,g)…The Privates
宮田和弥(vo,harp)…Jun Sky Walker(s)
ぴーちゃん(g)…Blues Binbohs
ナオミ(ds)…Naomi&Chinatowns
芝井直実(sax,g)

◆Information/前売り予約
原宿クロコダイル
03-3499-5205
E-Mail:croco@crocodile-live.jp
◆yomoyaba@yahoo.co.jp

 

 

 

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